うちは、第一話桜花抄が1番好き。
貴樹と明里が転校で離れ離れになって、会いに行く所が話の中でも綺麗で悲しい。
日常の景色を心情も込で美しく書いてる。
One more time, One more chanceは、この作品にあっていて名曲。
「僕と君の隔たり」に関する一連のストーリー第三弾
テーマは心の距離ですかね
もう何回も観てますが、何回観ても泣きたくなる
ある意味この作品が新海監督の真骨頂というか、心情描写だけで言えばトップだと思っています
明里という具体的な目標を失ってしまっても、何か大切なものを探し続けているという気持ちだけが残るという点は、君の名は。にも引き継がれます
明里が最後に小説を読み終わるシーンが出ているのは、彼女の「貴樹との物語」が終わったことを表しているんですね
天門さんとまたタッグ組まないかなと思ったりしますが、もうこういう作品は新海さん作れないんじゃないかな、なんて思いますね
新海誠imax映画祭で初見
見終わった直後、呆然あるいはショックを受けてる。二人はまた出会えるんじゃないかって思ってた。
でも、この感情こそが答えなのだと思う。人生は複雑で大きすぎて、その中でただ波のままに揺られて、流されることしかできない。いくらあの島へと願ったところで、海はそんなもの意に介せずに僕を運んでいく。でも同じ海の上を浮かんでいる限りは、いつかまた君と出会えるんじゃないかって思わずにはいられない。地球の7割を覆う海の上でたった一粒同士の雨の滴が重なり合うような確率を、もしかしたらと夢見てしまう。
そして、そんな感情をきっと幼さというのだと思う。
遠野はきっと栃木に向かう道中、子どもにはどうにもならないくらいに広すぎる世界を知って、運命に疑いを抱いてしまった。数分の電車の遅延は何時間にも膨らみ、ただ吹き抜けた風は明里への手紙を奪っていく。何気ないはずのことが13歳にとっては全てが重くのしかかる。
そして、明里とキスしたあの夜にそんな運命のなさに気付いてしまい、やがて明里にメールを送ることをやめてしまった日に遂にその運命を信じられなくなってしまった。
それを大人になることというのだと思う。
だから、大人になれば、そんな奇跡みたいな運命みたいな再会なんて起こりっこないってことくらいすぐに分かる。それが現実。そして、そんな人がいたことすらもさっさと忘れてしまうのが正しい人生の生き方。だけど、そんな人生は何色をしているだろうか。冬の冷たい雪の色か、どんよりとした雲の色か。
でも、きっと哀れで無知な幼さのままに運命を願っていれば、世界は春の降り注ぐ花の景色のように見えるはず。バラ色には染まらなくても、どこかその桜吹雪に寂しさを感じながらでも、その向こうにバラの色を透かしたような桜の色をした景色が見えるはず。
あるいは、夜明け間際の空に滲んだ薄明の色をした夢を見続けていれば、それが永遠の深い夜を連れてくる日暮れだと気付かないでいられるのだ。
そこに君の気配を感じて振り向こうとする瞬間を永遠にすることができれば、どんなに幸せだろうか。それがきっとあの踏切で明里の気配に振り向いた瞬間の遠野を表していたと思う。
でも振り向けば、そこに明里はいないという無機質な現実しかないことに気付いてしまうのだ。もう少しで届きそう……。そんな風に永遠に焦がれることができたらどんなに幸せだろうか。届かせようとしてしまえば、たちまち夢は消えてしまうのだ。
そんなことを考えると、もしかしたら遠野に気持ちを伝えようとして諦めてしまった澄田が一番幸せなのかもしれない。少なくともあの時の彼女は、遠野が来て帰る東京の景色も、自分の進路すらも知らない子どもだった。
そして、遠野ではない誰かと結婚をした明里は今更子どもの頃の恋を思い出すことは淡い思い出どころか、遠野ともその誰かとも苦い関係になりかねない。確かに遠野とすれ違った明里が振り向いた先にいなかったのは、ちゃんと大人としてそんな思い出ごと忘れてしまったということなのかもしれない。
一度知ってしまったことは忘れられない、一度忘れてしまったことを思い出してはいけない。全てが刹那的で、もう後戻りができない。そんな人生にこう思わずにはいられない。
いつからか忘れてしまった子供じみた運命を、今もいつまでも信じることができたならば…と。
アニメオタクには義務と言われるので見てみました。
結論、とても面白かったです。私は「君の名は」を見ましたので、ちょっとファンタジーな要素があるのかと期待していましたが、ファンタジー要素は特になく、この作品は小説なんだということに気づきました。
一言で感想を表すとしたら「男ってバカだよな」です。
心理学的に男は過去、女は未来。男は理想、女は現実ってよく言われると思いますがまさにそれを表した作品だと思います。
3部作を1本にまとめた作品ですが、1部では青年の初恋、2部では囚われた心、3部では儚い現実が描かれているという印象を持ちました。
特に私が印象的だったのは2部で、2部ってパッと見意味がわかりづらいなーと思うんですが都会の男の子と田舎の女の子って世間的に成長速度が全然違うと思いますし、都会で恋を知って漠然と目標を持つ男の子に惹かれる女の子という構図は1部と3部を繋ぐのに非常に大事であると思いました。
その結果、3部では過去をずっと追いかけた主人公が儚い現実に負けたという事がわかるんですよね。
1部でもその傾向が非常によく出ていて、少年は過去の事として初恋の子をずっと話していて、永遠がわかったとか理想的な話をしていることがわかりますが、女の子はそんなことを引っ張っていないんですよね。2部でも女の子は今の事に集中しているところも、あえて主人公の未練を引き立てているのがすごく象徴的です。
1部なんて雪で離れ離れになった女の子と会うのにめちゃめちゃ時間がかかってしまうんですが、あれは世の中の厳しさをうまく抽象的に表現しているいい例だと思います。好きな子に1回きり会いに行くためですが、そういう時に限って都合の悪いことばかり起きて会える時間が短くなってしまったなんてことは割とよくある話で、でもとてもロマンチックなんですよね。好きな子に少ないお小遣いで会いに行って、小屋で一晩を明かし、早朝の電車で帰っていますから。
そんなことを若いうちに体験してしまっては夢見がちにもなるのは仕方ないとも思えるよう見せられているわけです。
最後の最後のシーンも男の見目見がちな理想論的な妄想がよく描かれている部分です。はっきり言えば、普通の恋愛ドラマ・映画・アニメ・漫画ではあそこは女の子がいるのが当然です。その方がドラマチックで感動的だからです。でも、いない。これがこの映画の伝えたい事というのがはっきりわかります。
ここまでの感想は古(いにしえ)の作品ですし、いろんな方が考察も、感想をまとめてもいらっしゃると思いますので私だけの感想ではないと思いますが、1時間程度で見れますし、いっつも見ているアニメの恋愛に飽きたら見るのがいいと思います。
ー以上ー
見終わった時1時間しか経っていないことに驚いた
ラストシーンが印象的
登場人物にとって現状がやるせなく、いかんともしがたい時、風景描写は冴え渡り胸を打つほどの美しさをこの監督は描くのだな。
練りに練った手紙よりも、たった一度の口づけで通い会う想いが存在するし、忘れられない恋慕が生まれると残酷なことを告げてくる。
いつまでも夢想の中に浸ることもできず、ロマンは薄汚れて理想も擦りきれて現実を選びとることになるのが大人ってことなのか、幸せって事なのか、何が正解なのか私にもわからないけど、誰にとっても『瑞々しい若い日の夢想と憧れ』は苦くて美しいモノなのだと思う。届かなければ届かない程に。
ロケットが遥か彼方にうち上がる様子を言葉もなく見守り、相手の心が届きようもない所を指している事を悟ってしまうあの美しいシーンは私もしんみり寂しくて、何かを抱くようにして眠る姿もまた美しく、悲しくなって泣いた。
こんな視座で物語を描いた監督が、どんな過程を経て「君の名は」のラストにまで辿り着いたのか、少し興味がある。
本作品以上の感情に訴える作品を観たことがないと言えるほどの物語。
物語内容の前に、音楽・絵について述べたいと思う。
まず、冒頭から流れるピアノの透明感のある、しかしながら、どこか憂い帯びた音色がたまらない。絵も素晴らしい。特に情景描写は文句なしの高水準である。自然な日常描写ながら、効果的に用いた綺麗な表現が遺憾無く物語の魅力を引き出している。
さて、ここまで来たら物語について述べなければならないだろう。
ところどころ、文学作品における「地の文」のような、第三者視点、すなわち神の視点による描写と語りがあるのだが、この語りが淡々と冷徹に、そして暖かく、登場人物の心情を説明する。
本作品の根底は「時間と距離」と言われている。その上、さらに言うとすれば、「男女の『時間と距離』の相違」である。よく「男は別名保存、女は上書き保存」と言われるが、一見するとこの言葉を巧みに表現したような物語である。別にどちらが良く、どちらが悪いという話をしているのではない。そういうことではない。筆者は、その相違から生まれ人と人との間で発生する「恋愛」という営みの性質を、本作品の根底によって露わになるという点を述べたいのである。
神の視点をも超えた視聴者の視点から察するに、両思い、片思い、そして結末も片思いに終わる。厳密に言えば、結末の片思いは、主人公・貴樹が明里を愛する(もしくは、愛していた)理由を見失ったが故に、片思いですらないかもしれない。
あらゆる場面に心情表現、そして物語の結末を彷彿とさせる描写が点在している。花苗が進路希望の用紙を飛行機にして投げ、雲と星が彩る美的な夜空に浮かび、そのまま飛行機が決して白くは見えない、はっきりとした色を見ることができない雲に消えていった場面は、花苗の深層心情、そして「コスモナウト」の結末を暗喩しているようにも考えられるだろう。これは一つの例に過ぎないが、このような細かい伏線的・比喩的描写が散りばめられているのである。隙がない。
確固たる理由を見失っていた明里への愛は、そのまま、叶わずして物語は終える。「救いがない」と言えばそうだろう。ここで付き合って、結婚するまでがハッピーエンドと言えるだろう。それはアニメの持つ特性による影響も少なからずある。つまり、それは約束された結末なのであり、明確な答えが用意されている。
現実に則した展開として、二人の恋と愛は互いに確認し、それまで限られていた時間と距離が永遠にも思える時間と心理的距離になり結ばれる、というようなことは起きない。恋愛のような、人間の行う論理のみでは明確化できない営みについての一つの答えとして、新海誠はこの結末をもたらしたのである。
そして、明里からの言葉を受け取ったあの日から止まっていた貴樹の時間は、自然的に動き出す。
この描写で物語は終わりを迎える。
留意として加えるが、この物語の答えは一つだけではない。先述のように、論理で説明され、数学や理科などのように明確な答えはない。この世界に人間が存在する限り、その人間の存在する数だけ、もしくはそれ以上に答えがあり、そしてそれは時間が移ろうごとに変化し、生まれ、そして廃れる。結末について議論を深めることは、もはや不可能だろう。
何回見ても良い
リアリティのある描写が売りの短編3つが繋がった作品。小説を読んでいる感じで話が進んでいった。
最近のアニメにはあまりない作品。最後はもやもやするがこれがリアル。こういう作品もありかなと言ったところか。
むしろ、君の名はがこの後に作られると思うと面白いかも。
ワンモアタイム♪
セリフ少なくていいよね。うん、アニメっていい。何が良いって、携帯ない時代の待ち合わせ時間おくれ。相手の状況を想像するチカラって、こうやって培ってきたのだろう。今なら、スマホで相手と連絡とれちゃうから。
コスモナイト。気の遠くなるほど遠い向こうを見ている人に思いをよせる切なさ。ストレートな若きハードブレイク。悲嘆。
ワンモアタイムワンモアチャンスそれが作品のメッセージだとわかるけれど、ラストどうなるのか考察に委ねてくれる余地が残されて余韻を味わえる。
うーん…リアルだが後味の悪い終わり方だなあ。好きな終わり方では無いけどこれはこれは悪くは無いと思いました。目の前の女性と向き合わず、文通だけの幼なじみを追い続けた男の末路と言えば残念でもないし当然かも笑
桜、雪、雲の描写がめちゃくちゃ綺麗で、さすがだなと思いました。