「魔王」「魔王自称者」「詩術」など専門用語がいきなりポンポン出てきて混乱もあったものの、同時にワクワクもあった。量産型「ナーロッパ」的ファンタジーがデファクトスタンダード化する中で、独自の世界を作り出そうとする作者の姿勢はそれだけで評価したい。
修羅であるソウジロウの異常性をまざまざと見せた第一話。今後はソウジロウとそれに比肩する修羅が鎬を削っていくのだろうか。絶対面白いじゃんソレ。
「ヒューマノイドの電脳のコピー」がいかな悲劇をもたらすか、ということを端的に描いたエピソード。「どうして私が裁かれるの!?」というフィーの叫びが胸を打つ。絶対いるだろうな、別れた子供恋しさに電脳をコピーする親…。この悲劇を生まないために須藤先生はお母さんのクローンを探そうとしていたんだね。
この世界にまるで「神」のように座する「超高度AI」のもたらす影響を描いた2篇。
前半は陰謀論に堕ちちゃった人の話。超高度AIって「神様が現実に現れちゃった」みたいなもんだし「支配されてる!」って錯覚しちゃう人、この世界には五本木に限らずいるだろうなあ。描かれてないだけで、既存の宗教感もだいぶ変わってそう。
そして後半。「超高度AIという神秘的な存在がかえってスピリチュアルブームを呼ぶ」「宗教の世界にAIは立ち入れないから、そこはまだ人間の領地」という着眼点がシャープすぎる。たとえ偽善であっても善は善。それで救われる人がいるなら偽善を成し続けるという勅使河原の信念が美しかった。須藤との会話からすると勅使河原も超高度AIの関係者なんだろうけど、「超高度AIには人を救える力があるのに、彼は誰も救わない」という失望、根深そう。ミチはなぜ神にも等しい力を市井に分け与えないのか。この理由は残り2話で少しは明かされるのかな?
前篇は口を閉ざした家族と人権屋の熱意のすれ違いが生んだ悲劇。人権屋のにいちゃんの「受けられるべき治療を受けさせないのはネグレクト」って言い分にはちょっと頷くけども、お節介が過ぎた。ていうか自身も団体の知名度を上げるためにあの家族を利用しようとしてるフシがあったし「お前が言うな」感。
後篇はタイトル通り「人間とはなにか」を問うエピソード。あんな未来になって(ヒューマノイドでない)AIの知性が上がってもモンスタークレーマーは消滅しとらんのかい!!AIとの対話に納得しない人がいるのでスケープゴート役として「クレーム対応係」が残ってる世界、嫌すぎる。「怒ってる人は想定外の事態が起こるとバグって怒りが収まる」って話、伊坂幸太郎の小説であったな。