サービス開始日: 2022-08-07 (869日目)
9-10話の感想まとめて書きます!
・私達、入れ替わってるー!? てやつかと思ったらそうじゃなくて見た目が変わってるんでした。何でも説明できちゃう超便利概念、量子テレポーテーション。
・またもや合法的に麻衣さん以外のヒロインといちゃいちゃできる設定。巧いな。実に巧いな。作者が。
・相変わらず咲太TUEEEEE! いやあ、こんな返しできるか? こんな風に二人をなだめたり励ましたり、飄々としつつ達観してて、常に最適解を導いてて超人過ぎないか? まあ今回は、のどかの手紙がなかったら詰んでたから運が良かったとはいえ……。まあ、それだからヒロインたちから慕われまくってるんだよなあ。
・今回の話は……生々しいな。憧れと紙一重のコンプレックス。まして異母姉妹で、小さい時から母親同士の代理戦争の駒にさせられて、姉妹といっても同居ではなく芸能の場でだけ会う存在で……そりゃぎくしゃくしないほうがおかしいと思う。双方の母親の重すぎる期待に振り回されている様子は気の毒だけど、でも母親もまた決して完全ではないわけで、彼女たちもまたもがいているのだろうと思う。
・自分もまあ、のどかの立場も麻衣さんの立場も、程度の差こそあれどちらも身に覚えはあって色々な感情を思い出した。あれってどちらもつらいんですよね。麻衣さんは麻衣さんで、のどかのことをすごく心配しているし、妹の気持ちもうすうすわかっているからこそ心苦しいだろうし、またそれと同時に人一倍努力してきた人間として、妹の甘さに逆にどこかうらやましさを感じていたかもしれない。のどかのほうも圧倒的な超えられない壁が目の前にあって、かつ親の言葉にまだ絶対的な意味を感じ取ってしまう年代で。いくら頑張ってもお姉ちゃんはさらに先に行ってしまって、自分が手に入らなかったものも手に入れてしまう。入れ替わることで余計にその差を見せつけられるという残酷。
・で、そこで咲太は変に慰めたり配慮したりしない。TUEEEE。でもその自信は、あの手紙があったからこそ、なのかな。それにしても鳩サブレーのカンカンに手紙入れるの定番ぽさがあってよいよね。
・なんだかんだで頑張り屋なところ、のどかも麻衣さんもよく似ていて、そこに「ほどほどに頑張る」という価値観をもたらす咲太、いいバランスだと思う(真島)。家族だからこその愛憎、嫌いになりきれないアンビバレンツな感情や見えなくなるものがあって、そこに第三者としての咲太がいてくれて本当に良かった。たぶんあの姉妹とダブル母親だけだったら決定的にこじれてた。
・原作がきっとそうなんだろうけど本当にのどかのひとことでは表せない複雑な心情が丁寧に描かれていて、それをちゃんとアニメが丁寧に扱っていて、本当に素晴らしい映像化だと思った。
・声優さんたちがすごい!入れ替わったときとそうでないときで、明らかに演じ分けてる。だからのどかの外見なのにちゃんと麻衣さんが入ってるってわかる。
・劇中歌のBABY、いい曲じゃん。
・ED、お姉ちゃんに会いに行くのいいな…毎回あの浜辺は、彼女達の想いを描いてるんだろうな。
・かえでが制服着てて何が起こった!? 猫の件もまさか伏線じゃないよな……咲太パパも出てきて(梓川家もなんだかんだで複雑な家庭事情ですよね)いよいよ妹ちゃん編がすごく気になります!
7-8話の感想まとめて書きます!
・双葉編来ましたー! 双葉いいですよね双葉。めちゃくちゃ頭いいんだけどよくあるエキセントリック系科学者じゃなくてすごく健気でいじらしくて等身大の子なところが良いんだよ……。実際エキセントリックなのってビーカーコーヒーくらいで。すごく普通の感性の子で、そこが良い…めんどくせーんだけど良い…
・自分に脈がないことも自覚してるし、今の関係を壊したくはないという気持ち……わかる……ヒロイン側に感情移入するの珍しいんですが、わかりますわその気持ちw ただここまで自分の精神状態を正確に自覚しているのはさすがだ
・量子テレポーテーション来ましたかー。だいぶこの作品のパターンがつかめてきたぞ! マクロな量子テレポーテーションがありうるとしたら物理的にはまったく同一なはずなんだけど、ポニテ双葉と眼鏡双葉で意識が違うということはやっぱり心身二元論なんだなー。双葉を観測しているのが双葉自身というのがまたややこしいw しかし量子もつれ……? 双葉もSiri蹴りイベントがあったのか……??
・麻衣さんと咲太の会話が毎度高度すぎる。こんな会話絶対できねー
・国見……こ、これがイケメン仕草……ただの色男ではなかった
・今考えるとジュンク堂の時点でポニテ双葉も、自分が分裂していることに気づいてるっぽいな。
・双葉の裏アカ名が「ちょこころね」なのがさ……どんだけだよ……
・「国見のこと全然わかってない」からの「一人じゃなかったんだ」、そして花火オール……くっそ青春してるなあ、いいなあ。双葉、こんな風に笑う子だったんだ。本当に楽しそうにしてる双葉に涙が出る。
・チャリで駆けつける国見もチャリで駆けつける咲太も本当に双葉のことを大事に思ってるんだよな
・かまってほしいポニテ双葉と、それが許せない眼鏡双葉。「私は私が嫌いなんだよ」からのラストの咲太の「自分のことは嫌いでいい」になんかこちらが救われた気になった。自分もわりと自己嫌悪癖があって、そんな自分もまた嫌いで、だけど、嫌いでもいいんだなと。自分が嫌いなまま、自分が存在していても良いんだと。
・自分が二人いる系モノとか並行世界モノとかでは定番だけど、どうしても複数の自分との間に格差が生まれてしまって、「うらやましい」「ずるい」という感情が生まれる。ポニテ双葉は、花火オールの写真をわざと眼鏡双葉に見せつけたのかな。より「重症」な眼鏡双葉への荒療治として。自分がどうなるかをよくわかっていたからこそ、
・量子テレポーテーション同士でも互いに電話できるんだ……眼鏡双葉が「花火行きたい」をいう相手は国見じゃなくて咲太でもなくて自分自身で、抑圧的な自分に対する超克の帰結が「花火行きたい」、その気持ちを自分自身で認めることが重要だったんだなと。眼鏡双葉は消えたというより、眼鏡双葉の記憶(咲太の入院)がちゃんとポニテ双葉に受け継がれているので、うまいこと融合というか重ね合わせというかそういう感じになったのかなと。実際花火大会ではポニテ眼鏡だったしな……割れた鳩サブレーはきっとまた一つになった。
・花火大会での双葉の国見への耳打ち、玉砕するのもわかっててあえて伝えて、フォローもして、そして最後に「彼女と仲直りしなよ」とまで言えるようになったの、「今ここで自分の思いを告げても、この3人の関係は絶対に壊れない」という確信がようやく持てたからなんだろうな。これまでの彼女ならこのまま想いを秘めて抑圧していたのだろうけど、チャリで駆けつけた国見や双葉のことを肯定してくれた咲太を見て、自信をもって想いを伝えられたんだと思う。彼女ポジションではないけど、国見と咲太と3人でバカやって笑う、そんな関係性はずっと続いていってほしい。国見もいいやつだし咲太もいいやつだしもちろん双葉もほんとにいいやつだよ
・ED双葉バージョンもいいな……双葉が向かう先が、国見一人ではなくて国見と咲太なのがね…せつないね…
・結局翔子さんの謎は何一つ明らかになってねー!!
4-6話の感想まとめて書きます!
うわ、ヒロイン変わった! 古賀ルートだ! EDまで映像も歌い手も古賀になっててすごいな。ていうか前回で完全に麻衣さんと脈ができた状態でヒロイン変えるなんてどうやって…と思ったけど、巧いな。実に巧いな。作者が。
無理じゃん。恋人のフリなんて、無理にきまってんじゃん。
ラプラスの魔をこう使うとは…! ループモノと組み合わせるのは強いね。
しかも本当はループじゃない。何度もシミュレーションを回してるだけだから一切時間移動してないし、タイムパラドックスを回避してるんだよね。
これもめちゃくちゃ巧妙だと思う。要はハロワの逆、完全にハロワと時間対称な構造なんだよな。ハロワは「過去の完全な記録」を持ち出すことでタイムパラドックスを回避してるけど青ブタ(プチデビル)は「未来の完全な予測」でそれをやっている。アルタラが過去のすべての原子の位置と運動量を記録しているのなら、ラプラスの悪魔は未来のすべての原子の位置と運動量がわかるわけなので。
何度も繰り返される予測(青ブタ)や記録(ハロワ)の世界は完全に決定論的宇宙なんだけど自由意志はある、のかな? ラプラスの悪魔が完全な予測ができるのなら、意識や記憶も物理現象なんだから毎回全く同じになりそうなものだけど、でも古賀の想いは何度も積み重なって強くなるし、咲太も4回目には海に行かなかったりする。心身二元論なのかなー。思春期症候群という青春の自意識が引き起こしてるから、いわゆる厳密なラプラスの悪魔でもないのかもしれない。
だとするとサイコロを何度振っても望ましい目は出ない、とも言い切れない気もしてきた。4回の試行で諦めてたけど実は1万回モンテカルロしたら1回くらいは古賀の望みが叶うんじゃないかw
(あー、ハロワ月行さんが望ましい結果になるまで何度でもシミュレーションをやり直すっていう解釈、どこから出てくるんだろうとずっと謎だったけど(B世界ではそんなことしてないので)、もしかしたら青ブタからの類推だったのかもしれない)
Siri蹴るやつ、そういうことですか……しかしみんな量子もつれ好きよね。自分も好きですが。
1-3話が無視されすぎて存在なくなるやつ、4-6話は空気読みすぎて全粒子の未来まで読めるようになっちゃうやつ。どちらも学校という狭い世界の同調圧力と不安定な自意識が生み出すもので、ほんとに学生時代の世界像ってあんなだったなっていう。恥ずかしい、嫌われたくないという意識に苛まれて自分も必死だったし本当の気持ちなんて言えたことがなかった。
だから天気雨のシーンでずっと古賀が自分の気持ちを偽って、顔で笑って心で泣いて、でも最後に本当の気持ちを言えた時に雨が上がって、なんかもう古賀のすべてを許せる気がした。クラス全員にも神様にも嘘をついていただけじゃなくて自分にも嘘をついていたのは苦しかっただろうな。
最後に一気にサッカーの日まで巻き戻した、というか実際には戻ったんじゃなくて起点がそこだっただけで、そこから本当の現実が始まる構造が美しすぎるんですわ…そしてシミュレーションを経て確実に古賀は強くてニューゲームで、もう自分の意思で告白を断れるし、咲太も古賀の気持ちを聞いたことで、あらためて麻衣さんに真意を問い、返事(の代わりのキス)をもらうことができる。
今回は横浜、みなとみらいも出てきて良きでしたー。あの眼鏡の子は何だったのだろう? もう一度観ればわかるかな。
双葉いじらしいなあ。今回の件は伏線になるのかどうか。そして翔子さん!? どういうことなんだよ…
1〜3話の感想まとめて書きます!
麻衣さん最高にかわいい。すべてのシーンがかわいい。バニーガール姿が最高に似合うし、表情がころころ変わるのも見ててほんとに楽しい。
咲太もお約束のハーレム状態だけど他の子もみんな魅力的で、前世でどんな徳を積んだのか。
二人のかけあい面白いよなあ。いつまでも聞いてられる。
1話のOP前の、そういうことだったんですね…
観測問題と学校の空気との絡め方が巧いなあ。誰からも無視されるって実際、存在してないのと同じだし、全校生徒の前で告白することで存在が確定するのエモい。高校の頃の自意識と世界が直結する感じがすごくわかる。「好きな人の記憶が自分から消えることに抗う」話と「自分の記憶が好きな人から消えるのを受け入れる」話って昔からめちゃくちゃ好きなんですよね…。性癖が両方入っててやばかったですw 眠るまいとする咲太の努力、麻衣さんの薬。「保証」「保障」の伏線。あと双葉もまた抗っていたんだよね。
藤沢って駅周辺以外ほとんど知らないからうろうろしてみたいなあ(駅の再現度が半端ないのはわかった)。東海道線で大垣にも行ってみたい。
咲太や妹の思春期症候群の謎、翔子さんの謎は気になるなー。
1クール目の最終回。
ファイド、元気でな…そして1機で荷物を引っ張り交代で運転するさまはなんだかまったりロードムービーのようで、でも確実に食料も弾薬も尽きつつあって、そんな死出の旅の奇妙なあかるさと美しい風景がただただつらくて。
帝国の街の廃墟が日本語だらけなの鳥肌立った。原作でもそうなんだろうか。この日本のなれの果てが、帝国なんだろうか。
日本の街並み、小学校の習字、卒業式の黒板、ニホニカ学習帳…それはどうみても僕らが育ってきた風景そのもので、だけど黒板の「りっぱなしょうこうになります」みたいな文字列が、残酷な現実を突きつけてきて。この日本語演出は効く……。
帝国は一体何があったのだろう。人は…人はいるのだろうか。もし人がもう誰もいなくて亡霊を乗せたレギオンだけが戦い続けているとしたら悲しすぎないか。
ラスト、見たこともない二足歩行の敵とかも出てきて、白兵戦で勝てるわけもなく、きっとすべての負け戦というのはこんな感じだったのだろうなという。
そしてついに86の拠点を訪れるレーナさん。彼らの生活の痕跡と書き置き。彼らはレーナさんがいつかきっと来るって信じてくれていたんだな。ついに信頼関係を築くことができていたのに、こんなのって…こんなのってないよ…ちょっと待ってくれこれで終わるの!?これで最終回!?……と思ったら兄ちゃん迎えに来た……ああー、そうか、シンはあっち側に…
1クールで一応区切りの良い終わりなのかと思ったら全然そんなことなくて、これは2クール目がめちゃくちゃ気になってしまいますね。レーナさんの強い決意を宿した瞳が、この世界を少しでも良い方向に向かわせてくれることを祈るしかない。
ファイド!!!
ファイド………!!!
ファイド〜〜〜〜〜ファイド…………
ファイド……ファイドぉぉぉ……
だめだ、こういうのに弱いんだよなんてことをしてくれるんだよ!
ファイドかわいいよファイド…
ずっとシンの背中を見続けてきたんだねファイド
なんで回想シーンにかぶせてED始まるんだよ…
ファイドしか見ていないクレナのかわよシーンとか…クジョーさんとか…アンジュ泣いてる…
戦場だけじゃなく青空や花や夕焼けや星や、世界の美しさもずっと記録してきたんだな…
よくよく見たらシンの兄ちゃんやアネットも…
すべてを見てきたファイドが走馬灯のようにそれを思い出していて、もうこの物語の終わりが近いことを知って泣いてしまうんだ…
お兄ちゃん機体かなり意思残ってるしレギオン大量に出てくるしどうなるかと思ったけどレーナさんのビンタ不発弾が決まりましたね。レーナさん強くなった。前回のアネットのマジギレとシンからの拒絶を経て、本当に強くなった。失明の危険を冒してまで敢行した視覚共有や砲撃、今までの彼女では考えられなかった戦法に、吹っ切れたな…と思ったし、アネット相手の脅迫とも言える依頼もほんとにもう無敵の人になっている。
あの「腕」はなんだったんだろう。最後、塗りつぶされてたお兄ちゃんの顔がちゃんと現れて、ああ、シンの中でも成仏できたのかなって。
5羽の鳥が飛んでいって圏外になるところ泣いた。ていうか鳥も一羽ずつ消えていってるんですけど……嫌な予感が当たらないことを祈りたい
アネット過去エピソードがえぐすぎる。もしかしてアネットの隣の一家というのはノウゼン一家だったのでは。パラレイドやシンの異能も伏線だったとは。つらいな。自分の忘れたい過去をレーナが毎度掘り返してくるの、これまでめちゃくちゃつらかったのでは。それを耐えてずっと無邪気なレーナの相手してやってたアネットもついに爆発したか。パラレイド技術も闇深ぇですよね…
人がいっぱいいた食堂が5人になってたり、生活感のあった部屋がガランとしてたり、なんというかこう、特攻というか、死にに征く旅の奇妙な明るさがつらさしかない。
最後ヤバいお兄ちゃん出てきた…次回ついに相まみえるのだろうか。
ほぼ半年ぶりの視聴です…そうだ…思い出しちまったよ、この共和国の胸糞設定をよォ……
これが伊藤監督演出・絵コンテの力…構図とカメラワークが神がかっている。泣いてるアンジュさんとか…
花火と砲撃。祭りと戦争。痛いくらいにこれでもかと断絶を見せつけてくる。僕らが目を背けてきた現実。
レーナさんのパラレイド通話、なんか自分の仕事を思い出させて共感性羞恥を煽ってくるんですよね…。他社さんにリモートでいろいろ依頼するのだけどきっとこちらは現場の苦労を知らず脳天気でズレたことを言ってしまっているだろうし、先方からは煙たがられてるし、上司は彼らを馬鹿にしている…自分もたぶんレーナ以上に空回りしてる…
ていうかいつの間にか86メンバー5人しか残ってないのか。あんなにいたのに。ショックだ。もはやいつ死んだかさえ知らされないというね…。補給は来ないのわかってたけど。どうせ死ぬなら戦って死ぬっていう日本軍的美学、それは礼賛したらあかんやつや…なんかカッコよくキメて納得してるけどあかんやつやで…
めっちゃかっけー!Spotifyでサントラ聴いてるんですがやっぱ劇場で聴くのとはどこか別物で、その意味でもあの迫力と空気感は完全にライブのそれだった。なので、音響の良い映画館で聴くべき。こればっかりは配信では伝わらない。玉田や雪祈の演奏が、成長や挫折を経て次第に変わっていくのを素人でも感じることができて、プレイヤーの方の演奏技術もすごいし、音がダイレクトに心に響いた。
映画全編のかなりの部分がライブシーンだと事前に知って、お話は添え物的な感じかな?と思ったら全然そんなことなかった。ベタではあるのだけど10代のあのまだ何者にもなりきれていない頃の葛藤やら高揚やらがビンビンに伝わってきた。主人公(大)は天才肌なので最初から完成されていて、観客の多くは玉田や雪祈に感情移入するだろうと思う。
ジャズは完全に門外漢だけど、自分も彼らと同じ年代で楽器始めたからすごく来るものがあった。特に玉田。まったくの未経験で経験者と演奏する緊張、音を合わせるのってこんなに楽しいんだっていう気持ち、指にタコを作りながら基礎練習した日々、ただついていくだけで必死だった初ステージ、譜面から「落ち」た時の焦りと目が泳ぐ感じ。演奏中の時間は将来の不安も何も考えなくて済む瞬間だった。自分は玉田ほど練習に打ち込まなかったので下手なままで終わってしまったけど(いくらフィクションとはいえ、数ヶ月でブルーノート東京に立てるって玉田すごすぎるわ…)、彼がめきめき上手くなっていくのは観ていて気持ちよかったし、密かに応援してくれているおじいちゃんとかもよかった。
(以下、原作未読なんですが原作展開に関するネタバレがあります)
雪祈の挫折と、そこを乗り越えた矢先の悲劇。その後の展開はどうやら原作とは違うらしいのだけど、そこに自分は武井Pのいう「登場人物の幸せを願ってやまない感情」を見た気がした。
もちろんこの改変は武井P個人の発案というよりは制作陣の総意なのだろうけど、これまで武井Pはフィクションの持つ「登場人物の幸せを願う」という側面に繰り返し言及しておられて、それとよく呼応する改変だという気がする。たとえば『HELLO WORLD』パンフレットでは自らのことを「虚構とわかってながらキャラクターの幸せを願ってやまない感情を、美しいと思うタイプの人間」と語り、以下のこの一連のスレッドでは『トップをねらえ2!』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を引き合いにこの思いを語っておられる。
https://twitter.com/takei_katsuhiro/status/1169693767479095296
武井Pの話の中にある「ノリコが救われる話にしたいと思った」というのと同じ感情を、制作陣は雪祈に持ったのではないかな、と勝手に妄想している。幼少時から、So Blueに立ちたい一心ですべてをピアノに捧げてきた彼の夢を、せめて映画の世界では叶えてやりたい、(JASSのその後を描かない)映画だからこそそんな奇跡が作れる、そんな思いが込められた展開なのではないだろうか、と……。
5周年記念の劇場上映を鑑賞。
圧倒的な「母になる」ということ。「母である」ということ。親は子のために何をしてやれるのか。たぶん、この映画は観た人の立場によって大きく感想が変わるタイプの話だと思う。人の親になったことのある人であれば平常心で観られないであろうシーンがかなりあった。
岡田麿里さんの作品をちゃんと観たのはこれが初めてなんだけど、予想以上に生々しい作風、感情をえぐるタイプの物語だなという印象。作家性が強い。個人的にはあまりクリエイターの性別と作風を結びつけたくはないんだけど、今作は特に「母親」を経験した者だけが辿り着ける境地のようなものもあったような気がする。子供を産み育てるという、人類の半分が経験しようのない境地をある種疑似体験させてくれる作品でもあった。本作には実にいろいろな「母親の在り方」が登場する。マキア、レイリア、ミド、ディタ。このうちマキア自身は出産を経験していないこともあり、より普遍的な描き方になっているように思う。レイリアやディタをめぐる描写は結構生々しくてちょっとぎょっとするところもあったけど、きっとそこに「母親のリアル」があるのだろう。
そして母親になったことのない、なりようのない人間であっても、確実にわかることはある。誰だって、母親から生まれているからだ。自分の母親に対する感情は人によって千差万別だろうけど、彼女が感じていたかも知れない感情をこの映画から想像することはできるし、エリアルの苦悩も感じ取ることができる。やはり「父と子」とはどこか違う関係性を感じる。
「母親性」と並行して、イオルフの長寿という設定がまた心をえぐる。イオルフは何も変わらないのに、時は過ぎ、エリアルたち人間はいつしか勝手に大きくなり、いつか親から離れて彼らの人生を歩んでいき、さらに次の世代に何かを伝えていく。永遠なんてものはなくて、いつか別れの日が来る。それでも親は子にとってちゃんと親であれたのだろうか。子は親の人生に何かを与えることができたのだろうか。たぶんお互いに自問し続けるのだと思う。
登場人物の行動原理がかなり感情ドリブン(しかもわりとドロドロした重い感情)なので、プロット全体としては気になる部分もあった。これは自分がキャラより物語構造のほうが気になってしまいがちなせいもあるかもしれない。ただ、その分、キャラの声にならない叫びや慟哭のようなものが強い力で物語をドライブしているのが感じられた。また音楽と美術が本当に美しかったので、大画面で観て良かったと思う。
金の国水の国も見てきました!
みんなが一行さんみを感じたという浜辺さんの演技めっちゃ良かったです!主人公も含め本当に役に合ってました。
男女の甘々な触れあいを描く作品かと思ったら意外とエンジニア映画であり組織間の群像劇であり。そしてエキゾチックな意匠がめちゃくちゃ美しい。
主人公はエンジニアのある種の理想ですよね…w ただしおとぎ話っぽい体裁のためかリアリティラインはかなりふわっとしてて権謀術数とかアクションとかお仕事映画っぽい要素はそんなにないです。
ちょっと登場人物の感情の推移や行動の動機をうまく追えず混乱したんですが、原作読めてないからかも。
上質な絵本を読んだあとのような、全体的にほっこりする映画でした。
あと富山のアレもっと出してほしかったw
原作もアニメも未履修でほぼネットミーム知識しかなかったんですが、良かったです!
・井上先生の絵がそのまんま動いてる!完全に漫画読んでる気分(コマ割りが浮かぶ)
・完全にスポーツ観戦してる感覚
・静と動の対比、台詞で語らない演出がとても良い
自分はバガボンドしか読んでないけど何となく井上先生節みたいなのが感じられて、あの絵のタッチがそのまま動いてるのすごかったし、構図やカット割りも不思議と漫画に近かった。
主人公を「彼」にしたの、正解だったと思う。これは原作読みたくなる…。試合とそれ以外のシーンの構成が巧いなあと。彼の苦悩や鬱屈、家族との関係、そんなものが映像だけからビンビンに伝わってきて、きっとすべてのスポーツ選手ひとりひとりの背景に人生や思い出や強い感情があるのだろうなとそんなことに思いを馳せるくらいに日常パートがよかったし、だからこそ試合に自然に熱が入る。本気で試合にすべてを託したくなる。
高校の体育でバスケやってた時の感覚を強烈に思い出した。ボールがバウンドする時のちょっと金属的な音。ドリブル中にボールが手に吸い付くような感覚。ゴムの匂いと表面のザラザラ。
陰キャなので団体で球技とかもう完全に無理だったんだけど、こんなに覚えていたとは。そういうかすかなバスケの記憶を確かに呼び起こしてくる、そして、バスケがしたいです……と思わせてしまう手腕、さすがだと思いました。
※Twitterとふせったーの内容に加筆してます。
ようやく「かがみの孤城」見に行けました!めちゃくちゃ良かったです…いやこれこんなにも上質のミステリだったのか(辻村先生なんで予想すべきだったんですが)…伏線がすごく精緻で、そして真相が「自分がめっちゃ好きなパターン」でしたわ…。
伏線が丁寧なおかげで、自分でも途中でうすうす推理できてしまうんですが、逆にそれが心地よいというか「あっこれ好きなパターンのやつや…さあそこに向かってすべての伏線を拾っていけ…」みたいな気分になるし、「それ気づくやろ」って部分も「うん、でもだからこそエモいんや」ってなるやつ。
主人公の苦悩は、自分はよくわかってしまうタイプの人間でして、中学の頃のこといろいろ思い出して「ああ〜…」ってなるし、だからこれは中学生くらいの人達にぜひみてほしいし、大人になってから見ると自分の思春期を多角的な視点で振り返って昇華できる、気がする。
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以下、ふせったーに書いた内容:
すずめの戸締まりとも共通するけど例の「あなたの人生の物語」と近い構造で、未来を変える話ではないけどだからこそそれが救いになる物語。一足先に大人になった存在からの「大丈夫、大人になって」という肯定の力は大きい。
※すずめの戸締まりとあなたの人生の物語の共通項というのは、IOさん、イサイハクさん、ヒナタカさんなどが指摘されてたこれですねー。
https://twitter.com/isaihaku/status/1594677063306264577
かがみの孤城の場合は、相手は未来の自分ではないから円環ではないところがちょっと違うんだけど、逆に自分だけではないあの7人(+1)がバトンを渡して何かを託していく構造でもあって。この因果のパラドックスの持つSF性みたいなところが本当に良い。
あと、別にアキもこころの未来を知っているわけではないんだけど、自分の経験に裏打ちされた「大丈夫」であって、実際大人ができることはそれくらいしかないんですが、それでも託していける何かはあるのだと思う。未来の仲間たちから手を引っ張ってもらって救われた、だから逆に未来で彼らを支えていくという構造(スバルは喜多嶋先生より年長なのでアキの支えはないんだけどたぶんマサムネによって与えられた将来の夢が人生の支えになるのかな?)。たぶん普通に大人から「大丈夫」って言われるだけだと不信感しかない年代なはずなんですが、同じ時間を中学生として共有したからこそ、その大人にもそんな時代があったことがわかるし言うことも信じられる。というかむしろ大人視点で語るべき話なのかもしれないですね。大人からは大丈夫としか言ってあげられないけど、それでも本当に大丈夫だよと伝えたい、という。
さすがオトナ帝国の原監督だなあ。時代を超えて共闘するやつ、未来は大丈夫だよって言ってもらえるやつ、記憶消えるけど何か残るやつ、因果関係がぐるぐるするやつに弱いので、それがフルコンボで来てどうしようかと思いましたw
観る前は、感動、かけがえのない仲間、いじめに立ち向かう勇気、みたいなエモエモな方向を想像してたんですが、予想以上にミステリでありSFで、ロジックとエモのバランスが絶妙でした。孤島、謎の少女、鍵を探す、などのオーソドックスなミステリの上段にどんでん返し要素が数回あって、ただそのどんでん返しも途中でじわじわと推理できる類いのやつなので、推理の楽しみを味わえて最後には全部のピースを「自力で嵌められた」快感が残る。だからこの映画は、キャラで観る人も物語構成で観る人もどっちも楽しめるタイプの話だと思います。そしてきっと、すべて分かった上で観る2周目がめちゃくちゃ楽しめるタイプの話。
7年間+中学生という縛りがめちゃくちゃ巧いんですよね。7人がいた1985、1992、2006、2013、2020、2027という時代。たぶんアラサーくらいまでの人、それから40〜50代くらいまでの人であれば、これらの年代のどれかがそこそこの確率で自分の中学生時代と重なるはずなんですよ。だから、幅広い年代の観客が「自分の中学生時代」と重ねることができる。1999年だけがないのでその近辺だけ空白地帯にはなってしまいますが、まあ比較的時代に関係ない普遍的な描き方だったので大丈夫だったと思ってます。スラダンとかでも感じましたが、意識的にスマホとかを描かないようにしてますよね多分。そこに小出しにルーズソックス、ウォークマン、ゲトワとかの伏線を貼っていく。
真相、さすがに気づくやろっていうのはあって、スバルとか、せいぜいゲームウォッチ世代だろうからたぶんマサムネのゲーム触ってうすうすなんか気づいてると思うんですよ。明らかにオーバーテクノロジーなので、確信はないにしてもなんか変だ、でもまあこいついいやつだし深く考えるのはよそう的な。真相がわかったときも他の面々ほど驚いてなかった気はする。でもきっとそれがどこかで彼の原動力になるんだろうな。この辺はもう一回くらい観て確認しないとなー。ゲトワがパラレルワールド設定なのはエモいですよね。むしろこれがすずめの椅子的なやつか。
中学生の頃って本当に中学校と家だけが「世界のすべて」で、学校で何かつらいことがあるともう完全に逃げ場がなくて詰むんですよね。最近はもしかするとネットがかがみの孤城的なサードプレースになってるのかもだけど(実際今の自分にとってはTwitterが完全にそうですがw)。子供の持つ無神経さと肥大した自意識とが共存してて、自覚なくめちゃくちゃ残酷なことをしたりするし、受け取ったほうも必要以上に思い詰めて自分を全否定してしまう。高校くらいになると「他人は他人、自分は自分」という意識が育ってきてお互いにトラブルが起きなくなるように思うんですが。あの頃特有の逃げ場のなさが実にリアルに描かれているなあと思います。
真田さんや伊田先生、まあ確かにひどいんですがあれはこころの視点で描いているからああなるのは当然で、おそらく客観的には彼らは彼らなりの物語があるんだろうと、大人になった今はそう思えます(ただそこを描くと映画として完全にブレるので)。あれは単純な「いじめ」という言葉でくくれないものな気がする。いじめをテーマにした作品でよく出てくるような壮絶なものではなくて、刺々しい言葉、嫉妬、陰口、無視、嘲笑、周囲の無理解といった、誰もが経験したことがあるレベルの、でもそれがあの年代だと鋭利な刃物のように心に突き刺さる、そういう描き方なのは良かったと思ってます。あの頃の自分もちょっと馬鹿にされたりからかわれたら何ヶ月も気に病んで、真剣に相手を消してやりたいと思って、今考えるとなんであんな軽口を真に受けてんだよ自分が自意識過剰なんだよっていう視点を持てるのだけど(だから伊田先生の態度もわかる)、その渦中にいるともう何も見えないんですよね。そのバランスの妙。あれがもし壮絶な描写だったら「自分はこれよりマシだった」ってなって思考停止するだけなので。そして、こころがあの年齢で萌ちゃんのような視点に出会えたのは本当に良かったと思う。
自分もあの頃の自分に大丈夫だって言ってやりたい気はするんですが、わりとここ数年、当時の伏線がこの歳になって回収されてびっくりするような出来事がいくつかリアルで起きてまして、もしかしたら記憶が消されてるだけであの頃なんかあったのかもな? と思いますw
あとED後のおまけ画像、めちゃくちゃ良かったけど、あれ最初はランダム特典で配ってたんですか!? あんなコンプせざるを得ないものを、映画6回も観させてランダム配布とは……w
・また温度差で発電できそうな回が…つらい…
・お花見が完全に日本の典型的なお花見で(上野公園かと思うレベル)、桜、被り物、「おもしろ人間」というタスキ(完全に「日本語」が書いてあった)、世界設定がすごく気になる。カイエのロゴにも「桜花」という漢字があったし。一方ですごく東ヨーロッパ的な街路、クリスマスツリーの飾り、公文書に現れる英語…不思議だ
・からのダイヤとレッカ……アンジュの抑えた感情が伝わってきてつらい。アンダーテイカーの介錯は、そういう意味もあったのか。
・レーナさんの描いた似顔絵、「本当の名前」に続いて、少しでも彼らを一人の人間として扱おうとする気概が伝わってくる。それ自体がやっぱりまだまだ現場を知らないうぶな甘ちゃんの発想ではあるし、どこか「ズレ」ているんだろうけど、それでも彼女のそんな努力を自分は愛おしいと思う。
・そしてこの戦争、相変わらず負ける予感しかない。1945年の日本軍とかが出てくる作品と同じ種類のつらさしかない
・いつもEDの入りがかっこよすぎる…鼓動からこのイントロ……
・次回が例の伊藤監督絵コンテ回か…きんちょうする
3ヶ月振りに視聴再開しましたが、すぐに世界に引き込まれる。やっぱりこの容赦ない世界観、すごいです。
そして衝撃の事実が……えぐすぎるわ……。ギデオンはただの機械ではなく、死んだ兵士の脳構造のコピーを使っている……死の瞬間の意識だけが使われていて、その声がシンには聞こえるとは。だからいつも襲来を把握できていたのか。なんという最悪。最悪じゃないか。
人ならざるエイティシックスを戦線投入している共和国もえぐいと思っていたけど、胸糞度合いはギアーデも負けてなかった。
2年経ったらギデオンが使えなくなるというのは欺瞞だったと。
全レギオンを常に把握しているシンの能力は、勝ち目がないこの戦争の唯一の切り札とも言えるし、少しずつレーナとシンは打ち解けてきているようには表面上見えるけど、でもレーナはやはりまだ何もわかっていない。この歯がゆさは今後も続くのだろうか。
ノウゼン家のルーツはギアーデ帝国なのか。カイエが「いた」ということ、シンが兄を探しているということ、「羊飼い」の存在……何となくこの先が見えてきた気がします。最悪の再会をする悪寒があります。
アルバ側パートの脳天気さは毎度、癒されると同時にどうしようもない断絶を感じさせる。大体革命祭っていうのも無神経な祭りのひとつな気がするけど。
今回も「同じ月」が二人を照らしていて、それは完全に両者が同じ空の元にいることを示していて、でもなぜこんなにも圧倒的な断絶があるのだろう。
絵コンテすごいですね。花や虫ですべてを語ろうとするのすごい。
原作既読なので、どうしても比較しながらの鑑賞になってしまってます。すみません。
まず、原作の持つワクワク感がそのまま再現されてる!異星の生命体の根源的な知への欲求、AIと死の概念など、SFマインドは映画でも健在でした。科学技術考証は(オーバーテクノロジー部分は考証のしようがないのでスルーするとして)ちょいと気になる点はありましたが、しきしまさんのデザインがとてもかっこよかったのでヨシ!
団地が取り壊されるという映画独自の設定、時代設定を原作より少し先にしたのはすごくよかった。ムビチケ特典のカレンダーの年代は、ちょうど親世代の物語(映画では「今」2022年になっているのがよい)から子供たちの物語への待ち時間を感じさせてすごくエモい。このカレンダーを箱にしまってその時まで取っておけ! 阿佐ヶ谷駅周辺がすごいことになっているw
キャラデザ、最初はあまりタイプではないなあと思っていたんですが、動いてみると花香がかわいい!そしてナナコが本当に健気でかわいくて、声のイメージもぴったりで、人間以上に人間らしいキャラクターとして描かれていてよかったです。彼女ならきっと人類代表としてやっていける。
ただ、これはすごく個人的な話なのですが、原作で自分の好きな部分がどうしても尺の都合かカットされがちで、そこはちょっと個人的に残念でした。特に主人公の親達の物語パート、そしてラストシーン。あー、そこを切ったかーっていう。
観ながら最初に思ったのが「2時間の詰め込むの大変だったんだろうな…!」ということ。尺に収めようとするあまり、心の機微の描写が抜けがちなのが惜しい。この話、わりと子供特有の残酷さや身勝手さを赤裸々に描く作品で、原作ではそれを親世代の物語や細かいエピソードでフォローする構図だったのですが、映画は後者の比重が相対的に減ってしまい、話の展開や感情曲線の回収に若干唐突感が出てしまったかも。というわけで映画だけ見た方はぜひ原作も読んで補完していただければ!
あと親世代の物語の描写はもう少しほしかった!映画化するにあたってジュブナイルに大きく舵を切ったように見えましたが、原作はアフタヌーン誌連載、舞台がノスタルジックな団地ということもあり、大人パートを手厚くして大人向けに売り出すと意外と化けたのかも。親世代の約束を子供に託すというだけでなくて、屋上からの落下事件のフォローとか、大人としていろいろなものに折り合いをつけながら生きていく部分、親としての立場で子供たちを諫める気持ち(ストーリー的には障害となる部分)が原作において物語に深みを与える部分だと思うので。子供たち(特にあの主人公)だけだとどうしても突っ走っちゃうからね。でもあの勢いが良かったのかもという気もしてます。
もちろん、これはすごく特殊な感想であって(SF部分より大人ドラマ部分が刺さってた変な人間なので)、SFジュブナイルを期待する人であれば素直に楽しめると思いますので、原作とともにぜひ! 科学に夢中だった子供の頃を思い出させてくれる素敵なジュブナイルでした!