正体不明な架空の鵺をテーマに情報の真偽性を扱うとはなんて面白い回!
自分の情報は正しいと訴える博士からすると、デコペディアの情報は偽物。でも世間は正しさを知らないまま博士の情報を嘘と定める
真偽性ではなく、どちらを支持するかという物差しにより情報の真偽が揺らいでいる
こうなると博士が主張する「デコペディアを誰かが書き換えた」という話も疑えてくるね。もしかしたら博士が支持する情報に反するから、異なる情報に書き換えられたなんて言ったのかもしれない
何処までも真実は曖昧。だからベリィ達が面白半分で書き換えた情報が支持されればブームとなり、黙示的に正しい情報になってしまう
博士の情報もデコペディアの情報も巷間の情報も真偽性が揺らいだ時に示されたのは昔の文献
その際にマダムが語る言葉は論理破綻しているように思えるが、あの言葉の真意は人がそもそも真実を信じないという点にあるのかな
だから文献は忘れ去られ、デコペディアが盲信され、ブームが真実に取って代わった
そして情報を信じてハックや自分を何の過去もない存在と主張してしまったベリィの誤り。「本当はこの目ン玉で見て決めるんだ!」と怒るハックが正しいように思われるけど、そもそも本作は幾らでも姿が偽られる島
本物に見える動物達だって見た目をデコった偽物のロボットでしかない。……まあ、だからハックは動物の匂いを気にしてたんだろうけど
結局、正しい情報とは偽りの情報とは何だったのか?
偽りで正しさを書き換えようとして別の偽りや正しさに負けた博士やロボットは被害者と言えるのか?
情報の正しさに踊らされるがあまり、真実に辿り着けず。それに不満を抱かず次の情報に踊り始める人々は何処へ行こうというのだろうね
正しさとは何なのか
UMAが好きならそれはそれでいいんじゃないのとも思うけど・・・
流行りバズりで消費され、耳触りのいい嘘が本物を塗り替える現代社会を投影した面白い回だった。
動物園からの依頼、「[ヌエ]を正しい情報にして欲しい」とのこと。
[ヌエ]の獅子舞っぽいブサ顔、僕は好きなんだが...
[主人公]達が遊び、[ヌエ]を変換するのはドラえもんとかパロってたな。
最終的に甘エビ風?が世界に拡散してしまう展開、[ヌエ]が天に昇るシーンがシュールで笑うw
誰にも暴かれたくない秘密があるってのは深い話、あと今後の布石かな?
遊んで依頼失敗かつ社会に影響は良くないな。...と思ったら[ヌエ]は仮想生物なので依頼通り行っても正しくない情報を拡散するのでダメというオチ。...実在した生物というこだわりあったんだ(←しっかり聞いてなかった?)
[博士]が[ヌエ]との別れ前に抱き締めるシーン。毛がフッサフサで気持ちよさそうだった。そして、データ抹消せず、一人で飼うぐらいなら良いのではと思ってしまう
次回の依頼登場が時間配分のため?唐突すぎて笑う
今回、「バズるデマ」みたいな社会問題テーマは良いが、物語として進展が無くなったのは辛い。...これって2クールやるの?
非実在の鵺を実在すると信じた博士。文献は過去の雑誌ぽかった。虚偽が真実で真実が虚偽。デジタル化してFakeNewsが広まり信じられる情報が真実となるのだ。
デコペディアも編集されて嘘情報が乗ってることがあるのか。
やっぱ本ソースとするのはダメだなぁw
横道にそれて本当に調べたかったものが後回しになるのWikipediaあるあるw
ドラぬえもん、ニャロヌエw
博士のヌエ可愛かったんだけどな…。
次に流行ったのがウーパールーパーてw
博士がなぜ鵺を作ったのかがわからなかった
それエミュ鯖構築ツールじゃなかったんだ…しかし今回の話はなかなか面白かった
ベリィは悪びれない、善悪の分別ができない子供か?ハックの仕返しw
情報消費が加速、フェイク情報、現代に通じるな
今回は色々含みがあって面白かったな
間違いがどんどん拡散されてしまってそれが浸透してしまうという SNS 時代の問題、そして正しさを追求することの残酷さ。
社会派だなあ。
過去の時代の文献ってどういう形で残っているんだろう。
ハックの過去を聞ける時も来るかな。
人口動物は博物館になるのね。ヴァーチャルじゃないから、これでもリアルになるのか。動物絶滅したのかなぁ。改変されたのがよりによって姿があやふやな鵺じゃな。本が残ってて良かったな。正しい情報を伝えることが正しいとは限らないか。
博士の声でゲラゲラ笑った
複数の解釈がある中で答えをぼやかした感覚があるから解釈に困るな ぼやかしたから浮かび上がることもあるが 逆につまりそういうことという構造の可能性もある
うーん…切りw
主人公2人がウザいのはさておき、話の進展が遅すぎる。今回ようやくこの作品のテーマに触れたけど、それも別にそんなに惹かれない。
無能なキャラが引っ掻き回す展開が最近どうも嫌いになった
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情報の扱い方への風刺回で正しいかしら?
・適当な情報(=ハックとベリィがふざけて作った鵺)も拡散されてしまえばそれがあたかも本当のようになってしまうところに皮肉がある。
・流行り廃りの速さも然り。結局その情報が正しいのか(=鵺が実在しないこと)を調べようともせず、なんとなく目に耳にするからで情報を扱っていることへの警鐘?しかも目にしなくなったら誰もが忘れてしまうのもあるあるだよな。
・正しい根拠として「実際に自分で見たもの(ハック理論)」vs「その人にとっての都合の良さ(ベリィ理論)」がぶつかっているのも、どっちが良いとか優劣付けられないよね。
この当たりを感じつつ、見終わってモヤモヤしてれば5話は正解なのではないかしら。多分スッキリする終わり方ではなかったと思う。結構めんどくさいテーマなので、ハックはただ文節を吠えるんじゃなくてちゃんと日本語を話して欲しいところ。
現代社会では情報の広がるスピードは早く、真偽がはっきりしないものも多く存在します。そんな情報過多な中で生きている現代の生活を風刺したエピソードだったように思います。
誤った情報であっても、多くの人が認識すれば真実になってしまうことや、そもそも真実とはなんぞやという事を考えさせられました。
例えば、俺が考えるデートコースを披露するバラエティー番組でがあったとします。
披露するのは爽やかイケメン俳優と気持悪いが売りのお笑い芸人です。
イケメン俳優は、いかにも女性ウケしそうなデートプランを披露し女性陣から黄色い声援が飛び交いますが、
お笑い芸人は、ダメな典型のようなプランを披露してツッコミを入れられながらも、番組を盛り上げます。
イケメン俳優の高感度は上がり、お笑い芸人はやっぱり気持ち悪いと蔑まれて番組が終わります。
さて、ここでの真実は何でしょうか?
もしデートプランは番組の作家が作ったもので、イケメン俳優とお笑い芸人が、さも自分が考えたかのようにしゃべていただけであればどうなるでしょうか?
イケメン俳優のファンであれば「流石イケメン俳優、わかってる〜」とそのまま素直に受け入れるでしょうし、
お笑い芸人のファンであれば「イケメン俳優の引き立て役おつかれさま」と同情する人もいるかも知れません。
面白い番組を求めている人であれば、ただ笑えればそれで良いという人もいるでしょう。
結局のところ、受け手側の個人個人が何を信じたいか、何を求めているかで真実が決まるように思います。
もしイケメン俳優が本当は女たらしで浮気している奴であるならば、一般に「真実」とされている爽やかさは「間違い」になりますが、
それを信じたくないイケメン俳優信者にとっては「爽やかさは『間違い』」ということが「間違い」となってしまいます。
マダム44の「真実は間違いで間違いは真実。そして間違いが間違いで真実が真実だってこと」というセリフはそんな事を言いたかったのかもしれません。
結局、一般大衆の大きな流れとして、何を真実とするか、何が正しいかを決めるのは難しい事のように思います。
大事なのは一人ひとりが、しっかりと考え真実を判断することにあると思います。その判断の積み重なりが、大きな流れとしての真実になると思います。