第9話は、作品のバックボーンと今後の目指すべき頂点が一度に明かされる、まさに情報密度が凝縮された回でした。
これまで物語を包んでいた優しさの裏には、ひまわりサーカス団長・マリアが抱える過酷な事故の過去と脳下垂体損傷という身体的代償があった事実に胸を締め付けられます。しかし、だからこそ「笑顔を失った子を救う」というひまわりサーカスの設立理念に説得力が宿り、ブラック・ロータスから受け継いだ意志の重みがダイレクトに伝わってきました。
また、皇グループによる買収危機という窮地に対し、受け身にならず「世界最大の大会で優勝して賞金で解決する」と一丸になる団員たちの意気込みも熱いです。そして何より、その命運を託す新団長として瑞香が指名される展開となりました。
過去の救済から未来の証明へ。個人や団のドラマが見事に噛み合い、クライマックスに向けた決意と熱量が最高潮に高まる、実に見事な構成でした。
手打ちそば屋が警部と交わした約束の日に「この野郎、窃盗犯だ!おめぇ大木屋の味を盗みやがったな!」という警部の台詞とともに、手打ちそば屋が味を「盗む(パクる)」ことに成功し、同時に営業許可証も「盗む(貰う)」というオチ・構成も素晴らしい。
初めて『美味しんぼ』を視聴しました。
主人公・山岡士郎の手打ちそば屋の店主を傷つけないように配慮した根回し、そして蕎麦の味を教えてくれた大木屋の大木一造さんが手がける優しく世界でした。主人公が蕎麦つゆの味を独学で模索する手打ちそば屋に対して放った「あそう、でも時間がないぜ」の言葉が、聞いた直後と蕎麦つゆの味を教えてくれた大木一造さんとの絡みの後で違った意味になるトリックが美しいエピソードでした。
「私、本当の愛なんかいらない。明日もあなたがいる世界にいたい」
200年の時を経て琵琶湖で巡り会ったララの答えは、抽象的な「愛」ではなく「大切な人と明日を迎える」という切実な生への渇望でした。この直球なセリフに彼女の本質が集約されています。
童話の呪縛を力強く解き放ち、一人の人間として明日を選び取った見事な最終回でした。
これまでのアニメの枠を超える文句なしの傑作です。
この作品の魅力は、アニメ(映像)になったからこそ伝わる表現の深さです。セリフや画面の絵だけで説明しすぎず、あえて「余白」を残している。だからこそ、絵とセリフが重なったときに「言葉のうしろにある本当の気持ち」が伝わってきます。説明に頼らず、空気感や間で魅せる演出がお見事です。
また「お酒」をきっかけに少し気がゆるみ、人の弱さや儚さがふっとあふれ出る瞬間を切り取るのも上手い。ストレートな言葉を使わなくても、映像の力でキャラクターの心をしっかり描き切っています。
オープニング映像よく見たらピアス空いていました。
結婚ではないにしろ、これもう終身の盟(しゅうしんのちかい)ですかね。
本当にありがとうございました。
昼はしがない接客業の「山田さん」、夜は煙草をくわえた奇抜な装いの「田山」。表と裏の顔を巧みに使い分けながら進む日常のストーリーラインは、最後までぶれることなくその軸を貫き通しました。一見するとシンプルな構図でありながら、この設定を崩さずに描き切った構成力の高さには惜しみない称賛を送るべきでしょう。
本作の面白さは、単に喫煙所で無駄話を交わすだけの日常系作品にとどまらない点にあります。背伸びした奇抜な格好の裏に、等身大の優しさと少しの不器用さを覗かせる田山というキャラクター。彼女が醸し出す絶妙なエモさと尊さは、観る者の心をじわじわと掴んで離しません。派手な事件が起きずとも、漂う空気感そのものに強い魅力と抜群の安定感があり、いつでも安心して浸れる心地よさがあります。
そして、物語を締めくくる最終回での佐々木の言葉が、本作のすべてを物語っていました。
「知人というほど遠い距離ではない気がするし、友人と名乗るには知らないことがたくさんある。はたから見ると吹けば消えてしまうような関係かもしれません。でもあの子は俺の背中が情けなく縮こまっているとき、必ず「なんてことないよ」と背中を押してくれる子です。」
恋人でも友人でもなく、明確な名前すらつけられないふたりのあいまいな立ち位置。けれど、お互いの存在が確かに救いになっている——そんな曖昧で愛おしい距離感を画面越しに見守り、尊さを噛み締めることこそが、本作の一番の醍醐味です。