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ぷーざ
@pooza

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とても良い

本日の夜実況。

プリキュア全員がイノセントフォームに変身し、各々マイクを手に、歌いながら敵にとどめを刺す新技。その歌はよく聴いていると、今作の重要ワード「イノセント」を連呼するおもしろソング。
この伝説的な決め技の名は、イノセントプリフィケーション。ビジュアル面でのインパクトの強さは歴代屈指と思う。

キュアフォーチュンとの姉妹対決というだけでなく、姉を操っているのが敵首領クイーンミラージュであるという、幾重にも意味付けされた展開はドラマとして見ごたえあり。この様なシリアスな展開を卒なくこなす手腕は、さすがは成田さん。
クイーンミラージュの背後にいる黒幕がディープミラー(すなわちレッド神)であり、ミラージュがディープミラーの傀儡に過ぎない真相がはっきりと描写されている重要回でもある。

クイーンミラージュの左頬の涙の紋は、感情の動きによって消えたり現れたりする。
彼女がディープミラーに操られている間は涙の紋が色濃く現れるわけだが、キャラクター設定としても意味を持たされた、こうしたデザイン上の特徴も面白い。



良い

本日の夜実況。
いおなの姉が敵として現れる急展開だが、いおなが気にかけていたのは姉の生死。生きてさえいればどうとでもなる。
クイーンミラージュは姉をプリキュアへの刺客としたことで、むしろいおなを絶望から救ってしまった感があるw

誠司のめぐみへの気持ちを知ってか、ひめが誠司を気遣うシーンがある。
ひめは「べつに誠司のことが好きなわけではない」と自分を納得させたが(27話)そんなわけはないないだろう。
いつも調子の良いひめが、真顔で誠司のことを心配しているのを見ると、ひめの本心も踏まえた上で切なくなってくる。



普通

本日の夜実況。
敬愛する成田さんの担当回ではあるけど。めぐみのイノセントが何だったのかわからない、或いは同意できない。

誰かの役に立ちたいことと、相手に感謝されたいことは別に対立しておらず、矛盾なく共存すると思う。
もし善行が感謝されず返ってくるのが悪態ばかりであったら、それはいびつな関係だ。無償の愛が必要以上に美化されて欲しくないな。

この回で言えば、誰かの役に立ちたいめぐみが頑張れるのは、めぐみに対する感謝があるから。
めぐみのことをいつも見ていて、感謝もしている、誠司あたりの視点がクローズアップされれば同意できるエピソードになっていた。



とても良い

ジャンプコミックス37巻(最終巻)収録分。
キャラクターデザイン宮本絵美子さんが総作画監督、唐澤監督が絵コンテと演出。
初回と同じ全力の布陣を、このラス前回の為に温存していたのだろうか。とても見ごたえある画面であった。

大魔王は「かつてハドラーは、戻れぬ道を突き進み、あの時の余に匹敵する力を得た」と言った。これはアニメオリジナルの台詞。今の大魔王がハドラーと同じ心境であるという解釈はアニメ独自のものだが、不思議と違和感はない。
勝利の為に己を魔獣と変えた。行動自体は同じであるが、その動機は真逆であることについては「ダイ好きTV」でも話題になった。

大魔王バーンは二度と元の姿に戻れない。
その「余」には酒や女が好きな描写もあり、またチェスを趣味とする文化的な一面も描写されている。そう、大魔王が普段見下している、人間がしていることとそんなに変わらない。酒も女も趣味も、地に足をつけた人の生は「大魔王の偉大な名」より価値のあるものだ。
この男が普段振りかざしている強者理論から報いを受けた形だろう。全ての価値が「己が強者であること」に由来しているから、その地位が脅かされた時には全てを捨てなければいけない。「大魔王の偉大な名」にすがる哀れな男が持つ、かような行動原理は、理解はできるがあまり理解したくないものではあった。
ひと言で言えば、原作の時点では「薄い」キャラクターになってしまっていた真大魔王だが、ここでハドラーと同じ動機を持たせたことで救われたと感じる。

大魔王が鬼眼王に変身した動機と同様、大魔王が欲していたアレに関する独自の解釈が込められるかどうか。
最終回に注目したい。

フローラ様が気絶するシーンが好きだ。りえりーGJ。
ダイはレオナをフレイザードから救出したあとに、彼女を「大王イカ」呼ばわりしたこともあるw
勇者とヒロインの甘いシーンが描かれない照れ隠しもダイ大流。



とても良い

真面目で誠実なマイラ王女。
彼女が臣下の者たちに愛されている様子や、「好き」を思い出したことが自信につながった成長が描写されていた。

片や、王女と入れ替わったゆい。
この様な入れ替わり回では、例えば「王女としてのハードな公務や責任感を実感する」と言った、それだけでは少し辛気臭いエピソードを想像していたところ。この点は押さえた上で、こちらはこちらで楽しんでいて、その楽しげな画づくりがよかったと思う。

ブンドル団が登場しない、人情が沁みる回。
シリーズ構成平林さんの脚本だが、シリ構自らが本編と関わらない幕間回を書くのは珍しいのかも。
それだけに、この回もデパプリの世界観を構成する1話であるということだ。



とても良い

本日の夜実況。
特に葛藤も達成もなく、さも当然の様にイノセントフォームに変身する。
それは尊く、そして笑いどころでもある。ゆうゆうはとっくにイノセントの境地に達していた様だ。

弁当に対して理不尽な言いがかりばかり言う、お得意様のばあさん。
でも週4の頻度で弁当を注文するし、出されたものは決して残さないし。
ばあさんのこの、愛情表現が上手くない不器用っぷりが味わい深い。



普通

本日の夜実況。
10周年コメントは、この回のキュアホワイトで最後。

ひめがイノセントフォームに目覚めたエピソード。悪い話じゃないけど唐突に感じる。
「人助けは自分の願いではないから、イノセントな想いとはいえない」、その為にキュアラブリーが覚醒できなかった前回の流れとも齟齬がある。今までの回、キュアプリンセスは勇気と関連付けられることが多かったから、この方向の覚醒エピソードが順当だったと思う。

とはいえ、今まで恋愛とはまるで縁のなかったいおなの覚醒回は、ある意味では唐突だったのにとても良かったことも確か。
では、この回には何が足りなかったのか。



良い

黒電話とかアナログテレビとか、最新の作画で描かれているのは昭和。時代性に忠実で面白い。
この作品の作画面で、一番大事なのがラムの作画やキャラデザであることは間違いない。そのラムのキャラデザが、あくまで古いデザインのブラッシュアップであることに好感。

劇中の用語「インベーダー」は、TAITO「スペースインベーダー」を意識している様だ。
(発表年は、うる星やつらもスペースインベーダーも、共に1978年)



普通

本日の夜実況。
誰かを助けたいという願いもよいが、自分自身の心から湧き上がる願いがなければ、イノセントフォームにはなれない。そもそもイノセントを「探す」というのはどうなのか。
悪くはないけどめぐみに迷走感のある回。この回が構成上必要だったかどうかは、正直微妙。

専門知識がなければ、仕事とは無関係なところでの応援がいい。
汚れた白衣を洗濯してあげたのは、本当はそんなに悪くなかったんだけどね。「汚れたまま着ているのは願掛けで、意味があった」なんて、普通は気付かない。ロケットクッキーのほうはよかったね。



良い

亜美さん大暴れのエピソードに吹いた。



良い

無敵と思えたあのちさとが、後れを取っていた。
ピンチに颯爽と登場したたきなが、めちゃくちゃ格好良かった。

じゃんけんって、そんな方法で勝てるんだ…w



とても良い

本日の夜実況。
今夜の10周年コメント。お当番は自分の最推し、キュアソードでした。

過去を反省して、復讐者ではなくなり、人間が丸くなったいおなに魅力を感じたのだすれば。
海藤某は、意外と彼女をちゃんと見ていたことになる。チャラいイケメンではない。
それにしても「おれのこと嫌いじゃないだろ」なにこのイケメン台詞。イラッとするわww

ブルーはグループデートに出かけるいおなを、止めないし咎めもしない。
いおなは現にイノセントフォームに覚醒し、恋愛がプリキュアを成長させているのは間違いない。
では「プリキュア恋愛禁止」とは何だったのか?

この回のいおな、お当番だけあって素晴らしく可愛い。セピア演出も伊達じゃない。
その一方で、肝心のイノセントフォームに変身後のコスチュームがイマイチ可愛くない。ちょっと残念。



とても良い

「わたしはリコリスだけど、誰かを助ける仕事をしたい。これをくれた人みたいにね」
真相に近そうな断片が現れ、殺伐とし始めた。謎解きやスタイリッシュなアクションシーン等々、キャッチーな切り口が多くある作品だけど、その根底にある本質はやはり人の情であると信じたい。
たきなが聞こえないはずのちさとの心音を聞こうとするラストは心温まる。

それだけに「20年前に家族を殺された」と、ちさとの情に訴えようとする敵は卑劣。
「何の為にその命をもらったんだ」、この理不尽な言い草が敵の本性か。



とても良い

本日の夜実況。
ゆうことファントムの関係性が増し、そこから神回41話につながっているエピソード。個人的に重要回。

ゆうゆうのルーツ的なエピソードが語られ、今のようなおっとりした平和主義者になった理由がわかる。
ファントムを仇敵とするはずのいおなも、ファントムを手当てしているゆうゆうの顔を立てて争わない。「自分を倒してもプリキュア墓場のプリキュアたちは救出できない」という重要な情報は、いおなの態度から引き出されたファントムの誠意だったのかも知れない。

全てを終え、歌いながら遅れて登場するキュアハニーは見とれる美しさ。
歌っていたのは、いつものおもしろソングなのにw



とても良い

ジャンプコミックス、36巻から37巻(最終巻)までの収録分。
最終巻の表紙裏コメントは、三条・稲田両先生からの、最後のご挨拶。連載は7年間、349回に及んだという。この新アニメは100回予定だというから、3〜4話ぐらいずつのペースで消化してきたことになる。

大魔王の野望であった「地上の破壊・消滅」は、閃光のごとき精神を持った人間たちによって阻止された。「魂の絆」はアバンの使徒たちを大魔宮に送り届け、天地魔闘の構えを破る為の力となり、そして再び、今回のような奇跡を起こしたのである。
この奇跡を起こしたのが、勇者一行ではなかったことにも意味がある。アバンの使徒のような選ばれた者たちでなくても、人はすべからく、「閃光のような」爆発力を持っているのである。まさしくダイが言った様に、「おまえがバカにした『人間の絆』が奇跡をおこした」のだ。
この回の原作はカラー回ではなかった為、テラン王が「空が黄金色に」と表現した、ゴメちゃんのような色の空をフルカラーで観ることが叶わなかった。それが実現したことも感慨深い。

勇者一行は、地上の破壊を止めて大魔王に勝利した。大魔王は「おまえは余を殺すことが目的でこの闘いをはじめたのか?」とダイに尋ねたが、その言葉の通りに、自分の決めたルールで敗れたのだ。
しかし大魔王は、この期に及んでルールの変更を行い、「閃光のように」凄絶な人間の生き様を侮辱する。かつて「強者に敬意を持つ」と言ったのは大魔王自身のはずだが、この若造は本当にあの老バーンと同一人物なのか?

繰り返しの引用になるが、バランは聖母竜に「力ばかりが全てを司る今の世界に、魂をもって悪を討つ」と言った。(59話)
しかし、魂の力が及んだのは残念ながらここまでで、ダイは竜魔人となり、勇者として勝利することを諦めてしまった。サブタイにもある「ダイの決断」を象徴する様に、勇者としてのダイを象徴していたかの様な冠は砕けた。
これと似た演出は2話にも存在。毒に冒されたレオナを守らなければいけない状況で、勇者への憧れを象徴していた木製の手作りの冠が同様に砕けた。もっとも、そのシーンの意味は真逆で、竜の紋章の力がライデインと共に発現したことが、勇者としての目覚めを象徴していたのは面白い。

大魔王以上の「化け物」である竜魔人への変貌は、この戦いを魂の力で締めくくるべきだった経緯から、ある意味では邪道な展開と言える。しかし「こんなものが正義であってたまるか」という、ダイの心からの叫びが胸を打った。
この言葉はポップの「閃光のように」と同様に、その後の自分にも大きな影響を与えた。「力こそ正義」と言う者が、自分以上の強者に屈服することには決して納得しない。強者理論とは、かくも身勝手なものなのだ。



良い

本日の夜実況は問題回、アンラブリーの登場回w

アンラブリーがキュアラブリーのメンタルを攻め立てるけど、よく聞くと特別に大したことは言っていない。
褒められると調子にのっちゃう。…え、普通じゃないですか?

悩むキュアラブリーに「らしくない」と喝を入れるのは、最近進境著しいキュアプリンセス。
「悩むほどのことじゃない」、どうやら彼女も同じ感想だったようだw



全体
良い

3回目。劇場で観るのは多分これが最後。以降円盤で。
一旦一区切りなので、以下余談。ネタバレあり。

コメコメの夢は、ゆいの様なヒーロー(プリキュア)になること。過去作のプリキュアたちの扱いに関わらず、コメコメ視点ではプリキュアは大人と描写されている。
ケット・シー視点のプリキュアは、大人ではなかったり(自分のように汚れていないから)、大人だったり(自分に敵対しているから)、不明だったり(技術的に判定が難しいから)状況によってさまざま。

大人(ヒーロー)とは、ゆいが迷子の女の子に見せた様な優しさであったりする一方、大人でもお子様ランチを食べても良かったりして。大人と子供は線引きできるようなものではなくて、誰かの力になりたいという、コメコメが言うヒーローのような「精神」を指していたのかも。
そして、「プリキュア好きな大人が居てもいい」。日常の顔はヒーローである、プリキュア好きな大友たちへの応援だったかも知れない、劇場版最新作であった。



とても良い

本日の夜実況。
クイーンミラージュを倒すのではなく救うという目的が改めて提示される重要回。
プリキュアたちやまわりの人々の心がよく描かれていて、ミラージュを救わねばならない説得力につながっている。さすがは成田さんの担当回。
いおなとゆうゆうのコンビは大変絵になる。このふたりが語り合う描写もこの回から。

ブルーは300年前に、クイーンミラージュと知り合ったという。
8話に登場した伝説は、1000年前のぴかり神社の巫女についてのもの。それはクイーンミラージュ本人としか思えないエピソードだったけど、成田さん、設定がブレてませんか?w



とても良い

「さかな〜」
なんというお洒落な会話劇w たきながガードを解いて、ちさとに歩み寄っていく水族館シーンが心地よい。

3話で一区切りついたあとの、新展開の幕間かと思えば。
1クールのシリーズ構成で完全な幕間回なんて挿し込めるわけもなく、相変わらず密度が濃い。



とても良い

本日の夜実況。
キュアハニー推しだからというだけでなく、「ハワイのプリキュア」という設定が既に楽しい回。

アローハプリキュアが結果を出せないのは、ふたりの協力が足りないという態度の問題だった。
日本から弁当持参で「おなかいっぱいになったら、話を聞かせてくれないかな」と、持ち前の包容力でふたりの関係を修復するゆうゆう。

戦えばすばらしいユーティリティプレイヤーっぷりを発揮。
まさにキュアハニーの「あいつひとりでいいんじゃないかな」という回だったw



本日の朝実況。ネタバレあり。

みのりんの自信のなさの大元は、結局は「マーメイド物語」での失敗に向き合えないことだった。
目の前で苦戦している友達を救う為にプリキュアになることも、「ローラの尾ひれに触れる」ことも、どちらも同じこと。それを決断する為には、少しの勇気が必要。それらの課題の克服を彼女は「リアル」と呼んだ。
現実に向き合い、困難をひとつずつ克服していくことが夢につながっていくとされる。その都度必要になるのが勇気であるという位置づけ。

ある意味、キュアパパイアは仮免プリキュアなのかもしれない。でも実際にはプリキュアに変身することもできるし、本作は「それでも構わない」というシリーズなのだろう。この物語でのみのりんのテーマは、勇気なき者が困難を克服し、最終的には創作活動に復帰すること。
夢をつかむ為に必要なのは、現実での困難をひとつずつ克服することの積み重ねである。…その様なシリーズ構成を俯瞰できる、1周したあとに改めて観ると感慨深い回だった。

みのりんの創作物である未完の小説「マーメイド物語」は、人魚姫を意識したもの。
本物の人魚であるローラは、人魚姫が泡になって消えたと聞いて憤慨した。曰く「人魚姫の気持ちが理解できない」と。ローラ自身ものちのち、人間のような足を得てプリキュアになるが。人間と人魚に自在に変身するローラの活躍は痛快で、人魚姫のような悲しい展開や結末はトロプリから意識的に排除されている。
人魚姫にある儚い悲劇として要素は、秋映画のゲストキャラである「雪のプリンセス」シャロンに引き渡されたのかもしれない。



全体
良い
映像
良い
キャラクター
良い
ストーリー
普通
音楽
良い

2回目視聴。以下ネタバレあり。

物語の最後に和解した以上、敵キャラの気持ちもわかりたい。悪事を行っていたとしても、動機や行動原理に「一理ある」部分を見つけたい。
常々そう思ってプリキュアを観ているけど、敵キャラであるケット・シーの気持ちは視聴2回目でもよくわからなかった。

大人の科学者たちが、ケット・シーを騙していたことがほのめかされている。
しかしこんなことで、「大人」という格別に大きな主語で善悪の線引きをされてしまったら、その大人のひとりとしてはたまったものではない。ケット・シーの言う大人・子供(つまりは善悪の境界)は、曖昧にしか明かされなかったこのエピソード同様のふわふわしたものだった。
エナジー妖精たちは子供。マリちゃんは大人。ゆいたちは中学生だから子供。プリキュアは最初は不明(△)だったが、ケット・シーに敵対する行動を取ったことによって、最後には大人の側に分類された。ケット・シーが自分に都合の良い基準で「大人」を線引きしていたことは、この悪役への共感が難しいことにつながる。

一方のプリキュアたちも、その時点ではまだ自分たちに危害を加えていなかった警備ロボットと戦う為にプリキュアに変身した。
本作全体の善悪観がふわふわしていたと感じる。

本編での扱いに関わらず、ED曲はドリーミアのテーマソングだった。ドリーミアの本質は、最終的には善であったと扱われていた様だ。
コメコメも気付いていた通り、ケット・シーが用意したお子様ランチやアトラクションが子供たちを楽しませていたことは確かで、なるほどそれは、ケット・シーに残されたわずかな善性だったことは間違いないのだろう。
だからこそ彼は、自身の罪の償いについて「コメコメのようなヒーローに自分もなりたい」と言うのではなく、「大人も子供も楽しもう」と言わなければいけなかった。大人と子供の垣根なく、皆がドリーミアを楽しむラストシーンが最後に必要だったと思う。

そう、「大人も子供も、お子様ランチを食べてもいい」。
なごみ亭に集まった皆に、ゆいママがお子様ランチを振る舞うラストシーン。この償いは本当はケット・シーがしなければいけなかったことだけど、その代わりとして、まぁ悪くない。
初見の時に感じた程は、この作品のストーリーは悪くないなと2回目に思い直した次第。

最後に冒頭、ゆいとケット・シーがお子様ランチを食べる回想等について。
このシーンのゆい、ケット・シーに向けた満面の笑顔は素晴らしい。デパプリは初回冒頭、ゆいがおにぎりを食べるシーンも印象的なものだったけど、このキャラクターには人を惹きつける絵ぢからが確かにあると感じる。
ゆいとコメコメは、彼が今もお子様ランチを作り続けていることから、上で述べた様な「わずかな善性」を見つけ出た。ケット・シーの気持ちは今回もよくわからなかったけど、一方のゆいやコメコメの気持ちは尊いものだった。



普通

本日の夜実況。
ひめのドキドキを「つり橋効果だった」でまとめてしまうのは感心しない。

ひめはちゃんと誠司のことが好きだったでしょう。
そのほろ苦さを描くつもりがないのなら、この回自体がないほうがよかったぐらいだなぁ。



とても良い

本日の朝実況。前田愛生誕祭を兼ね。
馬上戦闘の格好良さから、どうしてもこの回を選んでしまうけど。

気迫あふれるキュアアクアの雄叫びと同様、かれんがミルクに向ける優しい表情の作画もすばらしい。



良い

本日の夜実況。
前回から引き続き、ひめ×誠司の展開。

誠司をいじっていた時のひめの表情が、たまらなくウザくてよかったw
別人のように成長したひめだが、以前と変わらない一面も持っている様で少し安心する。



良い

2回目視聴。
クッキングダムの「おむすびの花」とか「おかず池」とか、頭おかしい設定が最高に楽しかった。(ほめてる)

セクレトルーは戦闘能力もさることながら、隠密行動に長けている。
その名の通りの「怪盗」らしい動きをしている敵幹部は初めて。曲者っぷりの描写がいい。

理由もなく過去キュアを登場させるのは好きではない。
ラストの脈絡ない登場は蛇足と感じた。



良い

本日の夜実況。サブタイ通りだが、笑えるぐらいフラグが立ちまくる。
次回の展開にもつながっている、ひめ×誠司がなにげに重要。この関係をもう少し丁寧に描いて欲しかった感はある。

入ったばかりのいおなが、既に気配りさんキャラのポジを築いていて好感。
ゆうゆうは達観しすぎていて、もう別格。皆と同じ中2だというのが怪しく感じるほど。



とても良い

ジャンプコミックス36巻収録分。

「ぼくのトモダチになってよ…!!」
幼いダイの神々しい台詞に、全てを持っていかれた。この様な安易な表現を使いたくはないが、まぎれもない涙腺決壊回である。
最終決戦の真っ最中、言わば決着の直前にこの様な情緒あるエピソードが挿入されるのがダイ大の懐の広さ。ジャンプらしいバトル漫画でる一方、この懐の広さでは他作品と一線を画する。
また、この回の演出スタッフとして、タナカリオンこと田中裕太氏をお迎えしたことを喜びたい。同氏はプリキュアファンなら知らぬ者のない、東映のエース演出家だ。(演出家の枠には収まらず、監督としてもいくつもの良作を手がけている)

それにしてもゴメちゃんの正体や真相が、これほどのドラマを生み出すことを初見では全く想像できなかった。
というのも、ゴメちゃんがごく普通のマスコットキャラであり、正体に特に秘密などがなくとも、物語として特に不自然なところはなかったから。ゴールデンメタルスライムという希少種はいてもおかしくないし、その程度に特別な設定もご都合主義にはあたらない。

ゴメちゃんは自分の正体である「神の涙」について、「地上の力なき生物たちの苦しみを嘆いた神々が、地上に落とした一粒の涙」であるという伝説を語った。
大魔王や冥竜王は地上や太陽といった豊かな創造物を、脆弱な人間に対してのみ与えた神々のことが許せなかったという。「神の涙」は言わば、その贔屓へのさらなる上乗せであり、大魔王にとってゴメちゃんは憎悪の対象でしかないだろう。
ゴメちゃんを文字通りにモノであるかの様に、ぽんぽんと弄んでいた描写からも(アニメオリジナルのシーンだけど、この描写はタナカリオン采配なのかも)、少なくとも愛情は持っていないことがわかる。

しかし、自ら善悪を判断して「トモダチになってよ」というあまりに純粋な願いを叶えたゴメちゃん(こと「神の涙」)や、その「神の涙」を創造した神々の本質が悪であろうはずがないとも思う。
神々は本当に大魔王が言う様な、理不尽で許し難い存在だったのか?自分たちに太陽が与えられなかったことは、確かに許せることではあるまい。その答えは、「では結局、太陽とは何だったのか?」という疑問と共に答えられるかもしれない。

ポップがカイザーフェニックスを魔法力で切り裂く、原作でも大好きだったシーン。ここは恐らくタナカリオン氏により、原作以上に見ごたえあるアクションシーンへと魔改造されている。
自分はこの名前のない技を、ストレートに「神業」と呼んでいる。恐らく、メドローア以上に難度の高い技術であると想像して。
別の場所で話したことがあるけど、この「神業」から更に想像できることがいくつかある。以下、その想像というか妄想。

  • 大魔王は、両手から別々の呪文を放つことがどうやら出来ない。(これを行ったポップを「器用」と評したことがある)
  • この技術はメドローアの基礎であると考えられるけど、大魔王の桁違いの魔力の量はともかく、技術的にはポップやマトリフに及ばない。
  • カイザーフェニックスはメラゾーマにすぎない。ポップはカイザーフェニックス以外のメラゾーマも同様に裂くごとができる。
  • メラとヒャドは本質的には同じ呪文。ポップは、自分に向けられたヒャドも同様に裂くことができる。


良い

本日の夜実況。
浜辺でトレーニングしていただけの、まだ特に悪事を働いていないオレスキーたちを奇襲したのはプリキュアたちのほう。
楽しい回だけどちょっと気になった。

ここにきて「恋愛禁止」が急にクローズアップされ始める。ブルーはこのルールにもっともらしい理由をつけているが、説得力ゼロ。
プリキュアたちが、このルールを守る気がある態度を全くみせないのが笑える。この回の真の笑いどころはここかも。



とても良い

本日の夜実況。
ふたりの真の和解が描かれた、ハピチャ屈指の良回。ギャグ回の印象が強いけど、Bパートはむしろ泣かせるシーンが多い。
前回はとてもがんばったひめだったけど、今回描かれているのはいおなの側からの歩み寄り。

それにしても、アクシアをそのへんに放置していた管理責任が何故問われないのか。
クイーンミラージュが封じられていたのに、何故祈りを捧げる対象になっていたのか。



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