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サービス開始日: 2018-01-20 (2572日目)

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全体の感想
・時間経過について。一瞬の場面切り替えで5年程度が何度も経過することと、マキアの外見が変わらないことは不思議な違和感を残します。
そこから気付かされたのは、彼らにとって人間の生が「たった一瞬のこと」と見なされるのではなく、定められた時間よりも意味的な出来事の重み(楽しい時間は早く流れる)(イオルフの村の破壊は一晩。レイリアが子どもを産まされ、植え付けられた孤独の時間。人間が老いるまで)がこの作品にあることです。
→ ヒビオルに描かれない夜明け。結末としては、レイリアの別れを『小さな綻び』(冒頭シーン)であるとしました。

・作品に登場する単語について。複数の固有名詞と日本人には聞き慣れない名前が登場するが、表記「ヒビオル」の発音が「ヒビウォル」だったことに少しだけ違和感がありました(他、「レイリィア」「イウォルフ」)。また、登場人物の中には呼び名が1度しか登場しないキャラクターがいるため、1度の視聴では理解が難しそうです。

キーワード
『さよならの朝』と『約束の花』について
・さよなら朝
最初の「さよなら」はマキアの両親への言及です。クリムとレイリアは、その日の終わりに両親に出迎えられたが彼女にはそれがない状況。上記の “命の長さの違い“ から「母親とは何か?」「生命の価値」を描こうとしたように思えます。

・約束の花
タンポポの綿毛『別離』と、ヒビオル 綿花『母の愛』が効いていました(冒頭のネモフィラは演出でしたが、映像内には何種類かの花がアレンジメントされています)。
 
 
――――――――――――――――――
物語の細かいシーンまとめ
――――――――――――――――――
1.時の流れの違い
青少年だらけ。髪を伸ばした長老の存在。
2.恋をしてはいけないという忠告(ラフィーネ)
寂しいだけじゃなかった、外の世界の関わり。不老不死なはずのマキアの両親について。

ラフィーネの予感
『シーン:糸のほつれ, 綿が水に落ちる』は物語の全体の始まり『メザーテによる侵略』を暗示していました。
 
 
――――――――――――――――――
シーン: 起 1
夜の密会 マキアの涙の意味は「ひとりぼっち」の寂しさ?
赤目のレナトはなぜ的確に彼女(または布)を狙った?

敵性存在について
少女趣味の示唆。「化け物」「女を狙え」。長命の血
幸せな夜の密会からNTRまで。混血者の存在と、彼らの生殖機能が人間のように機能することは、略奪時のセリフ「女を狙え」を視聴者に納得させます。
潜在的なテーマ: 民族紛争
 
 
シーン: 起 2
襲われていた移民族。死んだ母親に守られていた赤ん坊との出会い
(ここではテーマとして『人間と機織り一族との時間の長さ』。外の世界との関わりから伝えられている『別れの意味=再会』が進行し始めます)
母親による我が子を守るための “凄い力” は死後硬直だけではない。

集落との出会い
ダレルとしての印象「貴重な金づる」(イオルフ)
「わからない」- 母親とは?
・泣かないこと

(この家で彼女は髪を染めるが、もう一度その金色の髪が描かれるシーンは丁寧に演出されるに違いなかった)
→ 断髪。人間としての生活の終わり
慣習: 出産したら髪を伸ばす の意味?

集落での季節の流れは、風景の変化と具体的な描写として「水流がせき止められている場所の移ろい」によって描かれました。
エリアルの成長の過程

帝国 - メザーテ
レナトの赤目 - しまい込んだ思い。彼らが従者となった経緯は明かされません。
操縦者は彼らをコントロールできていないような描写。

オノラの死についての言及
母親による「オノラは早く生まれた」「誰にでも訪れる死」という教示は、マキアの涙のトリガーになっています。この死は「別れの一族」という呼名/伝承が、実際の出来事と重なる最初のシーンだが、その死の順番の前後はこれから彼女へ何度も訪れるはずでした(死の受容を当てはめないような描き方、また「母親の強さ」)

エリアルの出生と差別。怪奇なものを見るような視線は「よそ者」と「年を取らない少女」への反応です。顧客だったおばあちゃんは死んだだろう。

ディタの存在はこの物語の冒頭で示唆された『恋』が『家族愛』になることを私に予感させましたが、彼女の実年齢であった15歳はかなり絶妙な外見と設定、レギュレーションとの競合になる…
→ 軽く折れたディタの花
→ 姫様を助けに来た “伝説” の死でも花が落ちるが、私はそのシーンをディタの後悔と同等に扱います。
→ 彼女もまた母親になった。「ほんとうに私でよかったの?」から「愛していく」まで。
 
 
――――――――――――――――――
シーン: 承
マキアとエリアルの船出と空は厚い雲に覆われていましたが、途中から陽の光が差し始めます。船内、クリムとの再会。

レイリア奪還の画策
「母さんじゃないみたい」への適切な反応。モゾモゾ虫

2.恋をしてはいけないという忠告(ラフィーネ)
セリフ「本当のひとりになってしまう」

母親としての自覚。セリフ「その若さで」
(→「性行為をして子どもを育てられる環境を探してしまっている」)
(また、居酒屋のワンシーン。マキアがお尻を触られるシーンの表情は酷く現実的です。ここから私たちが知りたくなかった大人の事がわかってしまう気がします。男性からの視線にメニュー表で顔を隠すシーンとその描写は関連付けられません。彼女は素性を知られてはならない)

「布を踏みつけてしまうこと」の意味
 
 
――――――――――――――――――
シーン: 転1
巣立ち。外見上は色恋沙汰と自我同一性、またマキアの年相応の寂しさ(思い出の石)を描いていますが、彼女の実年齢は人間の母親に近づいていきます。反抗期と呼ぶには複雑すぎる環境。
「俺じゃ守れない」
→ 自分が守れる場所を作る、父親になる
クリムの誘拐までのこれらのシーンでは、ストーンチャイムがよく効いています

(クリムがマキアへ攻撃的になる理由は、憎むべき略奪者のような生活を続けていたように見えるためで、保守的に復讐を強く望みます。彼のヒビウォルの終わりはメドウェルの父親によるもので、追い打ちのように『ヒビオルの塔に似ている場所』『レイリアが話しかけていたレナトの前』で死にます。戦争の発端は彼にあるが、ヘーゼルの言う「皮肉な結末」を呼びました)
 
 
シーン: 転2
他国家軍による侵略
このシーンでは様々な要素が、並行して終結に向かいます。それらは
1.ディタの出産 から始まり、
2.開戦
3.マキアとエリアルの再会
4.レイリアとクリムの再会 までです。
(確かに、3から1への合流と3の最初の出会いは「運命的」に映り、ディタがマキアに気づくシーンさえを巻き込みます)(ねえ想像してみて、橋の上に転がっている全ての死体には母親がいたこと)
 
 
――――――――――――――――――
シーン: 結1
マキアは再会したエリアルのことを「母さんではなかったとしても、わたしの一部であった」とするが、それがタイトル「さよなら」(彼らが伝説であること)を意味しました。

 
シーン: 結2
2度目の再会、エリアルの最期。
バロウとメドメルの違い? この感動的なシーンで私がメザーテの見当違いを思い出す必要はなかった。
(ところで、メドメルとエリアルの孫は同じ声でしたか…???)



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イントロピアノ
私は伴奏の音がアニメ版と違うことに気づき、この映画のために新たにスタジオで録音された音だと感じました。

オープニング
capitolo 1では『ゴンドラの夢』が用いられなかったが、定番だった第1期OP『ウンディーネ』と静止背景の作品タイトル、各話ごとのストーリーに組み込まれたop映像、タイトルカットが、制作者の意図をもって演出されました。純粋な伝統と、懐かしい印象付けが素晴らしいです。
また2期『ユーフォリア』、3期『スピラーレ』。サンマルコ広場の達人も登場しています 🎩☕✨️
新人の3人では「恥ずかしいセリフ禁止」が発令されません。灯里の願い「温泉」「海水浴」

成長したアイ、灯里
彼女がARIAカンパニーにいること、そしていつの間にかシングルになっていたことに感動していましたが、時の流れが実際に当時のアニメ放送からあることを「作成時期」と「作中の時間経過」と重ねるとなんだか不思議な気分になります。また、灯里の落ち着きと微笑みはアリシアさんにとても似ている。
(アニメ各回のアウトロは「アイへの手紙」の読み上げだったが、いまはもう近くに彼女がいること)

BGMの使い方
場面転換としての『満月のドルチェ』、これぞミラクルな独唱『コッコロ』。アクアアルタ『夏の妖精』。
(確かに “水の三大妖精“ で引退したのはアリシアだけであり、その時の晃とアテナはまだ現役でした。「小さな女の子」の気持ち、しっかりした大人『夕闇漕ぎ』『水の鏡』『夕立のあとで』の流れを捉えます。

(思うに、1期のostが「象徴」だとすれば、2期は「光と影」。3期は「情熱のあとで」🌅)

不思議と奇跡 🐈‍⬛
「たまに不思議と出会う」という表現からケット・シーの登場を予感していたが、彼らは本当に出現した。(The NATURAL 「その 影のない招くものは…」には未だ多くの謎が残っている)。また「その カーニバルの出逢いは」のラストシーンでアリア社長が迎えに来た(迎えに来なければ帰れないかもしれなかった)ことは、アイが路地裏に迷い込むシーン(少し長いアリア社長が走る描写)を安心させます。「Porta del gatto」, ゆっくりと垂直下方向にスライドする灯里。

3人の少女/秘密の路地/大好きという想い/Lumis Eterne
キーワード:『不思議な素敵』『素敵な宝物』

アリシアさんのお仕事
「水先案内業界の仕組みを変える」
固定観念から見る「深夜の会合」、このアニメにそういった意図がないのはもちろん知っているが、彼女の立場や仕事の実情はわたしを少しだけ疑わしい気持ちにさせます、男性役員、結婚相手の「彼」…。アテナ「断れないご指名のお仕事」。
capitolo 3 でアリシアだけのARIAカンパニーを見てグランマのことを思い出していたら、彼女は本当にお茶会に来てくれた!!

寂しい = 良いこと 🎐
電車の中から見た桜の木をわたしは覚えています。ゴンドラさんとの別れが『雨降花』によって演出されたことも。
今回は『夕凪』(あのコーラスと灯里のセリフ、鈴の音、海の音が重なり始める最も素晴らしいシーンを見ましたか?)。寂しさを感じてしまうのは「大好き」という感情があるからで、アリシアの “淀み” に対して「良いこと」という意見を持てる灯里はどこか大人びて見えます。願いのカタチ、アーニャの視線「オレンジの風」。集大成でした。

さあ漕ぎ出そう 🛶



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夏へのトンネル、さよならの出口

『ウラシマトンネル』
浦島 太郎。弄ばれた亀、乙姫様、玉手箱?

「約束を破ると悪いことが起こる」
「過ぎてしまった時間は戻らない」

海の中、水族館デートで花城さんの “怖さ” を描いたのはなんとも皮肉が効いていました。特別な世界。ビスマス鉱石。消えたインコ?

イントロシーン
『教室の雑音、雨の音と環境音』から始まりますが、主人公がイヤホンを耳に着けた時にこのオープニング曲とクレジットが演出として重なることを知りました。素晴らしい演出、これが私たちが昔から音楽を聴く理由です。

二人の出会い
「何かハッとしたような表情」?
二つの飛行機雲、雨が降り始める。

クラシック曲 タイトルの入り
紫陽花の枯れる季節、向日葵のカサ。紅葉。

カットの多用
ヒロインが舌打ちをすれば口元が映し出され、視線が泳げば目元のみが一瞬のカットで描かれます。プールサイドの視線移動。メールを開く中央のボタン

背景
「ド田舎」「有線イヤホン」「赤外線通信」
面白いのは、昔の古い映像を見る時に色あせとその生活様式の違いが目に付く(現実世界で)が、『本作は最新の映像・アニメーション技術によって昔の風景が描かれ、田舎という舞台設定がその時代設定の古さを全く感じさせない』という奇妙な感覚です。例えば、時間の差によって携帯電話の電池が切れてしまう。スマートホンの次に僕たちは何を使う?

家庭内暴力
妹の死から心を壊した父親とアルコール依存、精神的虐待。父親の再婚は彼らにとって “前進” のはずだが、「妹が戻ってくれば」という考え方と塔野くんの生き方に反してしまっています。

ロマンス?
挿入歌と周囲の噂、目標達成への協力によって二人の距離が縮まりました。水族館デートはシリアスですが、花火大会もシリアスです。「楽しかった」。漫画は人の一生よりも寿命が長く、自分の生きた証を残したいとはつまり自己肯定と自己実現、存在の証明になりそうです!

男性主人公の声がこの映画を決定づけた
「断片化されたセリフ」, 暗い印象よりも不器用さを感じさせます。

エンディング、私の妄想

  1. 花城さん, 塔野くん, カレンの3人だけの世界
    (作中での空想)
  2. どちらか片方が年を取っている
  3. 永遠にトンネルの中で暮らす
  4. トンネルに入らない

時間の不可逆性を考えると、若者が好奇心を失う理由が見つからず「4.」以外の重めのエンディングが展開されるのではないかと予想して、花火大会のシーンから既に暗い気持ちになっていました。父親は東京にいるだろうか。送れないはずのメールとして事前設定を説明していたことがギミックでした。

eill『フィナーレ。』好き
でも、2000万再生は嫌い。



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統計としての “規範意識の高い日本” という紹介が明るい音楽に覆われていたこと。早い会話と場面転換の構成は、重要なことをまるで当然のように表現します。

命を助けることを優先して、友達が傷つくというシーンは想像しやすいですが(実際に用いられたのは自己犠牲だった)、もっともっと日常シーンが描かれれば戦闘シーンとの “バランス” になるでしょう。
(第4話のaパートは私にとってこのアニメの理想です。千束の衣装はどれも素晴らしく、彼女の髪色との相性が考慮されています)
理解できないのは、2話と6話で銃創の治癒過程として扱っていた「手当」と、戦闘シーンで傷を負わせないという「制限」の違いです。

さて、私がep1のイントロシーンから心配していたことを言わせてください。
このアニメを「可愛い少女たちが日本で暗躍する 🔫」と捉えられているのか、「平和を問題提起の方法として利用する社会風刺 ✌」と捉えられているのかが、評価と意見の分かれ目になりました。
真島による演説でep10で何が起きたかわからないなら、おそらく前者を好むでしょう(私のように)。しかし、後者は不特定多数による “強いメッセージ” を持っていて、作品または少女にそれを言わせているようにすら感じさせます ✨️

このアニメに「思想」を感じてしまうこと自体が、既に魔女狩りのような行いになっています。もしこのアニメが『リリーベル』だったら見ることはなかった、ありがとう…!



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不幸な主人公と優しい人々。おばあちゃんへの日記はストレス対処ですが、確かにそれは物語の鍵です(ゆのっちのお風呂のような)

『スロウスタート』と差別化されるのは、風新新聞の幅広い年齢層・仕事場という環境です。テンポが良く、奇想天外な展開は「かな」と私たちを驚かせます。



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ウイスキー 🥃✨
『駒田蒸留所へようこそ』

・タイトル「ようこそ」について
“ウイスキー業界の氷河期”という表現から、現在の蒸留所の実態に触れるというノンフィクションさは、まるで観客をその世界に連れていくかのようなキャッチコピーです。最後のシーンで繰り返された、無知でやる気のない社会人という典型は、この家族の物語を潜在的に際立てています。実際に、記者の男性主人公は「ウイスキーの世界」に魅了されました。

典型:

  • 「強く惹かれる興味」や「好きなもの」がない
  • ウイスキーに詳しくない
  • 自身の仕事について悩んでいる
    (「一度興味を持ったら成長する」という過程は、まるで物語のように構成されています)

・サックスフォン、音楽について
イントロムービーやオープニングシーン、バーのシーン、そしてエンディングテーマでさえも、劇場の左側のスピーカーからサックスの音が聴こえてきます。バーのシーンはまさにジャズ・スタイルが似合う舞台設定で、アルコールと夜が持つジャンルとしてのハードボイルドの側面を、幾度も多面的に描いたように感じます。例として: 流れる時間の速さ
最も印象的なのは貯蔵庫の火事のシーンで、電源が映し出される静かなカット(職業体験の初日、反応の悪いスイッチ切り替え)から突然の電話、燃え上がる炎と消防車が描かれる際にもサックスによる演出がなされています。このBGM使用には独自性があり、一種の楽器による継続的なメイン演奏は良くも悪くも目立ちます。

・誰にでも分かりやすい物語(未来へ)
劇場に到着する前に思い浮かぶテーマ「特定のお仕事についての楽しみ/悩み」「日本産ウイスキーの需給」「経営者の抱える問題」のように、簡単に想像することは出来ても、実際に何が起きていて何が問題なのかが分かっていないことがあります。それに対して、どういったメッセージ性を持ち、どのような結末で“仕事”という人生の一部を物語を描くのかが明確になっています。今作でいえば、『家族のお酒』から『廻り続ける独楽(コマ)』という『未来』までをラストシーンで積み上げ、「ようこそ」という掛け声によって観客を招待しています。
また、集団としてだけではなく、個人の役割も重要視されています。しかし、映画を見た後の私が、主要な登場人物の名前をフルネームで言えないのは、25分のキャラクター紹介に慣れてしまったからでしょうか…? どちらかというと、紹介文の短さによって覚えるのが難しかったことよりも、既存の集団の視点に目を奪われ、新しい関係性と時間経過に追いつけなかったのかもしれません。
(大人な恋愛模様を隠すことは非常に上手でしたが…! 🐧)

もしこの映画が、視聴者に「ウイスキーを飲んでみたい!」と思わせ、実際に行動をさせたのであれば、それは彼らの思いが叶ったことになるでしょう。



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