群像劇作品の中でも構成、メッセージ性が統一されている。岡部恵美は悲劇のヒロインではないという最後のシーンに込められた思いを見たとき、じんわりと涙が出た。
岡部絵美の親族の心情、淡島関係者やファンも巻き込んで舞台として「惜別の日々」を上映する流れにいくとは
淡島で過ごした生徒たちの集大成という感じだった
岡部絵美の家族が抱える苦悩、その中での惜別の日々の舞台化
賛否ある中でその物語を若き役者達が演じる、どういう事があっても舞台に立った人間が勝つ。綺麗事はない、光ある限り闇もある。歌劇とはそういう世界なのだと
光差すところに必ず影が有ると言うが、逆に考えると闇が無ければ光を美しいと感じることも無いのかもしれない。黄昏時の光に照らされながら涙を拭う岡部絵美の横顔に目を奪われながら、光と闇が交差するこの時間こそ人は最も美しいと感じるのかもしれないな、とそんなことを考えました。
生きていく中で善と悪、光と闇、それらを明確に区別出来ることなんて殆どなくて、大抵はまだら模様なりグレーなりの景色が心の網膜に映っているわけで。だからこそ、一見その形に出来ないあやふやなものを見据えなんとか描き出そうとする物語には心惹かれます。
☆
岡部絵美の涙と顔を上げるバスのシーン
いいものはいいと言わないと
岡部絵美のバスのシーンを繰り返して終わるのキレイだな
原作未読。
そういう風に物語を閉じてきたかという印象。
これまで何回も買いているが淡島百景の面白い所は単純なオムニバス形式ではなく、それぞれで単独でも面白い話の登場人物が、別の話の随所に登場し、かつ時代も超えて人間関係を築き複雑に絡み合いながら互いの人生に影響を与えていく所。
最終回はそれの集大成とも言える構成だった。欲を言えば今まで登場したすべての人物がこの最終回に何らかの形で関わっていればよかったと思うのだが、それは欲張りだろう。
そして、最終回のエピローグ。
1話の田端若菜と竹原絹江のエピソードへ戻ることで、作品全体が一つの物語としてきれいに閉じたように感じた。
そして前回の感想で書いたように、やはり岡部恵美の本当の気持ちは最終回でも明かされなかったが、2話のバスのシーンの続きを少し描くことによって、その心情の解釈は視聴者に委ねられたということだろうし、あえて書かないことで解釈の余地が生まれいい余韻が残ったと思う。
相関図の最後の2枠は絵美さんの長男と、演出家の宮島さんだった。
闇が世間に晒される。まぁ世間はそんなものだよな……絵美さんという人間ではなく、淡島そのものがクローズアップされてしまった。
絵美さんの次男はそういう気持ちになってもおかしくないよ。
からの本の舞台化の報せ。マジかいな。
光と闇、双方が出てきて新たな未来を歩むだろうと信じて。濃密な12話だった!!
田畑によって惜別の日々というタイトルの本を通じて世間に開示された岡部絵美のこと。故人の夫は穏やかに語り、息子は悲劇のヒロイン扱いされたことに複雑な胸中。そのほか淡島に関係する、淡島を愛するすべての人に波紋を呼ぶ。そんな中舞い込んできたのは本の舞台化の話。賛否両論当然ある中で、淡島に関わる人が大きく変わるきっかけになる、そんな出来事。
もう傍観者でいたくなかった、未来を描きたかった。そんな想いの結晶。
さぁどこで中島美嘉流れるんだい、と思ったらOPでしたか。
オムニバスの体をとりながら…新感覚な作品だった。
物語の閉じ方として無難に終わってしまった…
ああ…こうなったのか…。個人的には、現実の事件への対処に強く引きずられた、そうせざるを得なかった、というようにみえてしまう。ちゃんとまとまっているとは思うが…伊吹桂子と岡部絵美の話は本来、世間に大きく公表され、悪い意味で話題になり、淡島自体が断罪され、再生するという話として描かれる予定ではなかったのではないかと感じてしまう。仮にそういう話があったとしても、小さな閉じた、個人的なやり取りをもって関係性が少し変化し、良いと感じる人もそうでない人もいる…そういう描き方をする作品だったと思う。しかし、時系列的にもここまで現実とリンクしてしまうと、そういう終わり方は難しかったのだろう。残念。
なぜ途方もないキャラクターの複数の時系列を以って淡島という集合を、その閉じた世界を描こうとしたのか。誰しもが少なからず抱いていた罪悪感。舞台にさえ上がればいい。そんな傍観者たちがかつての膿を出し切るためのきっかけを得る・・・そんな救いを描き上げた一作。実に解像度が高く、とても濃密な時間でしたっ!
可哀想な人にしたくなかった
惜別の舞台化。傍観者から飛び立つ夕焼けの白い鳥