今回は戦闘は控えめで2章のような激しさはなく、どちらかと言うとレビューのタイトル通り「クライマックスへの繋ぎ」といった感じの回。ラストへ向けた伏線や次章の戦いに続く展開、そしてwZEROの面々の日常で構成されており、次章を楽しむためには決して見逃せないエピソードであると思う。
1章で補給部隊に左遷されたアノウの嫌がらせから始まる日常エピソードは、wZERO部隊のキャラを掘り下げるのに役立っていたと思う。
2章でもwZEROの面々のプロフィールに関しては掘り下げられていたので決して今までが描写不足、ということはないのだが、正直2章から一年も経って各キャラの個性も半分忘れていたし、日常パートはありがたかったし面白かった。主要人物二名だけでなく、リョウ・ユキヤ・アヤノがより深く、魅力あるキャラに見えた。
特にレイラとアキト、この主要人物二人の過去が明かされたのは大きい進展ではないかと思うし、「何故シンはヒュウガ家を全滅させ戦乱を目論むのか?」という伏線にも繋がっている。
掘り下げられるのはwZERO側だけでなく、ユーロ・ブリタニア内部も怪しい動きを見せる。
やっぱりと言うか洗脳が不完全なジュリアス、シンに痛いところを突かれるスザク、そしてジュリアス排除を狙い、Eブリタニア全体に戦いを促しいよいよ動き始めるシン。次章に向けて大きく物語が動いた感がある。
「アキト」のキーパーソンの一人であるシンに秘められた謎や、唯一シンの刺客から逃れたファルネーゼ、何故か北海に異動(?)させられ、次回予告では新ナイトメアを与えられているアシュレイ、EU内部でクーデターを企てるスマイラス、そしてそんなスマイラスの前に現れた、ギアスとの関連を思わせる「時空の管理者」なる謎の存在と、新たな伏線もバッチリ引いている。
戦闘シーンはいつも通りのハイクオリティ。オレンジの技術力で動く3DCGのランスロットはまさに怪物!今回、戦闘シーンはランスロットvsミカエル騎士団の一戦だけだが、サザーランド相手に見せるスザク無双は見所。
そしてもう一つの見所は、物語前半の日常シーンで見られるレイラとアヤノのサービスシーン。パイスーにドレスと、露出度の高いカッコはキムタカの真骨頂!
特に中盤のダンスシーン、アヤノの乳揺れ描写にはスタッフのコダワリを感じた。あの服の内側で「ぷるんっ」と揺れるのを見て「スタッフはわかってるなぁ」と思った(スパロボよろしくばるんばるんオーバーに揺れるのもまぁ嫌いではないのだが)。
今回も安定の出来。大きく物語が動くであろう第4章が楽しみでならない。
大きく分けると、PVでも主に宣伝されていた飛空艇内部でのワイヴァン隊vsアシュレイの激戦を描く前半、そしてワイヴァン隊不在のヴァイスボルフ城に対する、シンが率いるEブリタニア騎士団の奇襲攻撃を描く後半で構成されている。
前回のラストで「箱舟を追撃する」というところで終わっているため、開始数分でスピーディに箱舟にワイヴァン隊が突入し、アシュレイらと激戦を繰り広げる。
箱舟内部の足場をキモい動きで飛び回り敵を撃破していくアレキサンダ、そしてそれに対するアフラマズダの戦闘シーンは、劇場の画質と音響も相まって見ているだけでテンションが高まる。ギアスの力で暴れに暴れまくるアキトを見ているだけで、劇場まで足を運んでよかったと思えるほどだった。
そして中盤~後半は「箱舟」追撃で手薄となったヴァイスボルフ城を奇襲するシンと、wZERO内部のドラマが描かれる。
ナイトメアとしては異例の馬の如き四足歩行で荒れ地を踏破し、障害を鮮やかに取り除いていくウェルキンゲトリクスのアクションも見どころだが、今まで裏方に徹してきたクラウスの掘り下げと活躍も面白かった。最近の作品には少ない「オッサンキャラならではのいぶし銀的格好良さ」は良かった。
レイラを捨て駒にしてEU掌握を試みるスマイラス、レイラの左目に宿る謎の「青いギアス」、幽閉されたルルとスザク、そしていよいよ語られるシンが戦乱を起こそうとする動機など終盤に向けての伏線もがっちり固められ、否が応にも最終章への期待が高まる。
終盤でのワイヴァン隊の帰還、兄の束縛を振り切るアキト、そして新曲「アルコ」と共に流れるエンディングもよかったと思う。
ただ、アッサリ寝返ってwZEROについたアシュレイには違和感があった。一応「勝手に捨て駒にされたのがムカつく(意訳)」という理由はあるのだが、あそこまでアキトを敵視してた奴がいきなり好感度マシマシで仲間になってしまうのには違和感がある。
また、「どうしてあの爆発からワイヴァン隊とアシュレイが生き残れたか」が全く描かれていないのも気になったが、これは多分最終章の序盤あたりで補完されるだろう(多分)。
後は第1章から思っていたことだが、やっぱりこの章でも寡黙なアキトのキャラと心情はわかりにくい為、ちょっと頭を巡らせる必要がある。過去の章のことを思い出さないと、序盤でのアキトの不殺行為の意味などがわかりにくい。
かくいう僕も序盤の不殺に関しては、初見では「いや、お前第一章でガンガン人殺してたじゃん、今更すぎない」と思ってしまった。
また、「スマイラスがレイラに市民の沈静化を頼む」→「レイラの演説で暴徒が沈静化&団結」→「スマイラスがレイラの死を偽装して市民の怒りを盛り上げるのに利用する」という流れは性急だったように思えた。いくらレイラが政治家であった父・ブライスガウの娘であるとはいえ、一回の演説でいきなりあんなカリスマ性を発揮してしまうのにも違和感を感じた。
正直モヤッとするところもあったが、本作も安定の面白さ。
残すは決着の最終章のみだが、そこで「亡国のアキト」に対する最終的な評価が決まりそうだ。
ファン待望の最終章だが、「よくわからない」というのが正直な所。今までの章も説明不足だったり展開が端折ってある部分がちょっとあってモヤモヤしていたのだが、今作でその「悪癖」が顕著に出てきたように思える。
尺の短さもあってか今まで以上に展開は速く、描写は抽象的で、さらに小難しいSF的解説も入るのでかなりややこしいことになっている。最終章なのに、綺麗にまとまっていない。
この問題を悪化させているのが、3章で登場した「時空の管理者」を筆頭とする「ギアス」関連の設定だ。3章ではスマイラスの関係者のように見えた彼女は、今作ではレイラの元へ現れ「意識の集合体」を自称、唐突に「ギアスの力は人間には重すぎる」「でもそうではないかもしれない。だからレイラが暴走したシン(≒ギアスの重さに耐え切れなかった者)を止められるか見て人類をどうするか考えるよ」と宣言する。
これが話をややこしくしている。最終章なのに、むしろ謎を増やしている。
意識の集合、という言葉は本家ギアスの「Cの世界」「神」を思わせるが、関連性は語られない。ギアスを人類に授けたと示唆する台詞があるが、これも明言はされない。何より何故レイラのもとにだけ現れたのか、本家ギアスでは何してたんだという疑問が生まれてしまった。
加えてギアスの力は本家ギアス以上のオカルトっぷりを発揮し、「ブレインレイドシステムの『共鳴』がアキトとシンを現実世界から物理的に消滅させ、精神世界らしき別空間に送り込む」「死者の意思を現実世界に表出させる」などやりたい放題だ。万能すぎて世界観から乖離していて、興ざめだった。
確かに本家でもギアスやCの世界関連の設定はやりたい放題な感じがあったが、それらはキーポイントの1つではあったが物語の本筋ではなく、物語の結末(ゼロ・レクイエム)に関わってくることはなかった。だが、本作ではそれらがガッツリ物語に絡んで、結末にも影響する存在感を持つ。それも、いきなり最終章で新設定がどんどん出てくる。
総じて「もうちょいシンプルに出来なかったもんか」というのが正直な感想。
そのくせ、細かい部分は説明を省いていて、わけのわからなさを加速させる。
作中の時間経過は具体的にどうなっているのか?
レイラの持っていた「ギアスの欠片」とは?
幼少期のアキトはどうしてシンのギアスを実行できなかったのか?
シンにギアスを授けたのは何者なのか?
アシュレイの専用アレクサンダはどこから出てきた?
スマイラスは結局時空の管理者をどのように「謀った」のか?
これらの一部は設定で語られているらしいが、疑問は残る。何より、こういうことこそ本編で語れよ、と思ってしまう。謎の精神世界ワープをランドルにメチャクチャな理論で解説させることが、本当に大事なことだったのか?
戦闘シーンは相変わらず素晴らしいが、4年の間に地上波アニメのCG技術も進歩したせいで見慣れてしまったのか、驚きは薄れてしまった。2章の市街戦、3章のランスロット無双、4章の「方舟」での三次元的な戦闘と比較すると、どうもインパクトが弱い。
結論すると、「全5章の有終の美を飾れた」とは言い難いと思う。つまらなかったわけではない。戦闘シーンだけでなく、面白いと思える所、面白くなりそうだと感じたところはたくさんあったし、色々言ったが最終章もグッと来る場面はあった。
だが、それ以上に粗と説明不足が目立ってしまい、物語にのめり込めなかった。最終章だというのに、疑問ばかりが頭に残ってしまい、すっきりしなかった。
感想を一文でまとめるとすれば「映画という媒体に『翻訳』された虐殺器官」。原作から大小の要素をオミットし、原作の核であったクラヴィスとジョン、ルツィアの物語に焦点を絞ることで、見事、約2時間の尺に難解な物語をシェイプアップしている。
情報量削減の結果として話もかなりわかりやすくなっており、大筋のわかりやすさは間違いなく原作より上。昨今のアニメ映画と比較すると難解な言い回しやセリフ(特にジョン・ポール)は多いが、それでも最終的にはジョンが何のために虐殺を扇動したのか、そこにどんな心情があったのか、という「オチ」は理解できるようになっている。
情報量の減らし方がProject-Itohの前作「ハーモニー」と比較すると巧みで、「説明的」な感じが軽減されているのもグッド。ハーモニーと違い後述するSF的な戦闘シーンもあるので、退屈さはあまり感じなかった。
見るべきは見事に映像化された作中のSFガジェットだろう。
侵入鞘、フライング・シーウィード、痛覚マスキング、オルタナなどのビジュアルはほぼ原作読者のイメージ通りと言ってよく、見た目にも面白い。
特にインドでのジョン・ポール確保作戦のくだりは最大の見所。シーウィードからの侵入鞘での降下、侵入鞘の銃撃、落着後、機銃をドローンとして切り離し速やかに腐食し始める鞘、ファーストパーソン・シューティングのような主観視点での少年兵との戦い、そして痛覚マスキングと感情調整の効果を端的に示すリーランドの死に様など、「原作のビジュアルの再現度」という点では1ミリの文句もない。
しかし、原作の読者からすると「情報力の削減」がマイナスに働いている部分も多いと感じた。
その最たる例が主人公のクラヴィス。クラヴィスは原作だと「両親を失い、しかも脳死状態の母親の生命維持装置は自分で切った」など重いバックグラウンドがあり、自身もそれに関して罪の意識を感じているほか、そのトラウマをきっかけに「死者の国」のイメージが脳にこびりついている、という設定がある。だが、映画版ではそれらがすべてなかったことにされており、ただの「いち軍人」的なキャラクターになっている。
ルツィアに関しても「クラヴィスが罪悪感に対する『赦し』をルツィアに求めていた」という描写がカットされているほか、好意を抱く過程もやや性急な感がある。
クラヴィス関連の設定の簡略化もそうだが、やはり原作読者としての最大の不満は、原作ラストでクラヴィスが行ったことをあくまで「示唆」にとどめ、明確に描かなかったこと。一応、原作の知識があり、かつ描写を見れば「恐らくクラヴィスは原作と同じことをしたのだろう」と想像はつくのだが、あるとないとでは大違いだ。
「屍者の帝国」のように、「ああ、スタッフロールの後であのシーンが挿入されるんだろうな…」と身構えていただけに、かなり肩透かし。
総評すると、原作読者的に文句がないと言えば嘘になるが、情報量の多い原作を破綻なく映像化したことに関しては素直に素晴らしいと思う。原作に、ひいては伊藤計劃の作品群にご新規さんを呼び込むにはぴったりだろう。
ハリウッドで実写化も決まっているらしいので、そちらにも期待。
『牙狼アニメシリーズ』『ゾンビランドサガ』などの作品を手掛けてきたシリーズ構成・村越繁氏らしい堅実な面白さ。しかし原作未完ゆえの露骨な「俺たちの戦いはこれからだ!」ENDは、心のどこかで予期していたとはいえがっかり。
アニメを機に原作を現在2巻まで読んだものの、現段階では全体の構成やキャラの描写は正直アニメ版が勝っている印象。1~2話で擬神兵の全盛期の活躍と、シャールとジョン・ウィリアムの交流を描いた前日譚を描くことでキーパーソンのハンク・シャール・ケインに感情移入しやすくなっているし、前半のミノタウロス・ベヒモス・セイレーンといった擬神兵にクローズアップしたエピソードも、アニオリ描写の追加が全体的にプラスに働いている。
個人的に改変で一番よくなったと思ったのがシャール。原作だとコメディ描写もあって、よくある「世間知らずのお嬢ちゃんヒロイン」の範疇に収まっているのだが、アニメ版ではハンクに自分から同行したり、擬神兵と積極的に関わろうとしたりと、2話のジョンとのエピソードもあって「意思の強さ」をしっかりと描けていて好印象。スプリガン編でハンクに一発しか撃てなかった銃を、蘇ったニーズヘッグやガルムに対しては覚悟を決めてしっかりとした姿勢で全弾発射している、という描写もベタだが対比になっていてGOOD。
一方で、1~2話のアニオリやシャールの覚悟決めをニーズヘッグ蘇生の回に持ち越した弊害で薄味になってしまったガーゴイル編など疑問に思う回も。そして先も言ったように謎が全く解決されない打ち切りエンドに不完全燃焼感が残る。作画も前半は良かったものの、後半になるにつれて若干のっぺりしてしまい見応えが薄れたのもマイナスポイント。
【総評】総じて「原作の販促アニメ」の域にとどまる作品ではあるが、決してつまらなくはなく小粒だが楽しめた。個人的には一番の参入障壁は「歌い手」出身で非常に癖のある、まふまふ氏の歌うオープニングテーマかもしれない(笑)。2期があれば見る。
見終わってまず感じたのは「予告に騙された!」と言うことだ。当然だが予告編はかなりの情報統制がされており、わかるのは物語の大筋程度で、キーポイントとなる部分はすべて隠匿されている。
予告を見た時点では「アンジェラほかディーヴァの勢力vsフロンティア・セッター」という物語全体の構図を予想していたのだが、それは見事に裏切られた。深いネタバレになるので多くは書かないが、フロンティアセッターの正体含む中盤~終盤の展開は見る前は全く予想できなかった。この辺りはさすが、過去作でも驚きのギミックを脚本に盛り込んできた虚淵氏らしいな、と感じた。
見所はやはり3DCGで描かれた世界だ。
「蒼き鋼のアルペジオ」「聖闘士星矢LoS」など日本でも3DCG主体のアニメが普及してきたが、本作もそれらに勝るとも劣らないハイクオリティを実現している。
特に感動したのがキャラクターの描写だ。様々な部分で見られる人間らしい所作、コロコロ変わるアンジェラの表情、しなやかな格闘シーンなど、CG特有の「硬さ」を感じさせない動きが素晴らしい。アルペジオと同じく、2次元的キャラの「らしさ」を3Dに落としこんでいる。
トランジスタグラマーなアンジェラは多彩な表情もあって可愛く、そしてエロい(重要)。しかも戦闘外骨格アーハンのコックピットはバイクの座席のような構造なので、乳揺れも尻も思う存分拝める。ありがたやー。
予告でもその姿を見せていた戦闘外骨格アーハンのバトルシーンも鳥肌モノ。特にラストの市街戦は「かっこいい」の一言。
シナリオに関しては、ロードムービー風味の序盤~中盤、そしてフロンティアセッターと接触し、ディンゴらと共にアンジェラがディーヴァから離反する後半以降、といった構成。
ロードムービー風の前半は地球の環境や、生身の体(マテリアルボディ)の不便さに戸惑うアンジェラを描きつつ、フロンティアセッター探索の旅を描く。旅の中でのディンゴとの日常描写はいいのだが、人によってはここでダレるかなー、というのは感じた。
刺激のある戦闘シーンは最序盤のアーハン無双を境になくなってしまい、後半まではわかりやすい娯楽シーンがなく、ディンゴ・アンジェラの会話劇とフロンティアセッターの探索で話を引っ張る形となるのだが、これを楽しめないと辛いかもしれない(実際寝ている人がいた)。
しかし、そこはグッと我慢。楽園追放の見所はフロンティアセッターの真意が判明してからの、後半からクライマックスへの怒涛の流れだ。そこからの見所は多い。アンジェラの駆るニューアーハンvs宇宙戦闘機とのハイスピードバトル、ディーヴァが差し向けたアーハン部隊との決死の市街地戦、三者三様の「仁義」をめぐるドラマと、楽園追放の魅力がぎっしり詰まっている。
NARASAKI氏の手がける音楽も相まって、後半は鳥肌が立ちっぱなしで息をつく暇もない。
先も言ったように、予告では隠された驚きのシナリオ展開、単純な善悪の話にとどまらないドラマは、ここ数年の虚淵氏の集大成にも思えた。
上映している映画館が少ないのが悔やまれる、「ヲタク向け」にとどまらない名作。
「虚淵玄なんて鬱シナリオしか書けないんでしょ」と侮る無かれ。アンジェラ、ディンゴ、そしてフロンティアセッターの物語は、充実の約2時間になるはずだ。
前半60分は、新規カットと新曲『Blue Snow』によるオープニングと、群像とイオナのナレーションを交えてのTV版全12話の総集編。最終回の暴走コンゴウvs「蒼き鋼」のバトルを軸にまとめている。
しかしいかんせん12話を60分にまとめるのには無理があったのか、かなり端折って話が進む。総集編というよりは「TV版を見た人向けの『これまでのおさらい』」の域は出ないため、ちょっとご新規さんにはつらいものがあると思う。
多いので全て挙げるとキリがないが、具体的に削られた部分の例を挙げると
・1話のナガラ戦、SSTOのくだりはカット。振動弾頭の輸送依頼を既に受諾した状態から話が始まる
・VSタカオ、VSキリシマ&ハルナも大幅短縮。TV版の戦略的なバトル描写は全カット、要点だけを取り出して再構成
・蒔絵とハルナ・キリシマの邂逅後の、刑部邸関連のエピソードや、硫黄島関連のエピソードはイオナのナレーションでごまかしながらほぼカット。このため、ヒュウガのイオナLOVEな部分やタカオの群像への愛、キリシマ&ハルナのキャラがいまいち伝わりにくい
・↑に関連して、蒔絵の薬関係の設定は消滅
・蒼き鋼メンバーとコンゴウの会談もカット。海辺でのキャッキャウフフシーンが名残として残っている
このように色々犠牲にしているため、正直TV版を見た人にとっては前半はあまり価値がない。ご新規さんも「何で軍艦が女の子の形をしてるの?メンタルモデルって何?」「主人公たちは何の目的があって霧と戦ったりしてるの?彼らは何者?」「タカオやハルナは簡単に離脱してるけど、霧の艦隊って人類の敵じゃないの?」などの疑問が拭えないと思う。
ぶっちゃけ、TV版の概要を理解しているなら前半部分は寝ていても何ら支障はない。だが、劇場の音響による甲田雅人手がけるBGM、そしてSEは聴き応えがある。
新規パートの後半40分はTV版のその後を描く。沈んだ402のユニオンコアの回収、タカオ・ヒュウガの水着&コメディ、人類の霧の艦隊への反撃、「生徒会長」ヒエイとのバトル、そして千早翔像の登場などで構成される。
蒔絵とハルナたちの日常、タカオ&ヒュウガの漫才めいたコメディと眩しい肢体(ちょっと固い動きだけど乳揺れもちゃんとあるよ!)など、TV版の「その後」が見られただけでも十分嬉しいのだが、TV版同様の、緊迫感あるヒエイとの交戦、そしてヒエイとイオナたちの、今後の伏線にもなる対話は見所で、次なる劇場版「Cadenza」への期待を抱かせてくれる。
原作とは違う道を歩む「アルス・ノヴァ」だが、どのような結末を迎えるのかが非常に楽しみである。
だがこれ単体で見ると、やはり「原作orアニメを見た人向けのおさらい+α」の域は出ない作品だと思う。これを見て「わけわからん」とおもった初見の人は、是非TV版を視聴してほしい。
シナリオはやや粗はあるものの(後述)、燃え・萌えを手堅くまとめているし、クライマックスの盛り上がりも素晴らしい。
プロローグのヤマトVSムサシの戦い、ヒエイ戦で深い傷を追った401を追撃するアシガラ&ナチ、群像の命を受けて行動する(そして相変わらずのポンコツぶりで視聴者を安心させる)タカオ、イオナとムサシとの邂逅と、クライマックスまでの展開にはちゃんとイベントが敷き詰めてあって、ダレることがない。
「これまで多くのメンタルモデルと出会い、対話してきたからこそ安易に『ムサシを倒して止める』という結論を導かず、あくまで対話による決着を試みる群像&イオナと、人類を愚かと断じるムサシのぶつかり合い」というシナリオもよくできており、単純な勧善懲悪モノに留まってはいない。
見所はやはり、苦戦する401の進むべき道を切り開くために、タカオ&ヒュウガ、蒔絵と愉快な仲間たち、そしてコンゴウと、かつて群像とイオナが対話してきたメンタルモデルが集結し401を援護するバトルシーン、かつてイオナによって「個」を認めたコンゴウが今度は逆にイオナを諭すという展開、そしてそこからのイオナの決意により401が復活し、さらにヤマトの意思を継いで、ムサシとの対決に向かうというクライマックスの流れだろう。
原作ファンならこの流れには盛り上がらないはずがない(断言)。
キャラクターの魅力は本作でもうまく描かれており、「Cadenza」で新規に登場したミョウコウ4姉妹、ヤマト、ムサシは何れも個性的で、新たなイオナの敵にふさわしい魅力がある。
特にミョウコウ姉妹は全員個性的で、見ていて楽しめる。アホガラもといアシガラのアホキャラに持って行かれている感はあるものの、ぽえぽえ系のナチ、アンニュイ気味ながら戦闘では割とはっちゃけるハグロ、出番は少ないもののクールで、イオナにトドメを刺す寸前までいくというおいしい立ち位置のミョウコウとバリエーション豊か。
群像の父・翔像と姉であるヤマトとの絆と、人類への憎悪が複雑に絡み合うムサシの描写も面白い。
続投キャラの描き方にも違和感はなく、キャラ描写に関しては文句なし。
そして戦闘シーンの出来は相変わらず!
原作譲りの戦略的な描写と、サンジゲンのCG技術を結集したバトルシーンはぜひ高画質で味わって欲しい。
各艦が個性的な装備と戦い方を見せるミョウコウ姉妹もさることながら、ちょっと笑える新装備を引っさげて帰ってきたタカオ、「はしたない」戦い方でヒエイとぶつかり合うコンゴウと、戦闘シーンはどこをとっても見応えあり。
ここからはちょっと問題点。
105分というアニメ映画としては長い尺の本作ではあるが、それでも前半~中盤の展開に「詰め込んでいる」感がある。特にムサシとイオナの邂逅→イオナの精神世界におけるムサシとの対話シーンに顕著で、さらにこのシーンは「イオナの出自」「ヤマト・ムサシの過去に何があったのか」の解説シーンにもなっていて、「説明している」感の露骨さは否めない。
また「イオナがなぜ霧としての能力を失ったか」の説明もなく、後半の描写も踏まえると「イオナの動揺と後ろめたさが本体である艦体にも反映された」というのが真相だろうが、初見では「ムサシに何かウィルス的なものを仕組まれたのか」と思ってしまう。
マイナスポイントもあるが、見ている間はそんな欠点は殆ど感じさせない良作。「アルス・ノヴァ」という作品のクライマックスを飾るに相応しいクオリティだった。
難解な作品を書き上げることに定評のある円城塔が手がけた原作をうまく纏めて映像化できるのか、という不安が観るまで常につきまとっていたが、いざ見てみると原作のエッセンスを上手く残しつつ、「もうひとつの『屍者の帝国』」としてうまくまとめたと思う。
120分という長い尺でも流石に難解な原作は収まりきらなかったのか、原作の要素はかなり簡易化・アレンジされているが、物語の骨子、そしてテーマ性は変わっていない。
通常、原作から要素が削減されることはメディアミックスの際にマイナスポイントとされることが多いが、本作に関してはスリム化により物語性がわかりやすくなっており、未読者にも既読者にもやさしい作品になっていて、今作に関して言えば要素の簡略化はプラスに働いたように思える。
「失った友人を取り戻すために、屍者技術の秘奥を記した『ヴィクターの手記』を求める」という改変は良かったと思う。パンフレットに書かれている通り、この改変により物語の導入がスムーズになっており、エンタメ的な面白さも補強され、物語性を強く表現することにもつながっている。
シンプル化されたとはいえ難解な感は否めないものの、原作に比べてかなりわかりやすく、「ワトソンとフライデーの友情」という明確なストーリーと、わかりやすい悪役も用意されたことで作品に入り込みやすくなっている。
美術もかなり評価できる。魔都ロンドンの暗黒、アフガン行きの旅路の中でワトソン一行に立ちふさがる雄大な自然、浮世絵のようなカラフルさをうまく表現している日本など、様々な風景・デザインにこだわりが見える。
作画も全編にわたって安定しており、CGと手描きを使って描かれた屍者の不気味な「ギクシャクとした動き」をうまく表現している。所々に挿入される戦闘シーンも良質で、本格的なバトル物のような派手さこそないものの、WITスタジオのハイレベルな作画を堪能できる。
しかし、ストーリーは簡略化されたと言っても先に述べたように、終盤に行くほど難解になっていく。そこに「様々な文学作品を背景に持つ登場人物」「伊藤計劃の『007』へのオマージュ」が加わってくるため、やはり作品のすべてを楽しむなら頭を働かせる必要はあるし、原作を、加えて言えば各登場人物の原典となった作品を読んでおいたほうがスムーズに入り込める。
また、終盤に関してはやや疑問に思う展開があり、終盤に再登場し唐突に「全人類の屍者化」による世界平和を語り出す「M」には唐突な感が否めない。
ザ・ワンの方も「フランケンシュタインの怪物」の原典の設定(怪物はヴィクターに伴侶の創造を求めた)を理解していないと行動の動機に唐突さが否めない。「フランケンシュタインの怪物」はポピュラーなので流石に「全く知らない」という人はいないだろうが、それでも作中で解説を怠ったのは失敗であったと思う。
また設定の簡略化のせいで、ザ・ワンの花嫁復活に伴う「屍者の言葉が世界にあふれる」「手記のページが浮かび上がり、結晶を纏って十字架めいた図形を形成する」という展開・演出も一見意味不明・理解不能になっている。ここは原作からして難解の極みにある設定なので、多少はしょうがないのだが。
また、エンタメ成分が強くなった反面、原作の『X』の設定が失われたために「意識とは、魂とは?」という原作のテーマ性が少し損なわれたのは賛否が別れると思われる。
個人的には「これはこれであり」派だが、原作のテーマ性を気に入っていた人にはつらい改変かも。
基本的には原作をなぞる形で、改変点は殆どない。元となったWeb配信版の尺が短いせいか詰め込み感もなく、70分の尺によくまとまっている。
ストーリーは全部知っているのだが、やっぱり色と声と動きがつくとインパクトが増すし、情報がよりわかりやすく伝わる。各キャラクターの声優の迫真の演技も相まって、原作の持つ陰惨さが際立つ。特に終盤、ダリルとイオの死闘の裏で同時進行するムーア同胞団とリビングデッド師団の悲惨な白兵戦、虫のように殺されていく連邦の学徒兵、そしてドライドフィッシュ奪取のためにムーア側が仕掛けた「作戦」など、展開を知っているにもかかわらず心を締め付けられるような苦しさを感じた。
原作の帯に「これが本物の戦場、本気の一年戦争」という煽り文句があったが、まさにそのとおり。この戦場にはニュータイプやイノベイターのような「奇跡」はない。イオとダリルだけではない、誰もが戦場からは、「殺し合う宿命」からは逃れられない。
絵がアニメになっただけで、これはもう「戦争映画」と言っても過言ではない。
「ガンダムUC」のチームが手がけた渾身の手書き戦闘シーンは「最高」の一言。昨今のCGアニメのようなスピードのある動きとはまた違った、モビルスーツの「重み」を感じさせるアクションは必見。冒頭のジム部隊vsスナイパーの戦いからガンガンに引き込んでくれる。
特に終盤のフルアーマーガンダムvsサイコ・ザクのコロニー跡の地形を使いながらの熾烈な戦いや、FAガンダムのミサイル全弾斉射をサイコ・ザクがギリギリでかわすシーンはクライマックスを飾るに相応しいかっこよさ。
ラストの僅かに描かれるア・バオア・クー戦も短いながらに見応えあり。サイコミュ試験型ザクの活躍を見れるガンダムアニメなんて、本作ぐらいだろう。
普段ジャズは全く聞かないのだが、菊地成孔の劇伴は素晴らしかった。
イオの聴くハイテンポなジャズもいいが、やはり印象に残るのはダリル側のラブソング。特に重要な場面で繰り返し使われる「女の子に戻るとき」がよい。
ガンダムファンでなくとも見ておきたい、圧倒的な質感を持つ「戦場」を丁寧に描いた力作。「MS IGLOO」あたりが好きな人にはかなり合うかと思われる。上映館が少ないのが惜しまれる。
「人間」というものを、とくに人間の「負の面」をとても丹念に描いた作品だと感じた。「いじめ」や「障害」を要素の1つとして内包している以上当たり前なのだが、人間の汚さ、誰もが子供時代に持つ無自覚の残酷さ、綺麗事では隠しきれないエゴ、そしてそれらをひっくるめた「人間の不完全さ」を、あえてほとんど美化することなく描いている。
どんな人間にも嫌いな人がいて、簡単には乗り越えられない一線がある。現実世界ではあたり前のことだが、描くことの難しさからフィクションでは(作り手から)避けられがちな題材だ。
しかし本作はこうした人間の「負の面」を描きつつも「ただドロドロさせて『リアル』を謳う」ような安い作品とは違い、将也や硝子ら登場人物が前を向き、壁にぶつかり、難しい問題に向き合いながら変わっていく姿を描くことで、ご都合主義を排した「リアルさ」を持ちつつも純愛系の作品として高い完成度に仕上げている。
シナリオは序破急の構成がしっかりしていて特に不満なし。登場人物は皆「いいひと」ではなくどこか問題を抱えた人たちばかりだが、それが逆に物語のディテールを深めていて、観客の興味をそそりつつ、「どうやってこの状況からラストに持っていくんだろう?」とどきどきさせてくれる。
メインキャラクターは誰もが問題を抱え、つまづき、苦しむため見ている間は心が締め付けられるが、それだけに最後に迎える大団円のカタルシスはひとしお。
箸休め的なコメディ・日常シーンも要所要所に用意されていて、シナリオに突っ込みどころは殆どない。
ビジュアル・音楽も素晴らしく、特に硝子役の声優・早見沙織の聾唖者の演技は「声優ってすごい」と驚くしかなかった。
基本良作と言って良いクオリティではあるが、不満があるとすれば、やはり全体に「展開を圧縮した痕跡」「原作を削った痕跡」が幾つか見受けられることだ。
この手の原作付きアニメ映画にありがちな急ぎ足感は少ないものの、やはり各所で「あ、ここ原作だともっと尺を割いてるんだろうな」と思わせる「痕跡」が残ってしまっている。実際、原作の重要なシーンが削られているらしい。
ただ、この「欠落」のお陰で「原作ではどうなっているんだろう」という興味が湧いたので、販促という点では間違っていないのかもしれない(笑)。
また、わざわざ「痕跡」と表現しているようにこれらは致命的な問題ではなく、決して総集編映画的な「強引・唐突なシーンの接続」があるわけではない。あくまで「強いて言えば、ここがイヤかな」といったレベルの話だ。
また、登場人物は基本魅力的だが、川井だけは別。川井自体は現実にもいそうなキャラクターではあるのだが、彼女だけ「小学校自体硝子へのいじめに加担しつつも、八方美人を演じて逃げ切った」という罪に対して罰が下されておらず、本人がそれを「悪いこと」と認めるシーンもないため、彼女だけは「かつての罪をうやむやにされている」ように感じて消化不良感を感じた。もっと言えば、彼女だけが将也や硝子、直花のように「壁を乗り越えていない」。
無論、ラストシーンでは将也に対して償いの行動を見せているのだが、ここはもう少し掘り下げても良かったんじゃないかと思う。個人的に彼女に対する心象は悪い。
総合すると、前評判を裏切らない良作。多くの人に見て欲しい素晴らしい作品。原作のコミックも読んでみたい。
ベル・ウィングをして「あいつの運は左に回らない(≒カードを自由自在に操れる)」神業ディーラーのアシュレイとの対決、そしてバロットの「戦い」がついに決着する最終巻。
物語のクライマックスということで前2巻にもましてスタッフの気合が入っていることが伺える出来だった。前2巻で感じた「物足りなさ」を払拭するには今一歩足りなかったが、最終巻らしく楽しませてもらった。
基本は前2巻と変わらず。短い尺という問題はつきまとう。だが今作ではシリーズ初の原作改変を行って、なんとか約60分でこの物語を終わらせることに成功している。
改変されたのは終盤。保釈され、オクトーバー社の抹殺対象となったシェルを保護に向かうシーンとクリーンウィルとの会談に臨むシーンをくっつけ、シェルが潜伏しているとされるホテルにクリーンウィルもいた、という改変をしてシーンを接続している。
ここは映画向けの良い改変だと思う。クリーンウィルを前にして、ウフコックがバロットの意志を信じ「俺は、俺を君に託す」とバロットにトリガーを預けるシーンも、「圧縮」との対比になっている。
カジノでの頭脳戦も色々カットしながらも、強敵・アシュレイのプレッシャーや頭脳戦を前巻よりも表現できている気がする。欲を言えばアシュレイ戦はもっと尺を使って欲しかった。
だが、バロットがかつての己を越える描写が薄味なのは難点。原作では身にまとった金属繊維(ライタイト)が剥がれ落ちることで視覚的にも「バロットが成長した」描写があったのだが、そこもカットされてしまったのは大きな残念ポイント。
そしてラスト、シェルとの決別とボイルドとの決戦。かつてあれほど依存していたシェルを前にしても淡々とした態度を崩さないバロットは「成長した」感があり、その後のボイルドとの戦いも見応えがある。
残念ながら同年代のアニメと比べても戦闘シーンは動き、作画の質など見劣りする部分もあるが、「砕けたガラスを足場にして迫るボイルド」などかっこいいシーンもあるし、最後までバロットの根幹を成していた「死にたくない」という意志、そして決意が「ウフコックの作った鎧(≒バロットの心の殻)を破る(生まれ変わる)」という形で視覚的にも表現されていたのが良かった(カジノでのライタイトのシーンを補完する意味も込めてか?)。
決戦時のBGM「The Roar of Supremacy」も非常にカッコいい。
ただし、ボイルドが投げ落とした電磁兵器を無警戒に撃つシーンはちょっとモヤッとする。そこで一言、ウフコックが「待て、バロット!」とか警告するだけでも違っただろうに、バロットが間抜けに見えてしまう。
問題は、やっぱり最大の敵であるボイルドの戦う動機がわかりにくいことだ。原作の情報量が膨大で、バロット近辺の描写をするだけで60分の時間がどんどんなくなるため割りを食ってしまっている。個人的には、本作上映前に発売されていたボイルドの過去を描く三部作「マルドゥック・ヴェロシティ」の要素とかも輸入して欲しかったのだが、しつこいようだが尺の短さがそれを許してくれなかったようだ。
ただし、原作(ヴェロシティ発売以前)でも「ボイルドの『動機』」はある程度読者の解釈に委ねられていた部分があったので、一概に映画の欠点とも言えない。
最後まで、尺の短さからくるせわしなさと描写の不足は否めなかったものの、3作の中では最もいい出来に仕上がっていた。何だかんだ言ったが、3作通して楽しませてもらった。