はい、これで太陽のエピソードも台無し確定。
なぜなら、原作第36話がほぼ全部カットされたから。これでは太陽がどういう家庭環境なのかも、なぜアニムス側についたのかも、今回の冒頭でなぜ界王軒にいたのかもわからない。つまり、太陽のドラマを構築するための土台が一切なくなってしまっている。太陽のエピソード、大好きだったんだけどな……。
4月の時点で太陽とロキの前にアニムスが現れたのもおかしい。アニムスは七つ目の泥人形の体内から現れるまではこの時代に顕現できなかったはず。こういう雑な改変は本当に萎える。
白道が夕日を自宅に招くイベントがなくなったのはちょっと残念。白道が夕日の願い事を聞く会話はあったので、物語上大きな問題ではないが。
太陽とマイマクテリオンが見た映画が原作とは変わっていたが、後の展開の伏線として機能しそうなので、この改変はよかったかもしれない。
もー戦闘シーンで突然面白作画を繰り出してくるのやめて欲しいわー。半月が三日月をさらった奴等を竜巻のごとく(には全然見えなかったけど)投げ飛ばすところとか。「なんで俺を尾行てたんですかね」の半月の空気椅子には声を出して笑ってしまった。東雲家の道場の畳のデカさもなかなか。
アニメのはずなのにマンガである原作よりもスピード感がないのは本当に不思議。夕日と三日月の決闘シーンなんか、原作の方が圧倒的にスピードを感じさせる。
さみだれが10体目を圧倒的な力で蹂躙するシーンも、原作に比べるともう全然。アニメでは「気が合うな三日月」の後になっているさみだれの着地と顔のアップは原作では「ああ…なんて美しいんだ…」の前で、さみだれの表情も夕日が見惚れるのも納得の素晴らしさ。対してアニメはぜーんぜん納得できる域に達してないんだよなあ……。さみだれに見惚れている夕日と三日月の表情も、原作は呆然としている感じなのだが、アニメは何故か二人とも口元が笑っている。表情のニュアンスを変えて良くなっているとは思えないのだが。
他にも原作とは表情のニュアンスが変えられている箇所は多数。無理に変えようとせず、なるべく原作の絵をそのままなぞった方が作画も良く見えると思うなー。
このエピソードをこんなふうにしかアニメ化できなかったスタッフは、誰よりも太朗と花子に謝って欲しい。
原作の太朗と花子のエピソードは、読み返す度に顔が上げられなくなるくらいボロ泣きしてしまうのだが、アニメ版を見ていても涙は一滴たりともこぼれなかった。特に戦闘シーンではいつも通り面白作画(婉曲的な表現)が目白押しで、それが目に入る度に作品への没入度が下がった。
あと、アニメを見ていて今回ほどAパートとBパートの間のCMが邪魔に感じたことはなかった。作品に集中していたいのに、容赦なくそれをぶち壊してくる音と映像。CMの時間が興味を煽ったり息抜きになったりすることもあるけど、今回はひたすら邪魔に感じた。
見ていてホロリときてしまったので、原作を読んだときの感情を喚起してくれるレベルには達していたのだと思う。
演出も作画も音楽のつけ方も見違えるように改善されたとまでは言えないが、さみだれと三日月の戦闘シーンはいい動きをしていたし、OPは前期OPのようにありものの素材だけでごまかすのではなくOP専用カットがあったし(普通のレベルになっただけではあるが)、EDはありものの素材とはいえ原作の絵を使っていて好印象だし、良くなったところは確かにある。
どうか次回も大きく外さない出来であってくれ。頼む……!!