誰かを気にかける余裕なんてなくて自分の幸せを願うことしかできない絶望の世界の中に、自分じゃない誰かの幸せを祈れるような希望が生まれる物語。
誰かを想う「愛」が叶わないだけでも切ないのに、それが絶望に転じてしまうなんて哀しすぎる。そんな時に迷える子羊たちが絶望に溺れてしまわないように円環の理〈まどか〉が遠いどこかにいると信じたい。書き換えられた世界で記憶も朧気な彼女を想って戦い続ける暁美ほむらのように私も希望を信じつづける限り、あの桜色の魔法少女が傍にいてくれる。
割とマジで描かれている物全てに意味や元ネタがあるから、じっくり腰を据えて観ても全てを調べあげられる気がしない。
ただ、じっくり見た事で杏子の最期のシーンで一瞬だけさやかと一緒に映ってるのが観られたので良かった。
世界観の作り込みとそれに関する伏線張りが結構ガチ。オタクはループものに弱い。
唯一の友達は人を狂わせがち。
まどかはさやかとは親友だけど、ほむらとは友達なのが気になる。単に言葉のあや?最高の友達って言ってたし。
1月から始まるマギアレコードに向けておさらい、たとえ総集編でもとても楽しめました。そしてEDのKalafinaによる「ひかりふる」、ふつくしい…
永く孤独な戦いの果てに
TVシリーズの総集編の後編です。
人魚の魔女を倒したあとにお墓のシーンがありますが、ここは長い映画のために一息入れてくださいという休憩ポイントのためわざと入れてある閑話休題シーンだと感じました。
実際長い話ですので、このシーンの荘厳さがあるのとないのとではテンポに休憩がなくて観てて辛かったように感じました。
10話だけそのまま音声再録もなしで流したことにより過去のエピソードという強調がされていて良かったです。
10話部分の編集に手を入れる隙がなかったかもしれませんが、何度見てもほむらの過去話の構成は見事でした。
一見この総集編にみえるこの劇場版、実は本編の時系列にそのまま組み込むことが可能だと考えられるポイントがあることに気付いたであろうか。
至るところにあるTVシリーズよりきらびやかになった建物、新録されたセリフや演出は全て夢として、主観的にほむら自身によって盛られた描写には合理的な説明をすることができます。
EDではわざわざ魔女文字のテロップを用意し、流れるシーンの背景では現在進行形として複数の眼に囲まれて眠らされているほむらの姿を確認することができます。
この前後編は、実は暁美ほむらがある存在によって見させられている「夢」という解釈ができるのです。
本作は.総集編という体をとった紛れもないこれはTVシリーズの"続編"の映画です。
新しいことをやろうというスタッフの気概がこれでもかとこの総集編にも表れているところが素敵な映画でした。
後編公開時に、前後編続けて視聴(劇場のスケジュールが連続して見れるような上演だった)
Abema にて、前後編と視聴。