サービス開始日: 2019-06-04 (2103日目)
いつもより筆が乗ったのでnoteにお気持ち長文を書きました。よかったらみんなよんでね。
ジャングルポケットが駆け抜ける数々のレースの作画はひとつひとつが大迫力、かつそれぞれのレースがきっちりと差別化されており、嫌な言い方をすればただの「かけっこ」であるレースを、ここまでダイナミックに、かつ差別化して描けるものかと本当に感動した。特にポッケがダンツフレームと競り合う日本ダービーは白眉であった。
タキオン、フジキセキ、オペラオーなどのゲームにおける固有スキルの演出を映画向けに改変した演出も、ゲームを知っていると「うまく落とし込んだな」と思ったし、あえて派手な劇伴を廃したことも、現実の競馬と同じ緊迫感を演出することに一役買っていて感心した。
無論映像が素晴らしいだけの映画、なんてことはなく、実際の競馬シーンを「皐月賞でのタキオンの幻影に囚われスランプに陥ったジャングルポケットが、ポッケの走りに希望を見たフジキセキの(ポッケがトゥインクル・シリーズに飛び込むきっかけとなった)走りを見て再起し、タキオンの幻影を乗り越えるべくジャパンカップに挑む」という形に解釈・再構成したストーリーもシンプルながら熱く、手に汗握るものだった。
ウマ娘最大の見せ場である「走り」を魅せることを徹底的に追求した名作でした。
面白かったが、前編で抱いた期待を満たしてくれる内容だったかと聞かれると素直に「YES」とは言えない内容だった。
前作最大の謎であった「現在と食い違うおんたんと門出の記憶」という伏線が大葉のスーパーパワーで「おんたんは門出が自殺した別世界から、今度こそ門出を守るためにこの世界のおんたんに意識を飛ばした」「だが、そのおんたんの行いで歴史が変わってしまい、この世界は『侵略者』の攻撃を受けることになった」と(侵略者が来襲した理由も含めて)足早に説明されてしまったことへの落胆もあるが、一番引っかかったのは世界が滅亡の危機を迎えるクライマックス。
これがいまいち飲み込めず、カタルシスを感じなかった。
本作はものすごい要約すると、主人公(おんたん)が「世界を敵に回してもヒロイン(門出)を救うか、ヒロインを犠牲に世界を救うのか」という選択を迫られる、所謂「セカイ系」の文脈で作られており、おんたんは「門出が生きている世界にジャンプする」という行いのせいで歴史を変えてしまい「本来現れるはずのなかった『侵略者』を地球に呼び込み、世界破滅の危機をもたらす」という罪を背負うことになる。
…はずなのだが、おんたんはジャンプの代償に、兄である(ジャンプ前の世界の)ひろしが最後に伝えた「運命を変えろ」という言葉を除いたジャンプ前の記憶を失っており、世界と門出を天秤にかけた経験も忘れてしまっている。
それゆえに「歴史を変えた罪」を自覚することがないので、いまいち「世界か、門出か」という選択の重みが見ている側に伝わってこないし、ひろしから学んだ「そばにいる大事な人を守ることこそが『絶対』」という作品に通底する(であろう)テーマもいまいち伝わってこない。
しかも、おんたん達は侵略者と地球人の戦いに翻弄されつつもず~っと日常を謳歌しているだけで、結局世界は主人公である門出とおんたんの行動は関係なしに、大葉の献身で救われ、その大葉もなんだかんだで一命をとりとめておんたんのもとに戻ってくる。おんたん達は世界に対して何もしなかったくせに最良の結果を得てしまうのだ。
前章から続くおんたんと門出の「絶対」の友情は尊いものの、おんたんの記憶絡みの設定とラストはちょっと「都合が良すぎる」と思ってしまい、ノリきれなかった。
前章で「ネットの真実」に毒されてしまった小比類巻が「母船の爆発で滅んだ地球で新世界の神になる」とまで言い切る狂人に豹変してしまったのも唐突に感じた(最初は「キホの敵討ちでもあるのかな」と思ったが、それだけであそこまでクレイジーになるもんだろうか)。
前作から続く「日常と非日常の隣接がもたらす不穏」の見せ方や、クライマックスを除く人間ドラマは面白かったものの、個人的には上記した部分のせいでケチが付いてしまった作品。
原作未読。
浅野いにお氏がどれだけメジャーな作家なのかも知らない頭まっさらな状態で見に行ったが、これは大大大傑作が生まれる予感。
非日常が日常になった世界の、おんたんと門出と友人たちの日々そのものも面白いし、その裏でうごめく異常の見せ方も上手で観客の期待を煽ってくる。日常をさんざ見せてから、非日常と日常の摩擦で「上げて・落とす」演出にもショックを受けた。
「A線への恐れから市民活動に傾倒してしまった門出の母親」とか「『ネットの真実』に囚われてしまった小比類巻」といった設定は「震災以降の現実」を取り入れ、かつ解像度も高くて作品の実在感を上げている。
本格的な感想は後章(完結)を待たないといけないが、今のところ不安要素はゼロ。
今は2人に、世界に、平穏と救いが訪れることを願うのみ。
箸休め日常回。「アンラッキーをハッピーに変える」、要するに気を病まないポジティブさがミナモをはじめとする蒼井家の持つ天資ってことか。これは最終盤のキーポイントになったりするんだろうか。
箸休め回。無声映画っぽい趣で面白かった。
バブルに伴う地上げで唐津に引っ越して海に惹かれ、ダイバーになって久島と出会い「地球律」の研究に参加した…ってところか。海に沈んだ都市の廃墟があったけど、この世界でも第三次世界大戦が起きたわけだ。
オーストラリアの内地出身で泳げないミナモや、足で歩くことを諦めたハルを通して「『頑張る』ことに遅いということはない」というテーマを描こうとしているのかな。
ホロンの前屈みおっぺぇ(*゚∀゚)=3
一方的に誰かを「かわいそう」と断ずるのは失礼に当たる、という話。エイミのアーティストとしての顔をあまり描かなかった点は残念だが、視覚がない故に独自の世界が見えていたエイミが「視覚を得る」ことでアイデンティティを失ってしまう、という切り口は面白い。「我々の科学は障害者を絶滅させたと言われるが、それは人の才能を奪ってしまったのかもしれない」という串間の言葉にも膝を打った。ミナモの前向きで、誰とでも距離を詰められる一種の才がエイミをメタルの海から掬い上げ、彼女に前を向かせる、ってラストもよかった。このアニメ見てて初めてミナモに好感が持てたかもしれない。
一ノ瀬は義体化してないのかな。義体化しても「脳の老い」には逆らえないってことか?でも全身義体の久島はピンピンしてるし…本題とは外れるが、電脳化・義体化が当たり前になったら、個人の才能に依存するアートやクリエイションって電脳にデータをインストールするとかして凡人でも再現可能になって、いわゆる「専門職」が衰退してそう。『AIの遺電子』には実際そういう話あったしね。
「才能とは『愛』」。これは至言。「神域の技術はあったが愛という才能を持たなかった者」と「愛という才能はあったが、超越した技術を見てしまったがゆえにそれに呪われた者」の物語。テーマはめちゃくちゃ面白いのに今回も調理が下手。ミナモの「努力し続けることに意味はある」という〆のセリフ、要するに「久島には及ばずとも、あなたの音楽が多くの人間の心を動かしてきたのは事実ですよ」という意図はわかるんだけども、あまりにも言葉足らずだし、久島も後方観客面してねえで顔出せよ。ハルは「君は50年も私を待ってくれた。君が薄情だとは思わない」って言ってたけど、音楽に飽きたからって元後輩のコンサートを50年辞退してたのは薄情以外の何者でもないだろ。
人と話しすぎて人を知りたくなったチャットボット…という切り口は令和の今のほうが「ありそう」と身近に思える。時代が追いついたね。
ここに来てようやくミナモが活躍。なんであんな潜水服みたいな装置が必要だったのかはわからんが、生身の人間でもメタルには入れるんだ。「海」モチーフに合わせて潜水服っぽいガジェットを作ったのはわかるけど、説得力がない。いつもつけてるヘッドギアじゃだめなの?「メタルの水圧に拘束されてなおハルのもとにたどり着く」というシーンありきで小道具を作ってないか。
「言葉よりも行動(心)が雄弁に語ることもある」というオチは理解できるものの、そもそもミナモがなんでハルにあんな入れ込むのかがわかんないんだよな。自分を対等な存在として認めてくれたから?まだ約1クールあるし、ミナモが電脳化していない理由も含めて今後語られるのかな。
そして久々に語られた「地球律」。やっぱり「地球の意思」って理解でいいのかな。
「使っていない電脳のリソースを貸すバイト」「幽霊は電脳に消されず残ったキャッシュデータ」「電脳を他人に『貸す』ことの危険性」などアイデアは良かったものの「アイデアは良かった」止まり。約20分かけて「学校に出る幽霊ははただのキャッシュデータでした」という薄い話をやっただけ。ホラーとしても全然面白くない。
そろそろ「なんでミナモは電脳化していないのか」知りたい。電脳化前提の社会で電脳化してないってよっぽどのことだし。
良かったのはヒロインたちの水着だけ。ユキノたんのぽっちゃりボディに大興奮(*゚∀゚)=3
「人間でいる限り『人が主でペットが従』という上下関係が生まれるので、犬と同化して真の友情を築きたい」という愛犬家の切なる願いもわかるし、そこから「たとえ主従関係であっても欲する者(ダップー)がいる、一方的に『『かわいそう』と断ずるのはそれこそ傲慢だよね」という帰結に持っていったのはよかった。
ペットさえ電脳化してる世界、すごいな。でもそれでペットと気持ちがダイレクトに通じるなら人はやるだろうね。そんな電脳化がデファクトスタンダードな世界で、ミナモはなぜ電脳化していないんだろう。
今のところ一番面白い回だったかも。
疑問だったのはメタルの扱い。ハルは「ここは犬のメタル」って言ってたけど、メタルってインターネットや、それこそ海のような開け放たれた世界ではなくて、部屋のように区切られているのか。なんか『ロックマンエグゼ』みたいだ。
VHSもインターネットもエロで発展したっていうしね、メタルもそりゃそうなる。
ミナモはまだガキだし、ミナモを守りたいソウタの「ミナモはハルの戻る家。危険を犯す必要はなく、ハルの帰りを待てば良い」という理屈はわかるんだけど、それバディっていうより「トロフィーヒロイン」って言うんじゃねえかな…。
『相棒』で、杉下右京が事件のからくりを解いて亀山くんが肉体労働しつつ被害者の心に寄り添う、と役割分担で戦うように、バディモノに求められる要素って「互いに持てるスキルで助け合うこと」であって、「ハルは死の危険もあるメタルの海に潜って、ミナモは彼の帰る家」って構図は悪い意味で女性のパブリックイメージを守ってしまっているというか。作られた年代を考えると自然ではあるんだが。
ミナモへの印象は今回も変わらず。この女はデモデモダッテが多いんじゃ。
いい尻と太ももじゃあ!
バディものらしいハルとミナモの共同作戦…なんだが、2人が一切連絡を取り合っていない、かつハルがメタルで何をしたか、メタルで何が起こっていたのかがわかりづらいため「協力で事態を解決した」感がまるでない。ハルがなぜあの兄弟が入れなかった防壁を潜れたのかも謎。メタルは海に例えられるような存在だから、ダイバーであったハルには馴染み深く適合できたってこと?
そしてミナモ…ぼくあの娘苦手だわ。元々ああいう「天然能天気ドジ系ヒロイン」が苦手だし、セリフの一個一個からあざとさが透けて見えちゃう。沖佳苗さんの演技も僕には合わない。
地球律は人工島を破壊した一方で、風を吹かせ人間は助けた。「ガイア理論」的な話になるのかな、これ。
U-NEXTに加入したので「ガキの頃に見てたアニメを改めて評価したい」という理由でなんとなくチョイス。
そう言えばこのアニメに出てくる女性はみんなムチチムチなんだった。当時も川澄綾子女史演じるホロンには熱心なエロガキ…もといファンがいたなあ。大ムチムチ時代の令和なら再評価されそう。
初っ端から専門用語で畳み掛けてくるこの感じ。いかにもゼロ年代アニメ!「年の差バディ」は大好物なんだけど、これもゼロ年代的な「無垢でポジティブなヒロイン」は自分あんま好きじゃないからそこは合わないかな。2クールの間に印象が変わることを祈ろう。
物語に関しては、いまいち「地球律(率?)」の脅威が見えてこないのであまり盛り上がりがないし、メタルを遠ざけていた波留がメタルに飛び込んでミナモを救う展開も王道ではあるがあっさりしていてこちらも薄味。格闘アクションはすごかったし、盛り上がりは2話以降に期待。