行って大丈夫だよのシーンもう一度八幡視点でのみ流されて涙ひゅっってなる。つらい。
平塚先生のもらってで爆笑してしまった。終わりに向かうシーンばかりでどうしてもシリアスになりがちなので、こういうところは俺ガイルらしいふざけ方のようで安心した。
いろはすイケメンかよ~となっている。でも同時に切ない。3人の、2人の輪が強固すぎていろはすは一分も入る隙もないというところが、とても切ない。
最後のこれでちゃんと終わりにできる、は八幡に助けられるのが最後という意味だろうか?終わりにできるというのが、関係性の終わりなら、これまで終わらせようとしていたのになぜ泣いていたのだろうか。
由比ヶ浜回、つらい...つらいけど切ないのが好きなのでこれまで見てきたアニメの中でかなり上の方に来る好きな回でした。
前半の由比ヶ浜と八幡の幸せなシーンから急にプロム中止に向かう厳しいシーンにつきおとされてつらく、最後の由比ヶ浜がひとりで泣くシーンも本当につらく、もう少し登場人物が幸せになったりしないんでしょうか...すごく好きなんですがつらくてつらくて、由比ヶ浜を推すしかないという気持ちになっています。頼むから幸せになってくれ...(原作は読んでいないので本当に心が揺れてしまいます)
割と大胆に構成していて、アニメを感じた。あと最後に流れたOP?よかったです。
不穏要素が多すぎてつらいけど、つらさを超えて進む物語があるなら見届けたいです。
ひとつひとつのコマが絵画のように美しく、人間の機微がいろいろな場所に見られ、本当に美しかった。dアニメで見たのだけれど、何度も止めて深呼吸しながら出ないと見れなかった。結局4時間もかかってしまった。
変化の瞬間を丁寧に描いていて、のぞみが誰とでも気さくに接するさわやかなキャラだったところから、後半ではそんなにいい面ばかりではない人間であるところが露呈したり、のぞみなしでは何もできないはずだったみぞれが実際は非常に優秀であることが分かったり、後半でいろいろ明かされることが多くて驚きが続いた。
リズのもとにやってきた青い鳥は、リズがひとりぼっちだったからと言うので、最初は明らかにひとりぼっちであるみぞれのもとにのぞみがやってくるという構図だと思ったが、実際は逆であった。でも後から思い返せば、青い鳥が靴の先をこつんとさせる動作が冒頭シーンのみぞれと重なったりしていて、はっきり描かれずとも示唆されている。
個人的には、この年代特有の世界の狭さ、それゆえにその世界に浸かることで自分が認知する世界が繊細で広がりを持つことの、どうしようもない窮屈さと美しさが素敵な雰囲気につながっている気がした。なんだか本当に一コマごとに額縁に収めたくなるようなきらめきを持っていて、それでいて窮屈でうまくやれないもどかしさがあって、これは切ないという言葉では表すことができず、靴擦れのような痛みと苦しみのようなものを感じて、苦みを感じた。痛みを伴って、物語は前に進むのだろう。
レム~~~!!!イタダキマスで食われる直前にIF出してくるのは反則やろ...、これレムは一度記憶を食われて周りからも忘れられて、ある意味一度死んでしまっているので、走馬灯として最後にもしもこうあれたらという深層心理が表れていると解釈するととても切ないです。もともと切ないんですが。
早くレムが戻ってきてほしいです。
映像にすると石上のつらさがよりダイレクトに伝わってきてつらかったが、こういう形の決着もあるのだなあと思わされた。