「泣いたら負け」「泣きそうになったら歌うの」というミオの台詞が悲しい。その覚悟は一見強いように見えるけれど、悲しい思いをしている自分に気付いてくれる人が居なくなってしまう
本来なら自分が辛い思いをしていると誰かに訴えても良かったのかも知れないが、それを許してくれない時代に生きるしか無かったことが何よりも辛い
琵琶丸の「鬼神の居る道を迂回すりゃ良いことさ」という台詞が印象的。確かに道は幾らでもある。数多の道の中から敢えて一番辛い道を選ぶことはない
けれど、それぞれがそれぞれの理由で一番辛い道を敢えて選択している
百鬼丸は鬼神を倒すために旅を続けている。しかし、産まれた直後は生きている方が地獄と言われた百鬼丸も寿海の助けによってある程度普通に生きられるような身体を貰った。
それでも鬼神と戦う道を選んだのは奪われた身体を奪い返したいからだ
ミオも子供たちを守るため、青くて黄金色の田圃を手に入れるために男たちに自分の身体を差し出している。第一話の頃のどろろやその母が別のやり方で稼ごうとしたように厳しくても別の道を選ぶことは出来る。
しかし、戦で無くしたものを戦で取り返すと決めたミオは武士相手により厳しい道を自ら選んでしまう
多宝丸は親を喜ばせようと、自分の存在を訴えようと戦に出たいと願い出るが許されない。特に母親が自分以外の何かに心を砕く姿を知っている彼は親の愛をもっと得たいと藻掻く。けれども、あの母からすれば普通に生き長らえてくれさえすれば満足だということに多宝丸はきっと気付けない。
見方を変えれば彼も親から一身に受ける愛情を見も知らぬ兄に奪われていると考えられる
それらの行動は一方で取り返す何かが存在していると判っているから足掻けるものでもある
燃える中、ミオが泣きそうになった時に歌う声を聞いた百鬼丸。眼が見えず魂しか見えない彼はその幽かな歌を聞いた時になってようやく奪い返しようがない喪失が目の前にあると知る。喪失に怒り狂った百鬼丸は鬼神と見紛うばかりの殺戮を始めるがどろろによって止められる
ミオの命は奪い返しようがなくても、ミオが取り戻そうとした田圃の欠片はそこにある。ミオが負けなかったのなら、百鬼丸もどんなに悲しくてもミオに並び立つ為に自分の中にいる鬼に負けてはならない
敢えて辛い道を行く、それでも負けないように戦い続ける者たちの意地を見た気がした