サービス開始日: 2024-10-05 (450日目)
原作は連載中作品の中でトップ5に入るくらい好きな作品で、アニメ化を楽しみにしていた。結論からいうと、原作の良さを再現したキャラクター、ストーリー、それに作中で使われた音楽は非常に良かった。しかし、アニメ化で一番注目されていたダンスシーンに色々と問題があり、その出来に注意が惹きつけられて作品全体をうまく楽しむことができなかった。序盤は特に酷く、無表情で再現度も低いキャラモデル、髪や服の動きもおかしく、テクスチャ・シェーダーが手書きのつるつるしたスタイルとまったく噛み合わず浮き上がっており、モデルもローポリのように粗く、エフェクトも変、ライティングも変、モーションはともかくカメラワークも雑で、とても見れたものではなかった。中盤からこうした要素が徐々に改善されていったのだが、正直なところ話が進む度に「あ、今回はここが改善された」「今回はここも良くなった」とダンスシーンの改善点ばかりに目がいってしまい、作品自体に没入することがまったくできなかった。本来こういったテクニカルな要素は空気のようであるべきだと思う。そういう意味で、この作品のダンスシーンは完全に失敗している。
最終話は、ダンスを音楽どおりリアルタイムに再現してそれをカメラで撮る、というこれまでのスタイルから一変し、あえて音楽やダンスを途中で止めて手書きを挟みつつ演出や語りを加える、という形になっていた。この手法自体にも問題はあるものの、ダンスだけで表現することに失敗している以上、序盤からもっと使っていくべきだった。ダンスバトル以降は総じて良くなっていった(それでも手書きとCGが切り替わった時に表情に連続性がないとか、手書き演出とダンスが噛み合っていないとかあちこちに粗はあって問題は山積してはいたのだが)だけに、序盤の大失敗が悔やまれる。
原典に対して物語を見届け語り継ぐ存在を加え、そのびわの視点で平家の栄華から滅亡までを描いた物語。
オープニングと序盤・中盤までは、びわに近い若者たちが京で幸福に過ごす様、その背後で清盛を中心に奢りが歪みを産む様が並行して描かれていく。中盤以降は平家の没落につながる決定的な場面を平曲として印象的に語りつつ、凄まじい勢いで没落してゆく平家の様が描かれ、序盤やオープニングでびわの視点から瑞々しく描かれた若者たちがまるで盛期を過ぎて次々とその身を落とす花のように消えてゆくのを目にすることになる。清盛による暴虐が一族としての印象を下げているものの、びわの視点からは無邪気な若者やバランスを取ろうとした苦労人たちの描写も多く、そうした者たちが苦労の甲斐もなく落命してくのを見続けるのはなかなかに苦しいものであった。
平家物語自体は学生時代に古文でよく目にした話なのだが、当時は通しで読んでいたわけでもなく、有名な場面だけを切り取って学んでいたためにさして興味もわかず、平家にも似た名前の人物が大量にいて誰が誰だかわからなかった。今回の視聴では平家の者たちがそれぞれ特徴あるキャラクターとして描かれており、昔の記憶とも照らし合わせて楽しむことができた。
映像はこの古い物語を語るに足る素朴な線と塗りをあえて選択しつつ、背景美術やアニメーションは巧みで、アートディレクションの工夫が見てとれる。音楽としては主題歌・劇伴ともにもあえて現代的なものを多用しており、この古い物語に独特の雰囲気をまとわせることに成功している。
かなり人を選ぶ作品ではあり、単に視聴するだけでエンタメとして楽しめるというものではないのだが、歴史に一定の興味があり、様々なことを調べながら鑑賞することに楽しみを見いだせる人には非常に良い作品だと思う。
転生チート無双モノだが、設定は自然な捻りがあって悪くない。男性向けなろうのような実力ゴリ押しでもなく、女性向けの恋愛人間関係極振りでもないバランス感覚が魅力だとは思うのだが、何かわかりやすい目標があるわけでもなく、ストーリーの軸のようなものが見えづらいのは課題に感じた。また、アニメの都合なのか終盤の展開がかなり強引・拙速で不自然さは残った。王家に反省を促すためとはいえ、明確な嘘を流すのは倫理的にも主人公の性格的にも受け入れ難い。そもそもあえてそんな噂を流さずとも、もっと自然な形で反省に追い込むことは容易だったはずだ。王家側の動きも不自然というか、あえて事を荒立てるようなことをしており、どことなく終盤の衝突と和解のために作られた不自然な展開にも感じた。原作は完結しているようだが、王家・人間と精霊との和解がゴールになるのだろうか?
結局この世界のことも主人公たちのことも大してわからないまま終わってしまった。人類は絶滅していて、姉も生きていないし、ヨーコも一度死んで再生されたか、治療・凍結されていたのだと思うが…そのへんは大してわからなくても良いような、あくまで雰囲気を楽しむ作品ということなのだろう。3回に1回くらいじんわり良い感じのエピソードがあったが、それだけでストーリーを高く評価することは難しい。何か一本大きな芯があれば違ったと思うのだが…
作画は普通に良く出来ていると思うが、普通なだけでこの作品ならではの魅力のようなものはあまり感じられない。特に背景美術に特徴がなく、終末世界の自然混じりの廃墟を描くのであれば(大変だとは思うが)もう少し気合を入れて欲しかった。キャラクターも個人的にはそこまで魅力を感じず。
全体的にあと一歩で「良い」に届くのにギリギリ達しておらず、非常にもどかしさを感じる作品だった。
皮肉なことに、ゲーム世界に入ってから目的がはっきりして視聴に必要な認知コストも少なくなり、面白さがわかりやすくなった。そういう意味では10話ぐらいまではプロローグだったのかもしれないが…これ、いつまでやるんだろう?
キャラをかわいく描かないといけないと思うのだが、作画も普通。とにかく全部普通。OPに作品と関係ないキャラ出すのはさすがにどうかな…。
コミカライズ既読。コミカライズは作画のレベルも高く、なろう臭がなくて結構好きなのだけど、これはもう作画、ボイスアクトからしてなろう臭がすごい。ストーリーはコミカライズ時点からそこまでという感じでさして変わり映えしないが、キャラデザもコミカライズではなく原作準拠っぽく、全体的に質がよろしくない。コミカライズ準拠ならなぁ…という感想に終始した一作。
長文書いてたけど消えたからやる気なくなった…。ざっくり言えば、設定は過去シリーズを相対化し、現実と結びつけ、世界を拡張したという意味では面白さはあるが、とにかく複雑すぎて視聴者に理解させられる描写になっていない。エヴァシリーズの同期・フォロワーによくあるタイプだが、これはさすがにやりすぎだと思う。それを抜きにしたエウレカやレントンの成長物語としては一定の評価はできるのだが、果たしてこのシリーズでこんなことをする必要があったのか疑問は残る。バトルを中心とした映像は非常に高品質。なんとなく全体的にゼノブレイド2を思い起こさせる設定・描写が多かった。
いつもと何も変わらないキショくてしょーもないチラムネだが、作画の質が急激に低下した。これが延期の理由?唯一の取り柄だったのにな。この七瀬とかいうのもなんなの?普段はイキり散らかしといて、中学で絡まれたヤンキーが来ただけで戦う姿勢すら見せずに子犬みたいに震えだして、強い女とかいう設定どこいったの?こいつだけじゃなく、千歳も全員自認と実態が乖離してるのよね。乖離をドラマに仕立てるにしても、まず自認がある程度成立してるところを見せてくれないと、ただの勘違い野郎のドラマにしかならないですよ。
コミカライズ既読。知ってはいたはずなのに、ヒューマン絶対独立主義宣言で思わず笑ってしまった。追放モノの王道的展開で、ただただスカッとするためだけのポルノ的なストーリーではあるのだが、J.C.STAFFが頑張って作っているので作画は結構良いし、音楽も悪くはない。しかし、主人公のまわりにいるのはこの段階だと自分で引いたガチャの配下だけで、自ら人間関係を築いた者は誰もおらず、自分に絶対服従の道具に「ライト神様」と呼ばせて引きこもって暮らしていると考えるとなんか悲しくなってくる。
舞台設定は面白く、音楽と映像もとても良いのだが、ストーリーとキャラクターに問題が山積している。序盤にヒロインのトワサが銃撃されるのだが、正直銃撃されても仕方ないぐらいに人間としての感受性が欠落しており、大人が彼女の行動を止めないのも狂っている。アンドロイドが不安だと反対されたから、人類をアンドロイドに近いものに作り変えれば良いと世界に公表するとか、サイコパスを超越していて恐怖すら感じる。そりゃ撃たれますよ。その後も、人類にナノロボットを注入してネットワーク接続する試みを、うまくいかなかった場合のフォールバックもなしに実行していてどう考えてもありえないし、舞台設定を成立させるための展開が破綻していて没入をいちいち阻害する。
世界とトワサの謎を解くというストーリーの芯があるにもかかわらず、話の大半が間延びしたロードムービー的エピソードとなっており、旅先でちょっとした人間関係が描かれるものの、文化・価値観・世界の違いを活かしたものにはなっておらず、陳腐な近現代劇の類似品に終始していた。終盤に予想外の事実が明らかになり、その瞬間は面白かったのだが、それ以後の展開はかなり酷く、意図はわかるのだがやり方が上手いとは思えない。ただただ終盤を劇的にするための下品な展開としか感じなかった。
キャラクター描写も全体的に非常に雑で、まず根幹たるトワサがサイコパスであることからアキラにもこの世界にも感情移入が難しいし、アキラも荒廃した世界で現代倫理をふりかざしてとんでもない平和ボケムーブをかましまくり、辟易させてくる。敵は敵で絵に描いたようなチンピラだったり、組織の幹部とは思えないような狂った人格をしており、わかりやすい敵として機能させたいがためだけの安直なキャラ造形が目立つ。
素材は良いものが揃っていたのに、調理が不味くて台無しになってしまった作品と感じた。
コミカライズ既読。もうすぐ京都に行くのと、あまりおもしろくなかったコミカライズでは描写されていない(というふうに記憶している)大きなネタがあるとのことで、それを確認した上で評価したくて視聴した。
お話としては、SF的な基盤はかなり雑に感じるものの、未来の主人公に裏切られる展開と、世界がシミュレーション仮説をもとにした二重構造だったのはひねりがあって面白さを感じた。逆に、期待していたアルタラを中心としたデジタル世界の映像描写には美的な面白さもあまり感じず、クライマックスのアクション描写も含めアナロジーが陳腐でそこまで魅力的ではなかった。3DCGを使った人物作画はかなり自然で良いのだが、キャラクター描写はわりと薄めで、未来のナオミにも一行にもそこまで思い入れが出来る前に終盤感動的な雰囲気を出されてしまい、感情があまり追いつかずに終わった感はある。プロット的には未来予知どおりに進める必要があったのだが、そのせいでアルタラ内の直実と一行の関係が予定調和・他責的に進行し、描写が薄くなってしまっているのだと思う。これはプロットが構造上の捻りと引き換えに犠牲にしたもので、脚本でもう少し補完が必要だったように感じた。
とはいえ、総じて間延びしたコミカライズの印象に比べるとかなり面白く感じた。
演奏、演出、映像が一体となって非常に心地よい作品。演奏シーンは特に、このままライブとしてずっと続けて見ていたいような陶酔感がある。プロット自体は予測できる感じのベタなものではあり、あぁ…そういうことやっちゃうんだ…と感じる部分もあるのだが、そんなの関係ねぇ!とばかりに演奏と演出ですべてをなぎ倒してくる。冒頭の片手演奏を伏線にし、最後に回収してくるのはベタではあっても否が応でも盛り上がるものであった。作中曲は何曲か出てくるのだが、オリジナル扱いということはこの作品用に作曲されたものなのだろうか?このジャンルにそこまで詳しいわけではないのだが、いずれも素晴らしい曲だった。
映像面では3DCGを多用しており、雪祈の背中から見たモーションなど一部若干浮いていたりはするのだが、シェーダーと手書きのタッチをお互い寄せ合っていたり、ロングショットで多用したりと違和感が出ないように工夫しており、3DCGの使い方としては非常に優れていると感じた。東京の都市の描写も素晴らしく、見慣れた場面が美しく描かれており東京在住の者として没入感を高めてくれた。噂に違わぬ傑作。