友崎やたまちゃんみたいに自分を変えようと頑張る菊池さんが可愛いし応援したいと思った。けど友崎やたまちゃんの努力と菊池さんの努力は、「自分を変えたい」っていう点では同じでもその方向性は真逆だってことには気づかなかった。変わりたいっていう意志が菊池さんにあるから決して悪いことじゃないと思うんだけど、確かに違和感というかモヤッとした感覚が観てる自分にもあったし、実際友崎もホントにそれで良いのかっていう違和感があるらしい。友崎が菊池さんから聞いた本を読んで何に気づいたのか、次回が楽しみ。
恋を探る友崎が同時に探るのは日南の人間性。親友であるみみみにも見通せないそれは弱キャラでしか無い彼の力では容易に見通せない
ここで同じく日南を探っていた風香がブレ始めるのは印象的。日南を探る事で風香が元々持っていた人間性が影響されたような…
演劇のキャラであるアルシアを深める為に風香は日南という人間を分析した。けれど、クリスというキャラが風香の写し身である為か、あの物語に相応しい結末がどのようなものかを突き詰めていく行為は風香自身を突き詰めていく行為に繋がるようで
日南を探り風香を探り。そうする内に風香が日南や友崎を見倣い始めるのは面白い
風香が繰り返し主張する世界の理想
理想的な人間を敢えて日南のようなパーフェクトヒロインと定義した場合、日南のように成るのが理想的という話になる
思い返せば友崎だって日南を参考に自分磨きをしてきた。でも友崎がどうなりたいかを意識しつつ自分を変えたのに、風香には自分がどうなりたいかという意識が希薄なような気がしてしまう
風香自身が選んだ道だから他人が変えるのは難しい
一方でポイントとなるのはその人にどう在って欲しいかという一種の我儘かな?
友崎にとって風香はどのような人間であって欲しいかという点は迷走を見せる風香と接する上で重要なキーとなってくる気がするよ
他にも、台本が無くても夫婦漫才っぽくなるみみみとの仲が文化祭へ向け、どう変化して行くのかという点も気になるね
みみみの方が推せる、だから友﨑との夫婦漫才は見ていて痛々しく感じる
波長が合わせやすい相手なら台本はそこまで重要視しない、友崎&みみみの掛け合いはやはり軽快なものがあった。日南は空っぽという言葉、理想を目指すが故に自我というものが無くなってしまいつつあるという事を揶揄している事なんだろうか
菊池さんが理想とする姿に日南を挙げていたけど、それに近づくことで彼女の筋というものが消失してしまわないか不安にも思える。変わろうとする意識は悪いモノではないがアイデンティティの崩壊はいけない
菊地さんに感じる気持ち悪さは日南と近しいものを感じるんだよなぁ。他人に感化されたから”変わらなきゃいけない”というのが悪いことではないけど、それ自体が目的になっているよね。理想を目指すことが菊地さんの個性を壊すことにならないことを祈る。
人生に正解なんて無いと思ってるから自分のやり方で変わっていって失敗だと思ったらまたやり直せばいいと思う、成長ってそういうもの
菊池さんにそこまで繰り返せるメンタルがあるかどうかだけ心配
まさに今回語られたように、友崎はまだ「自分が」って主語で変わろうとしてるからいいんだけど、菊池風花とか日南葵は主語が自分じゃないとこが徹底的に自分と価値観が合わなくてなんだかな〜となる
菊池さんもプレーヤー・作者目線だったか、達観してるって感じてた正体はそれだったんだ、世界の理想に自分を合わせるのはある意味利他主義な感じもするけどそれでいいのかなあ、そして葵は本当に世界の理想なのか
各キャラクターが自分の人生観を語っていて、高校生にしては大人びて見える。いじめ編の幼稚さは何だったのか。
徐々に脚本を通しながらふうかちゃんのことがわかってきて面白い
#11 03/14
「麻酔銃持っていけばいい」
『トランキライザーガン』というセガのゲームがあってな
みみみ「おじさん~」
ここは友崎がみみみを「おばさんだろ?」と突っ込んで缶紅茶を浴びる流れなのに
風香は脚本と演出なのか
第1期からずっと感じていた違和感。本人が言うほどリア充でもなければ、人生という神ゲーを楽しめているようには思えない。1キャラクターを操作するプレイヤーとして楽しんでいるわけではないということなんだろか。
始まる読み合わせでしたが、自分を殺してでも世界の最適解を見出そうとする作者目線の菊池ちゃんにどのような言葉を投げかけるのか気になる終わり方。そして、みみみとの件もあり、頻りに出てくる「日南らしい」というセリフが、日南の抱える心の内を暴くきっかけにもなりそうで楽しみ。
本気の演技で現在の金元寿子さんクラスの演技をしちゃう日南ちゃん、声優デビューしたら絶対ブレイクしちゃうなぁ~笑。