一番好きな回かもしれません。本当の本当の本当に一番好きですが(そして基本的に出されたものが正解だと考えますが)、あえて自分の好み全開で希望を言えば、最後のセリフがないほうがより好きだった気がします。セリフがなくても言葉にしなくても全然状況と楽しさが伝わってきました。それはさておき、ざぶーんっていう滝みたいな涙の音から、キュルガの動きから、キュルガの顔のどアップから、全部好きでした
歌はどこにあるのか、第4話(歌を歌おう)を中心に、各話を観ながら、歌う事について色々と思いました。歌はどこにあるのか。第4話では、どんな気持ちになってほしいか、誰に、どんな場所で歌われるのか、という問いかけがされました。楽譜の上か、再生された音か、歌う私の中か。私はその土地だと考えました。あの時は、歌って踊って、反応してくれた村の人たち(観客)に今度はちゃんとした歌を届けたい、その想いが進む力になったと思います。
土地に息づいた歌は、それを歌い広げた人によって、そこにあります。「take on」、今回の挑戦は、歌う"意味"についてそのように開かれていたと考えます。
過去に歌われた歌が彼女たちの進む力になったように、歌はきっと今現在だけに響くものではありません。未来に響き、聞く人のそれぞれの過去を通して過去にも響きます。
エリーとアイラが新聞に映り込んだ様子は、少し心霊写真のようでした。観客席の揺らめきにもそのような意味合いを感じます。私はそれを好ましく思います。あの場に集った世界中の人々はそれぞれを知りません。つまりいないはずの人がいても誰も気がつきません。舞台は解放を記念する喜ばしい場ですが、それと同時に、街と世界中の一つの区切りとして、鎮魂の望まれる場でもあったのではないかと思います。それは"今まで感じたことない楽しい"でした。そういえば、裏でだいぶ活躍してくれたフェリシアは、彼女たちの歌声を通して、演奏者だった亡き(おそらく)夫と再会します(夫の写真を見つめます)。
いるのかいないのかわからないもの。使い魔、私の心、大切な誰かの存在。思い出に、まだ見えぬ未来。触れようとすれば消えてしまうそれらを描ききった温かな、そしてとても好きな最終回でした
ルミナスウィッチーズのエンディング『わたしとみんなのうた』が好きです。
「もしも何かあったら もしも何もなくても いつでも傍(そば)にいたい」
わたしがあなたの傍にいるのに理由はいりません。でも、もしかしたらそう思えないあなたが、みんなが、かつてのそう思えなかったわたしが、意味がなければここにいてはいけないと思った人々がいつかそう思えるように、そう願ってそのために意味を探します。
「私はみんなを もっと好きになる みんなも私を そう思えるように ここにいる意味を探しながら」
意味を探すのはそのためで、ここにいるためにいなければならない理由が必要だからそれを見つけるため、ではありません。
歌う意味と向き合った作品で、私の心をケアしてもらえるように感じる、唯一無二の作品でした。感謝を捧げます
朝起きて、何かわかった気がして、もう一回見たらめちゃくちゃ泣きました。
「忘れないでジニー。私はあなたの歌が好き」(グレイス)
この言葉の意味は、その時ジニーに届いていません。ここまで画面に映る全ての照明の明かりが消えています。届かなくても照明器具のようにそこにあって、あるからいつか届くことがあると思えます。それでも、その時のジニーはその言葉を受け取ることができませんでした。
駅で、ラジオから聞こえたアイラのコメントは、歌ではなくても強い灯りのようで、ラジオは照明器具のようでした。
残されたルミナスウィッチーズの面々は、サーニャの両親がサーニャに届くように弾いたピアノのように届かなくても届くように強く強く願って、曲作りを踊り作りを衣装作りを続行します。同じ強い照明が照らしています。あの灯りの下のように、使い魔が見えなくても居ることを私は知っています。この同じ強い灯りを掲げられなくても、エリーとアイラは二人でいます。他のルミナスウィッチーズの面々と同じ場所にいます。あの同じ強い灯りは(ヴォロージャの光は)一人の光ではなかったと思いました。ヴォロージャの曲は、ヴォロージャ一人ではなく、ヴォロージャとアンナが、そして疎開した街のみんながある誰かの大切な人に届くようにと願って届いた曲でした。遠く離れていても同じ暖かさが届くように、きっと願われて曲は鳴ります。
とても良い、好きな話です。細かく好きなところもありました。そういえばメガネをかけていたのでシルヴィは目が悪いんでした。そしてマナは目が良かったのですね。アイラはミラーシャが沈む部隊の皆を奮い立たせようとする姿にほほえみます。おそらく彼女もまた、独り自分のウィッチとしての終わりを意識しています。次のリーダーになっていこうとするミラーシャの様子にきっとほほえみました。2回目見たら、「一番」という言葉について、いのりとジニーはかつて話し合ったことがあったんだろうなってなんとなく思いました。ジニーは異動のことを察していた気がします(グレイス隊長や、アイラやエリーの何気ないしぐさから。そうでないとグレイス隊長と面談した時の「私はやっぱり軍人にはなれないっていうか」はすぐに出てこない言葉な気がしました)。
初回からそうではないかと思った感想で、何度かみても意見が変わらなかったので記録してみます。
ジニーは恐らく、アンナがウィッチではないことに気がついていたと思います。ジニーは気配に聡く、人をよく観察しています。森の中で、黒猫の妖精に最初に気がついたのはジニーでした。「親切な人に診てもらえて」(サウナの場面)で「人」と言ってウィッチと言いません。いのりとミラーシャは驚きましたが、アンナがウィッチではないと明かされても、ジニーの驚く声は聞こえませんでした。
戻って最初の診察と2回目を比べてみます。最初の診察で、「この円の中に使い魔を置いて」と言われた時、一瞬遅く「はい」と返事をしてます。恐らく、アンナの視線がモフィを見ていないことに気がついていて、アンナがウィッチではないことを悟ったのだと思います。いのりとミラーシャの二人がお茶を頂く時も、モフィのそばを離れません。それどころか治療が終わるまで目も離しませんでした。
2回目は(まだかなり注視していますが)モフィのそばから離れて、いのりとミラーシャのそばにいます。
この話で特に好きなところです。
少し追記、初回いのりとミラーシャが驚いたところで、ジニーの声が聞こえなかった違和感があって、そうではないかと思いました。それまでは意識していませんでした。
再視聴。「モヤモヤー」として飛び出したマナ(とジニー)の、マリアの落とし物(飛行軌道の案の数々)を探す冒険もやはり楽しいものでしたが、今回はジニーのほうに目が行きました。ジニーが飛び出したマナを窓越しに見送る時、一緒にジニー自身の姿も映ります。語られない過去に何か、ジニーには多分マナに共感する何かがあったのでしょう。ジニーはマナの話を聞きます。その時、珍しくほとんど笑顔がありません。
「反省会のとき我慢したから、さっきいーっぱい走って さっきお腹すいちゃった!ありがとね!ジニー!」
そう言われて、どうやらモヤモヤが解消されたらしいと知って少しだけ笑みを浮かべます。しかし、
「マリアあんなこと言って、」
とマリアへのマナのわるくちが始まると、その笑みも引っ込ます。
「でも、マナちゃんはマリアちゃんのこと好きだよね」
というジニーの言葉はその文脈で発せられていた言葉でした。
翌日、元気を取り戻したマリアを見て、難しくなった飛行フォーメーションにいのりが気合を入れるのと同じ画面の手前側で、ジニーはそっと微笑みを浮かべました。語られない、しかし、何かがあると感じられる部分で面白かったです。
(第9話視聴後、これは最初から見返したい。何のために歌うのか、深く考え直したいと思って再視聴中の感想の一部)
その夜、宿泊先の宿での、ジョーとシルヴィの会話(二人だけの、秘密の)は、圧巻の絵作りだった。特に光の配置が絶妙だった。ふたりのベットの間にカンテラのようなライト(エリーの蝋燭を思い出した)。部屋の天井の明かり(9つ1組)は消えている。月明かりが差し込まなかったり差し込んだりをした。
ジョーはシルヴィが寝入っている(実際には寝ているふり)のを確認して、自信がないダンスの振り付けを確認する。窓に映る自分の姿を見て確認する。月明かりは強く差し込まず、窓は鏡になっている。シルヴィがお手本を見せる時、窓からは強く月明かりが差し込み、シルヴィ(とジョー)を美しく照らす。
この時、窓は鏡ではなくなり、遠くの家の明かりが目に入った(元より映っていたが私は意識しなかった)。シルヴィに問われ、ジョーが何のために頑張るか、前向きでいられるか、答える場面。窓の外から二人が見える。二人に窓の格子の影がかかる。お金の問題、家の制約、そういったものは厳然としてある。
そういったものに影響を受けて形を変えた私は、本当の私ではないのだろうか。(お金のためというのは)「家族のため…」で少しジョーから視線が外れた(おそらく自分の内心へと意識が向いた)シルヴィと、「でも」(ここは他の部隊とはちょっと違うね)で背中越しだが、顎が少し上向いたジョーの芝居が印象的に目に映る。よく見れば格子越しにも、本当の私がいる。縛られてはいない。
(画面は部屋の内側へと戻って、ジョーとシルヴィの表情が見える)ジョーは気が抜けて家にいるような感じの言葉遣いが出てしまって、恥ずかしいと思う。そのジョーにシルヴィは昼間を思い出す。
シルヴィは、母の墓前で迷いや煩わしさや、なんでも打ち明けることができた。シルヴィは、何事かに後ろめたさを感じる点で、ジョーと同じだった。ジョーが考えた新衣装の絵の狭間、似合うと思った白いリボンで髪を結えた自身の絵を見て、シルヴィは白いリボンをつける決意をする。隠さないと決める。
この場面、室内に戻ってもベッドの頭の側からの構図になり、それまでの室内の構図(ベッド頭に向かってカメラを構える)と変化して驚きがある。また、月明かりは舞台袖に捌けて、部屋のベッドの間のライトが強く印象付けられる。それが好きだった。
翌朝、曇りガラス越しにリボンをつけるシルヴィと部屋の中からどきどきして待つジョーも好き。
「あたしね、自分に正直になろうって決めたんだ。何が正直なのかは、ほんというとよくわかんない。でもね、みんなと一緒にステージに立ちたい気持ちは絶対に本物なんだって」
本物の気持ち、それは色々と見て出会い影響されて変化していき捉えられない。
それでも、色々と見て色々なことを思った私は確かにいて、…そこにいる何者かは確かに本物だ。ローザ様、妻、母さん、…それらが鏡の姿だとしても、そこにいる何者かは本物だった。期待してくれている人がいると知って、リーダーらしい振る舞いに気合が入ったアイラもまた、本物の姿だ。シルヴィの父の残した締めくくりの言葉がとても強く印象に残っている。
視聴2回目。この回の音づくりが好きです。
なんとなく、やめた陸上のみんなにみつかるのが嫌で隠れてしまってバスに乗り遅れて歩いて帰る放課後、教室の場面、バス停、町並みでセミの音が全部違います。好きです。途中、他の何かに心を奪われたときにだけセミの音が聞こえなくなるのも好きです。途中の無音も含めて感動します。電車のホームの風の気持ちよさ、それが電車の音で消えるのもそんな感じ、夜のファミレスの店内から外の車の音もそんな感じそんな感じと思いました。
ムキヒコの話を耳に拾うところで、興味がちょっとずつその会話に向いて、セミの音が小さくなっていくのも好きです(その後しばらく小さいけれどセミの音がちょっと残ってるのも好きです)。バス中でバスの振動する音も、元々好きな音で、好みでした。
学校入り口の坂道、朝のセミの音もちょっと違います。種類混じっていて多めです。夕方入道雲が立って種類が変わって遠くなる感じも好きです。あきらとはるかで聞くセミの音が違うように思えます。走りに集中して記憶が過ってセミの声が消えるのも好きです。
回想の中のちょっと波打ってる感じのセミの音も好き(あ、虫の音も少し入ってきました)。みとれてセミの声が聞こえなくなって風が入ってくるのも好きでした。バス停でバス待ちしているあきらの聞くセミの音は平坦な印象で、さっきの波打ちでより印象に残ります。一回も同じ音がなかったと思います。素敵でした。
カミナリの音もはるかの走った夕方とあきらの帰る昼間とで違った感じです。後者は雨が近くて音が湿っています(車の音も湿っぽく響きます、心情も加味されているでしょうか。雨で車の音が遅くなるのも良いです)。雨の音には、ちょっとセミの声のニュアンスが混じっている気がしました。通り雨の気配で、しばらくすれば止みそうな雨です。
(図書館の入り口が開いたときちょっとだけ風の音がします。もしくは)風の音がちょっとだけして図書館が開いたのが分かる音が好きです。
空調の音と、そうそう、図書館の本のある場所とは違う足音が響く感じ好きです。本のある場所はカーペットなので足音が響かなくて、音は籠もってけっこう響くので遠くにそういう床の場所があるとその音は聞こえます……カーペットじゃありませんでした。面白いです。床がフローリングの図書館もあると知りました。モデルの横浜市立図書館のよう(外のオブジェ)。画像検索で、フローリングの床もあるがカーペットの床もある図書館の様です。一回行ってみたいなと思いました。
(「立花さんも純文が好きなの!?」と略称使うのが、好きなことが嬉しくなって少し自分を忘れていてかわいいです)
駅までの帰り、2人で歩いていると(おそらく、店長の様子がちょっとおかしくて気になって)足音が聞こえるの好きです(そういえばこの辺りで5話を、足音でお父さんに気づいたのをすごいわかると思ったのを思いだしました)。店長はひとりになっても足音、意識が内面に向いています。ひとりになったあきらの足音はゆっくりになるのもいいです。内面に意識が向いています。ここで先ほどまでは店長に意識が向いていたのがわかります。店長の足音は変わらなかったので、2人でいる時から意識が内面にあったのもわかります)。この辺りの足音を印象付けるために図書館のフローリングを増やしたような気がしました。
内面に意識が向いています。通り過ぎる車の音がゆっくりと延びて、風の音を思い起こさせるような音です。ごうという風の音が起こるのを予感させる予備動作のような音でした。雲が早く流れて、走っている時の風のように心地がいいのに、嵐を予感させる風で、早い雲間に見えた月が綺麗でした。
とても良い、素晴らしい回だったと思います。
skyscraper摩天楼。空を削り取るような高い建物の立ち並ぶ街は、明かりで満ちて星空を地上に降ろしたかのようだ。空は遮られて狭い。空の星々は見えない。その街では空を切り取ったような美しい青のグラデーションの布が売られていた。
スケッチブック。ルミナスウィッチーズの、お姉ちゃんの写真や記事を切り取って貼りつけたそれは、夜空を切り取った街と似ている。ルミナスウィッチーズのお姉ちゃんが星(スター)だから、それは作成された。街もまた、かつて空を切り取ろうとしたのはそれが美しかったからだったろうと思いいたった。
その街の人々の手を借りて空の青の布は美しい羽衣に変わり、星々にまとわれて空に返される。