サービス開始日: 2025-09-14 (179日目)
一週間劇場限定上映とのことで2回目の視聴。
内容は一度見て知ってはいたものの、映画館という特別な環境で見られてよかったと思う。映像や音響をより高いレベルで見られるというメリットもあるが、気を散らす要素を排除して作品に集中できるのが映画館の良さだと私は思う。
ノベライズ版を履修してから2回目を見ると決めていたが大正解であった。アニメーションとノベライズは表現技法が異なるので同じ物語でも得られる情報が異なってくる。両方楽しむことでより一層作品の解像度が上がるのだ。ノベライズ版は彩葉視点で物語が展開されるところ、アニメーションでは拾えなかった感情や描写を拾うことができた。そうしたものを踏まえて2回目を視聴すると楽しさが何倍にもなった。
また、単純に本作は2回目を視聴することで味わいが増す作品なので1回目とは異なった視点を持ちながら楽しむことができた。一つ一つの言葉や表情に1回目では分からなかった意味が乗ってくる。音楽にも当然意味が付与されるのでメロディーを聴いただけで涙が出てくる場面も多かった。劇場で啜り泣く音が聞こえてきたのも納得。
2回目みて改めて思ったのが視聴者が不快となる要素が限りなく排除されており、前向きで明るいエネルギーに満ち溢れた作品だということ。自分はハピエン厨と呼ばれる性質を持ち合わせていると自負しており、不穏な展開を作って物語に波を立たせるのはあまり好きではない。ひと昔前まではハッピーエンドはご都合主義とも言われあまり肯定的に受け取られないこともあったように思うが、こうした前向きでエネルギッシュな作品が肯定される時代になったと思うとなんだか感慨深い。
リバイバル上映にて初視聴。文句なしの名作。
涼宮ハルヒの憂鬱は涼宮ハルヒの消失に進むための序章と言っても過言ではない。エンドレスエイトを何度も見て苦しんだのも無駄じゃなかった。あの苦しみが消失に深みを持たせてくれる。消失を見たことによって憂鬱を今後見返すときには初見とは別の視点で楽しむことになりそうである。長門への向き合い方が全く違ってくるだろう。
タイトルからハルヒが居なくなることは想定できたが、まさかその原因を生み出したのがハルヒではなく長門だとは思いも寄らなかった。エンドレスエイトにおいて15000回以上も類似する日々を一人で耐え忍んだと言う事実があったため、長門には使命が最も重要なもので感情は欠落しているものと理解していた。そんな長門が期待や憧れという感情に導かれて世界を変えてしまった。この時点で長門への愛しさが爆発しそうなのであるが、更にその感情には明らかにキョンへの想いが含まれている(恋愛感情かどうかが定かではないが、ハルヒを物理的に他校へ遠ざけている点から恋愛感情である可能性が高いと考えられる)。キョンは元の世界に戻るか変質した世界に残るかの選択肢を長門が残してくれた述べていたが、あの背景はキョンに自らのことを選んで欲しいという長門の想いに他ならないと思う。キョンと結ばれる世界を用意することもできたはずなのにしなかったのは乙女心的なものがあったのだろう。ハルヒを観察していたことを鑑みればハルヒの感情の機微をトレースしたという可能性もあるか。
そんなこんなで話は進んでいくが、結局キョンは元の世界を選んでしまう。ここはキョンのハルヒへの想いを明らかにした重要なシーン。「俺はハルヒに会いたかった」は名台詞である。これも含めて憂鬱は消失のための物語だったと感じた次第である。
消失の中で特に印象に残っているシーンは2つ。
1つ目は、病院の屋上で雪が降ってくるシーン。キョンが長門の名前を呼んだのように一瞬思うものの、雪が降ってきていたことに対するリアクションであり目線は長門ではなく空に向かっている。このときの長門の顔の動きや表情がなんとも言えなくて心がギュっとなった。
2つ目は、世界改変直後に朝倉がキョンを襲ってくるところ。ここでの朝倉は長門によって役割を設定されているはずなので、長門を害する者から守るという朝倉の行動は長門自身が望んだことと考えられる。すなわち、長門は文芸部でキョンと過ごす世界を望んでおり、その世界を脅かすものを排除してでも当該世界に残りたいと無意識下に思っていると推測される。これを踏まえると前述のキョンに世界線を選ばせたシーンにおける長門の想いは一段と重く感じるところである。なお、ここで襲われているキョンは長門が創り出した世界のキョンではない(=別の時間軸)から襲われているのだろう。
という感じで非常に良い作品でした。リバイバル上映がなければハルヒシリーズを観てなかった可能性が高いので良い機会に恵まれて良かったです。