この作品、千反田えるを除いて全てのキャラクターにはっきりとした自意識が感じられるが、にもかかわらず現実の学校生活にはつきものの「冷笑」や「シラけ」をともなう自意識が一切見られない。どのキャラクターも「謎解き」やら「部活動」やらに真面目に取り組んでいる。この点、違和感というほどではないが、自意識の表現の不徹底のようにも思われる。が、学校生活そのものにシラけた自意識の導入は、ドラマ全体を「本気/冷笑」の二項対立へと陳腐化してしまう気もする。むしろ全キャラクターが真面目になれる地平を仮構することで、その下での自意識の機微を描くことを目指したのかもしれない。実際、現実の人間心理においても、社会における生存という地平では、おおむね真剣さが保証されているので、その水準を学校生活へと下降させるのは、紙面の限られた学園推理小説の可能性を考慮すれば、とても理にかなっている。