盛り上がらない演出もまともに動きが描けない作画もちぐはぐな音楽のつけ方もいつも通り。南雲の完全に重力を無視したような動きには笑ってしまった。
料理を作らせるために太朗が呼ばれるのは唐突感があるなあ。一応第10話の男子トークのときに太朗が料理人を目指していることに触れられてはいるが、あの男子トークは原作では場所が夕日宅なので実際に料理を作るシーンがあったのが、場所が宿に変わったため料理を作るシーンがなくなっている。台詞だけだとどうしても印象が薄くなるので、今回太朗が呼ばれるのがちょっと唐突に感じられてしまう。
次回は総集編で、その次の回はいよいよ太朗と花子のエピソードらしい。ここまでのところ、花子の声の演技には結構自分の解釈との距離を感じるのが不安要素。どうか頼むぞ……!!
劇場公開と同時にNetflixで配信も始まっているが、特に音響面で劇場で見てよかったと思える作品。豪雨が迫ってくる感じとか、家では味わえない迫力と臨場感。
石田祐康監督の作品は、前作の「ペンギン・ハイウェイ」もそうだったが、子供の描き方がとてもいい。大人の考える理想の子供像の押し付けではなく、幼くともちゃんと一人の人間として描いているのがいい。
いつの間にか世界の命運がかかった事件に巻き込まれていた、みたいなスケールの大きな話ではないし、描かれている子供達のドラマも言ってしまえばささやかなものだが、子供達にとっては間違いなく一生に一度の、映画で描くに値する特別な体験。そのバランス感覚が好ましい。
キャラクターデザインを担当した方は前作とは変わっているが、方向性は前作を踏襲しており、シンプルな線でキャラの見分けやすさと本当にいそうなリアリティが両立しておりしかもかわいい、見事なバランスのデザイン。本編の作画もよかったし、キャストもよかった。
今回は田所あずささんの熱演に救われたと思う。田所あずささんが氷雨を演じてくださって本当によかった。
音楽のつけ方のちぐはぐさに首を傾げるのはいつものことだが、今回は特に本来作品を盛り上げるべき音楽が逆に盛り下げていると感じた。夕日がさみだれに会わせるために氷雨を引っ張っていくシーンとか、なんでそのタイミングでその音楽をつけるのか、全く理解不能。せっかくのthe pillowsの曲も、全然シーンと合っているとは思えなくて、もったいないことこの上ない。
ちゃんとした作品にはその回のここぞという見せ場があるもので、今回なら夕日の「ぼくがついてる」がそうだと思う。少なくとも原作では夕日のこの台詞とそれを聞いたさみだれの反応は1ページに2コマの大ゴマで描かれており二人の表情もすごくよくて、読者の印象に強く残るよう演出されている。
一方アニメ版は、原作と違って「帰ろう」のときの夕日の表情を見せてなくて、「怖がらなくていいんですよ」と「ぼくがついてる」を1カットにしてしてしまっているため、「ぼくがついてる」が際立たない。さらに言えば原作のライティングのようなプラスアルファの演出もない。
夕日の表情にも原作のような「ああこれはさみだれも顔を赤らめるわ」と思わせるような力はないし、それを聞いたさみだれの表情もイマイチ。原作はその2コマ後の「うん」のときのさみだれの横顔がまたいいのだが、アニメ版はそこでさみだれの顔を映していない。
本作を見ていると、マンガの面白さを損なわずにをアニメに落とし込むことの難しさがよくわかるなあ。
今回はいつにも増して作画が危うかった。キャラの顔の統一がいつもよりさらに不安定(特に太朗がヤバイ)のもさることながら、まともに動きが描けているカットが一つもないのではと思うぐらい不自然な動きだらけで、気になって興が削がれることおびただしい。
原作の水着回に太朗と花子のエピソードの一部をプラス、という改変はあまり不自然さもなくてなかなか上手い改変だと思った。ただ、「黒髪みつあみめがねっ子女子校生❤️ セーラー服で百烈脚!!!」がカットされたのが残念。本当に残念。いや待て、今回の作画でアニメ化されなくてよかったと思うべきか。
「そして気の毒だったな 私に巻き込まれて!!」の表情、視聴後に原作を見返すとすごく印象に残るいい表情で、特に印象に残らなかったアニメとの落差に驚いた。比較すると絵自体にはそんなに大きな違いはない。アニメだと口を開閉する動きが加わったことでかなり印象が変わる感じ。さらに、原作だと同アングルの小さいコマを積み重ねた後にページ半分を使って当該コマ、とちゃんと印象に残るような周到な演出がなされている。アニメだとフレームの大きさが固定なため原作と同じ手は使えないので、同じような効果を得るには演出に一工夫必要なところだが、結果は……。マンガとアニメの特性の違いが端的に表れた箇所だと思う。
原作既読の作品の場合、多少粗があっても原作を読んだときの感情を喚起してくれさえすれば感動できたりする。本作はこれまでそのレベルにも達していなかったが、今回ようやく原作を読んだときほどではないにせよちゃんと泣けた。今回は原作の2話分で、台詞の細かい異同を除けば脚本はほぼ原作のままなのがよかったのだろう。相変わらず演出や作画は原作を下回ってるけど。特に昴の眉毛はもうちょっとかわいく描いてあげて欲しい。
ノイの「ア…アカシックレコード…だと!?」という台詞はできれば残して欲しかったかな。カットしても大きな不都合は生じないので「できれば」というレベルだけど。師匠の本を読み終えた夕日の声の演技は、もうちょっと感慨を感じさせるものであってもよかったと思う。
公園でゴミを拾っている雪待の「ナイッシュー」はアドリブだろうか? 原作にはない台詞で、よい膨らませ方。
今回は原作の3話分。太朗と花子がメインの1話が丸々カットされているのがものすごく不安。順番を入れ替えただけで後でちゃんとアニメ化されると信じたい……。
その他のカットされた部分はだいたい予想通り。神余のエピソードはカットされるよね。後々に影響しそうなのは南雲が神余に調達を頼んだブツくらいだろうし。
火渡に予知能力がなくなったのも予想の範囲内。火渡の予知能力は、予知能力のような超能力が存在する世界であることを示す、南雲がオカルトに寛容である理由づけ、氷雨と風巻の会話の前フリ、といった意味があると思うが、なくてもギリ不都合は生じないと思う。
過去話数でカットされた、夕日とさみだれが夢で会っている場所が地球上空であることが、特に印象に残らないようなぼんやりした演出で提示されてしまったのは残念。雪待と昴がアニムスに師匠からの伝言を伝えるシーンとかも、もっと演出しようがあるだろう、と不満。
太陽のポジションは原作通りなのに第5話でルドの最後の言葉を変更した理由は、そうすれば夕日達がフクロウの騎士を警戒するシーンをカットして尺が稼げるからなのかもしれない。フクロウの騎士が不穏な動きをしていることは今回のBパートでわかるわけだし。ただ、フクロウの騎士を警戒する理由があるのが原作と違って風巻だけになって、今後きちんと整合性を取れるのかが不安。
ダンスの作画が終始非常に不安定なのに対し、「アニムスの仲間になったの?」あたりだけだがクーの作画は尻尾の動きも含めて突出してよかった。これ絶対原画マン猫好きじゃろ。
OPやEDの映像が変わることがあるとしたら獣の騎士団全員が揃った次の回あたりかと思ってたけど……うん……そんなことあるわけないよね……知ってた……。
次回はいよいよ師匠のエピソード。今日読み返したのだが、またボロ泣きしてしまった。これが無惨な形でアニメ化されたら、別の意味で泣いてしまうので、頼むぞアニメスタッフ。
今回は原作の4話分。原作からカットされた部分も多くなく、構図も基本的に原作通りで、大きな問題はない回だったと思う。相変わらずアクションシーンの動きがショボいけど。
演出面では、白道からの電話で「今夜ヒマ?」と言われたときに夕日が正座に座り直す動きを見せたのはよかったと思う。ここを動かすのなら、師匠の死を口にしたときに雪待が昴の手を握るところも動かして欲しかった。
冒頭の戦闘、原作では夕日と三日月それぞれの戦いが対比的に描かれていたのだが、アニメ版では対比的には描かれていない。これはマンガとアニメの特性の違いからくるのかもしれないし、あまり問題はないかも。
夕日の部屋でさみだれと白道が鉢合わせしたとき、原作では夕日が胃を押さえていたのだがカット。細かいコメディリリーフ的台詞が優先的にカットされているのは前回と同様。三人で晩ご飯を食べた後にマジカル・マリーを見るシーンもカット。「…と丁度そこで東雲さんに借りた分は終わった」とか、いい台詞なんだけどな。白道に対抗してさみだれが夕日にご飯を作るシーンもカット。このときのさみだれの暴君っぷり好きだったのに。夕日とさみだれのラブコメも優先カット対象なんだよなあ。
今回一番大きな改変は、集合した獣の騎士団にさみだれが檄を飛ばすシーンと、「ゆーくんは強なった」から始まる夕日とさみだれの遣り取りの順序が入れ替えられたこと。致命的な改変ではないと思うが、わざわざ変更した意図はよくわからない。「とうとう役者は揃った」の台詞は原作通りさみだれの檄の後の方が繋がりがスムーズなように思う。
あと、「それが我々獣の騎士団だ!!」の後にあった原作見開きページをカットしたのは本当に意味がわからないし、カットすべきではなかったと思う。見開きということは、ここぞという見せ場のはずで、そこをカットしてどないすねん。
今回は原作の5話分とあって、さすがにカットが多い。さらに冴えない演出も加わって、結果として大筋は同じなのに受ける印象が原作とは随分と異なっていると感じた。原作を読んだときはもっと面白かったんだけどな……。
原作では夕日を縛る半月の死のトラウマは鎖として表現されていたが、これをわざわざ無くした意味がわからない。代わりの演出的工夫があるでなし。鎖の作画がたいへんだからという理由だったりして。
夕日がマジカル・マリーの同じ回を繰り返し見るシーンや、夢のシーンがカットされたのも残念。原作と異なる印象になっているのは、こういう事態の進展に影響はないけどキャラの心情を表現するシーンがバッサリカットされたからか。
細かいコメディリリーフ的台詞もかなりの部分カットされたことも、味わいに大きく影響してそう。例えば、初登場時の南雲の「10代の少年少女の3人組か。青春だな…ふ。う うらやましくなんかないぞっ」という台詞とか、最初にこういう一面もある人物だと提示するのとしないのとでは、キャラに抱く印象が全然違ったものになってしまうだろう。
新キャラのキャスティングは文句なくイメージ通り。この点は本作の数少ない救い。これで演技のディレクションがまともなら……。
原作では16歳と明言されていたさみだれの年齢をぼかした理由ってなんだろう?
演出、もうちょっとどうにかならないものか。冒頭部分、時間の経過がちゃんと演出されていないので、さみだれが夕日の部屋に行くとさっきまで一緒に朝食をとっていたはずの夕日が先回りして寝ているように見えてしまっている。
ファミレスに他の客が一人もいないのも手抜き感。さみだれの父が夕日になりたい職業を聞いたとき、原作では2コマだけ夕日が子供の頃の回想が入るのだが、アニメではカット。この回想はあった方がよかったと思う。
CMを入れるタイミングも変。なんでわざわざ原作の話数の区切りとは違う中途半端な位置にCMを入れたのだろう?
「大人気ないとは大人のためにある言葉だな」は好きな台詞だったので、カットされたのは残念。
半月のノコの思い出が、原作ではルドによる回想として描かれていたのが、夕日の質問に答えて半月が語る形に変更されたのも違和感。半月は他人にこういうことを語るキャラではない、というのが自分の解釈なので。
半月に鍛えてやると言われて夕日が「お願いします」と答えた後、原作ではノイとルドが「夕日が変わった」と思うコマがあった。これもカットしない方がわかりやすかったと思う。
半月が泥人形の攻撃から夕日を庇うシーン、半月の姿とノコの姿が重なるという原作とは異なる演出になっているが、正直イケてないと思う。
ルドの最後の言葉が原作の「ふくろうに気を付けろ」から変更されているのも、意図がよくわからない。アニメ版でルドが言いかけたことよりも、ふくろうについて前フリしておかないと、後々ふくろうと出会ったときの夕日の反応が変わってしまうのだが。
「大人」という本作の大事なキーワード(と自分が思っている)が登場。アニメ版でもここをしっかりと描いてくれれば。
第3話で夕日の祖父と小石達の同居期間が原作の一ヶ月半から十数ヶ月に変更になってたからそうじゃないかと思ってたけど、やっぱり夕日の年齢は原作の18歳から20歳に変更になってるのね。大筋に影響はないだろうし、今のご時世からすると妥当な変更だと思う。
重箱の隅だと思うが、さみだれが公園で拾った木の枝の切り口がきれいなのが気になった。自然に折れた枝じゃないの?
氷雨が三日月に言及したシーンは、原作通り三日月の顔をチラッと見せて欲しかったところ。
原作では夕日とノイがさみだれの父親の職業について会話した後にあった夢のシーンはカット。かなり重要な伏線が含まれてると思うんだけど、大丈夫なのだろうか?
居酒屋でのマジカル・マリーのフィギュアに関する遣り取りがカットされたのは残念。ではそれを残す代わりにどこをカットするのかと聞かれると返答に困るので、止む無しか。
Aパートのエピソードは、主人公である夕日のドラマに一つ大きな区切りがつく、大事なエピソードなわけですよ。原作で読んだときは強く心を揺さぶられたものですよ。それがこんな、原作が持っていた熱が欠片も残っていないようなアニメになるなんて……。
一番疑問なのは、原作とはシーンの順序を変更して、原作では夕日が祖父の病室を飛び出してからノイに願い事を告げるまでが一連のシーンだったのを、願い事を告げるシーンだけAパートの最後に持ってきたこと。原作では、夕日が祖父に対する憎しみを吐露し、直後にそれでも祖父を助けてくれと願う、愛憎が同時に存在する人の心のままならなさ、夕日が隠していた心の奥底にあった一面、というのがよかったのに、シーンを分けたことでそれらが台無しになってしまっている。
原作既読であっても何を言っているのか聞き取りに困難を覚える夕日の声の演技については言うまでもなく。
また、泥人形と戦っているときの「死線を越えてやるって言っただろ」という台詞は、願い事を告げるシーンの「共に死線を越えようぞ」という台詞を受けてのものなのに、シーンの順序を変更したことでおかしな台詞になってしまっている。改変したことによって発生する不具合の手当てもできないのなら、改変なんぞしないでいただきたい。
Bパート「僕が割り込む余地なんてないじゃないか」のシーン、相変わらずキャラをスライドで動かしているだけで全然「割り込む余地のない戦い」に見えなくて、思わず笑ってしまった。
あと、個人の好みの範疇だと思うが、ルドの目が原作と比べて犬っぽさが減って人間に近い目になってしまったのが残念。
今回もアクションシーンに迫力がなくてしょんぼり……。
火渡さんのエピソードは丸ごとカットかあ。彼女の言動、面白くて好きなんだけど、本筋には関係ないからカットは止む無しか。
初めて夢の中で夕日とさみだれが会うシーンはカットすべきではなかったと思うが、次回以降に回された可能性はあるかも。
夕日が二つ並んだ扉の左をあえて選んだ理由も、彼のキャラをよく表しているので残して欲しかったが、これはもう自分の好みの問題だろう。
当方原作ファン。アニメ版が原作の面白さを7割再現できれば今期アニメ新番組のトップをねらえる、そのぐらいのポテンシャルがある原作だと思っている。
さてアニメ版。放映前のプロモーション映像を見て期待値はほぼほぼゼロだったので、まあ予想の範囲内。ストーリーこそ概ね原作に忠実であるものの、作画は低調だし、演出は特に見るべきところもないし、声自体はキャラに合っているものの演技が自分のイメージとはズレを感じる。原作にあったパンチラもなくなった。ついでにOPはキービジュアルと本編映像を加工して繋げたものでとても安っぽい。
……これ、何を楽しみに見ればいいんだろう。
いい映画だった。
本作は環境音の聞こえ方で味わいが変わってくる作品だと思う。今回劇場用に調整された明るさと劇場の良い音響で映画を見て、初めてアニメ版『ゆるキャン△』を十全に味わえた、という感覚があった。そういう意味で劇場で見るべき作品。
映画ではリン達は社会人、と聞いたときは「それって大丈夫なの?」と不安がよぎったが、全くの杞憂だった。社会人になった彼女達でなければ描けないドラマになっていたと思う。
あと、千明がめっちゃ美人になっていたことを特筆しておきたい。