サービス開始日: 2023-06-02 (1106日目)
前知識もほとんどなく、なんとなく観てみた第2話。
観終わった今、温かくて切ないストーリーの余韻に包まれて、じんわりと目頭が熱くなりました。
描かれていたのは、信仰が薄れ、人々に忘れ去られていく小さな神様「露神(つゆかみ)」と、彼をただ一人参り続けたハナさんという人間の物語。
「お参り」とはどういうことなのか。それは単なる習慣やお願い事ではなく、そこにいる存在を「想い、心を寄せる」ということなのだと、この話に深く教えてもらいました。
人と妖(あやかし)の、目には見えないけれど確かにあった深い絆。
観終わったあと、なんだか心が温かくなる、そんな名作です。
…よし、今年の盆は墓参りに行くか。
旧作『鋼の錬金術師』は7話まで視聴している状態で見ました。
第1話は、国家錬金術師の任務という、物語がある程度進んだ段階からスタートします。あえて最初から人体錬成のエピソードを描かないことで、エドのオートメイルやアルの身体に関する「謎」を視聴者に強く印象付ける、非常に上手い切り口だと感じました。
また、氷結の錬金術師が戦闘中に放った「国が何を考えているのかを知っているなら、俺が今やっていることも理解できるはずだ」という謎めいたセリフも、今後のストーリーの深みを予感させる見事な伏線になっています。
作画に関しては、旧作よりも鮮やかで現代的な絵柄になっているものの、しっかりと「ハガレンらしさ」を残している点が素晴らしいです。
以前からのファンには「おかえり」と言いたくなる安心感を与え、新規ファンには「これから何が起こるのだろう」とワクワクさせる、いい第1話だと思います。
『鋼の錬金術師』を語る上で、絶対に避けて通れないのがこの第7話です。多くの視聴者に強烈なトラウマを植え付け、同時に「この作品は本物だ」と確信させた、物語の方向性を決定づけるエピソード。
この回が恐ろしいのは、タッカーが単なる「狂った悪人」ではなく、成果を出さなければ居場所を失うという「追い詰められた人間の弱さ」を描いている点です。
前半のニーナとアレキサンダーの微笑ましい日常があるからこそ、後半の絶望が何倍にも膨れ上がります。
「等価交換」や「命の錬成」という本作のヘビーなテーマが、一気に牙を剥いて視聴者に襲いかかってくるエピソード。ただの勧善懲悪では終わらない、ハガレンの凄みが詰まっています。
とにかくモニカが可愛い。
ストーリーがあるが正直どうでもよい。
小動物のようにおどおどしているのに、やる時はバシッとやる。このモニカのギャップを愛せるかどうかが、本作を視聴継続する最大の鍵です。
あと、思わぬ収穫だったのがフィボナッチ数列。かつて『エレメントハンター』で元素周期表を覚えたように、この作品のおかげでフィボナッチ数列が自然と頭に入ってきます。10番目はごーじゅごーひきーです。
私自身、囲碁のルールは「石を囲ったら取れる」くらいしか知らない状態で見始めましたが、結論から言うと知識ゼロでも面白いです。
『ヒカルの碁』を語るうえで、やはり欠かせないのはそのストーリー。
囲碁の名門に生まれた天才少年・塔矢アキラの前に、突如現れた前髪金髪のガキ――それが主人公の進藤ヒカル。なんとなく対戦してみたら「こいつ…できる!」となる初期の展開は、今観ても最高にアガります。
なのに、当のヒカルは囲碁にさっぱり興味がない。その圧倒的な才能(実は佐為の力)を持ちながらなぜ無関心なのかと、アキラが激しく葛藤し、問い詰めていく熱い展開も最高です。クソ真面目ゆえに狂わされていくアキラですが、そんな彼の囲碁に対する真っ直ぐな志や人間性に、視聴者はどんどん惹かれていくのだと思います。
一方のヒカルは、守護霊(藤原佐為)の言う通りに打っていたらアキラに一目置かれるようになります。しかし、アキラが見つめているのは自分ではなく背後の佐為。その事実に気づいたヒカルが「俺自身を見てくれ」と言わんばかりに、あえて突き放すような態度を取るツンデレっぷりもたまりません。物語の終盤、ついに守護霊の影ではなく「進藤ヒカル自身の碁」としてアキラに認められる展開は本当に鳥肌モノです。
そして作中の桑原のジジイの名言「囲碁は二人で打つもの」。どんな競技でも名勝負と呼ばれる試合は、お互いが強い者同士だからこそ成立するのだという本質を、この言葉に気づかされました。
ただ、アニメの全75話はさすがに少し長く、正直「アニメ向きの題材ではないのかな」と薄々感じてしまう部分も。碁盤を俯瞰で見せる演出などは面白かったのですが……。
あと、本編後の「GoGo囲碁」のコーナーは、次回予告のワクワク感がすべて消え去ってしまう気がして、個人的にはいらなかったなと思います。