水樹奈々生誕祭として視聴。
キュアブロッサムが自分と向き合う試練回。キュアブロッサムを知るにふさわしい回としてこの回を選んだ。
つぼみが初回から言っていた「チェンジ」が、この回で一旦回収される。
つぼみはシャイな自分を変えたいと言った。しかしそれは、裏を返せば別の美点にもつながっているかもしれないし、良いところは変えなくてもいい。自分を嫌いにならずに、ただありのままの自分を「受け入れる」ということを行う試練。
自己肯定については誰しも一言を持っていると思うから、この「試練」については各々言いたいことがあるだろう。
自分はこの回が結構好きで、それはある失恋のあとに、自分なりに出した答えに近いものだったから。自分の人間性の全てが否定されたかの様に感じても、実はそうでもないのであると。
主人公の内面を描いた、とても真面目な回だが、新技ハートキャッチオーケストラのお披露目でもある。
このヤケクソっぷりはどうよw
臆病な自分もわたしらしくいるためには必要、っていう解釈がとてもよかった。捨てるんじゃなくて引き出しを増やしていく。ふとした時に出てくる部分、そういうのも含めて個性だからねぇ。
作画も力が入っていてよかった。光線をひきつけて旋回で誘導切りするのはミサイルでよく見るケレン味のある作画だけど、光線でもかっこいいなw
「自分を変えることが必要」という発想は欧米的だなぁと。人間は自分と向き合って自覚していなかった負の一面を受け入れて克服することで変わることができるという、完全性を目指す価値観。ところが、例えば橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」の登場人物達は対立ばかりしているけれども、結局最後にはお互いを「部分的に」受け入れることで調和していて、どこまでも行っても人それぞれの本質(性格)は大して変わらないもので、それでも妥協し合うことで幸せになれるという扱い方をしていて、日本的だと思う。
つぼみの「皆との繋がりのおかげで少しずつ変われている。新しい自分を作って行ける」というセリフは、共同体意識を持つことが勇気を持って前向きな気持ちになりやすいことと、成長とは自己形成であるということを示していると思う。これは近現代の西洋哲学に通じるものがあり、自分を変えることが必要か否かという単純な次元を超えているようで素晴らしい。ラストでつぼみは、自身のシャイで引っ込み思案な一面も必要だと結論付けた上で自己形成を遂げていこうとしていることを示していると思う。つまり、「自分を変える」ことが自己否定を経て別の何か素晴らしいような自分に変貌することではなく、過去の自分を受容して内包しつつ成長していくこと(自己形成)であると示されているかと。
「自分を変える」というワードからは自己否定が想起されかねないので、安易に使うべきではないとは思うけど、視聴対象年齢層を考えると致し方ないかなぁと。
本日の夜実況。
自分の弱さを受け入れるという試練を、1話遅れでブロッサムも乗り越えた。ダメなところも含め、自分を許し好きになる。ダメさに関わらず、自信をもつ。それがブロッサムの望んだ「チェンジ」だったのかもしれない。
結局、人はそんなに大きく変わることはできない。だから、自分だけでチェンジしようとは思わず、誰かの力を借りてチェンジしてもいい。ひとりで戦っていた自分を「愚かだった」と振り返ったムーンライトだけど、それと似た気付きが皆にも必要だったのかも知れない。
ハートキャッチミラージュの封印を解き、デザートデビルが気の毒になるような新しい技を習得。
全員が自分の弱さを受け入れて得た力だというのに、それはある意味、圧倒的な暴力だったw
自分の中の目を背けたくなるような部分も受け入れて人間的・人格的に成長しましょうというお話。
デザトリアンと比べたら規格外の大きさのデザートデビル。そのデザートデビルを叩き潰す、さらに巨大な女。ヤケクソ。
おでこの焦げたマリンが可愛い。
スーパーシルエットパワーアップ回。巨大女神降臨w
試練を乗り越えられずブロッサム不在の中、襲ってくるデザートデビル。なんとなく必殺技の顔アップが多いのが気になった。
過去の自分と向き合い受け入れることが試練のゴールなので、結末パターンは他の3人とカブるのは致し方ないとは思うものの、1話引っ張った分変化球欲しかった印象。
(2017/8/9)