アシュラッドたちの村の襲撃をアンの子供ながらに心の奥底にある生々しい欲望や感情からの視点と共に描かれるのが物語の深みが一気に増して素晴らしい。変わることのない雪の厳しく美しい景色の描写がアシュラッドやアンを含む全ての人類の営みを俯瞰するような印象がもたらされてまた良い。
☆
世界宗教と民族宗教の違い。
世界宗教に教化されてない人間は、異民族に対して愛も慈悲も持ち合わせず、良心の呵責なく、どこまでも自身の生存のために合理的な行動が取れるものなのか。
アンがデーン人の残虐な略奪行為を非難するのではなく、それを見てドキドキと興奮する自分の心の奥底にあるどす黒い部分に気付く展開も良い。人間の精神の多面性。
暗くて寒くて厳しい自然が美しい。
ヴァイキング故の略奪・虐殺によって成される胸糞展開。
アン達の日常描いてからはズルい。アシェラッド達の本業とはいえ、むごたらしいことをする。
アンはこの先どうなるんだろうなぁ。
まさにヴァイキング!
豊かではないけどささやかに暮らしていたさまが寒そうで痛々しい手に現れてた。
そんな非戦闘民を躊躇わずにやれるんだからなー、最近親しみを覚えてたけど賊は賊だった。
神を恐れない彼らに祝福は待ち受けてないだろうけど、そんなのもおかまいなしなんだろうなあ。
親父の思うところ、村を襲い食糧を奪う。
心躍る。
改めて、掠奪が民族の伝統ってエグい……。
確かに掠奪無しで極寒の地を横断するのは無理なんだろうけど。
そういえば、モンゴル帝国の行軍も通った後には草も生えなかったとか。
やはり、洋の東西を問わず中世という時代はエグい。
神父はトールズの話に愛を見たのだろうか。
キリスト教はその後、大陸ではフランク人達の間でも国教とされ、カトリックが力を付けていき、ヨーロッパ全土がほぼ教化されると、封建制が確立され、戦争は領主や貴族の権力争いの性質を強めて、無闇な村邑の掠奪は減っていくんだけど、それはこの作品の時代より300年ぐらいは後の時代。
アシェラッドもいずれは戦いに散る運命というか、宿業の深さが描かれていたように思う。ほとんどの宗教には罪の概念があるけれど、当時の北欧人達が信じていたのはアミニズム的色彩が強い神話であって、宗教的な観念性が薄い。ゆえに人を殺すことに躊躇がなかったのかも。中世にキリスト教が大きな意味を持つようになっていった背景はこんなところにもあるのかも。
アンは罪の概念を持ってしまったがために、背徳の味をも知ってしまったってところか。宗教の光と闇。
いとも簡単に行われる残虐な行為
娘さんが変な目覚めをしてしまった
通りかかった村の村人を皆殺しとはデーン人恐ろしい。流石略奪者か。
アンの家族の会話を聞いたうえで
アシェラッドたちの襲撃。
アンの家庭の状況を見た後だから
アシェラッドたちの行為にはすごく悲しい気持ちになった。
あの村の人々はアンを残して全員殺されてしまった・・・
でも、アシェラッドからしたら
あそこで食料を奪わなければ部下が
全員死んでしまう可能性もあるから仕方なかったのかな。
それにあれが本業だしね・・・
アンが悪魔を怖がってる場面があったけど
その理由は指輪を盗んでたからか。
家族が殺される現場を見て
自分よりも悪人がたくさんいることに気づき
アンは盗みをした時と同じようなドキドキを感じてた。
厳格にキリスト教に従ってきた家族が殺され、
少しであれ背いたアンが生きてるっていうのは少し皮肉めいてた。
アンは今後も登場してくるのかな?
アンの元気そうであっても、
ボロボロになってる手や指の作画には
すごくこだわられてる気がした。
娘。ゴツゴツして赤くなってる手と、盗んだ指輪。
まるで自然現象のような賊の襲来。
興奮してしまう娘。