サービス開始日: 2024-10-05 (725日目)
サーカスが題材なのだが、サーカスらしい映像描写はかなり少なく、主人公の空中ブランコ2人以外はほとんど止め絵。前半は主人公を含むサーカスメンバーの葛藤と成長が描かれる…のだがどれも非常に浅い感じで、サーカス関係ないエピソードが多い。後半は団長の病気が突然悪化し、突然のトーナメント展開から超速スキップでライバル団と戦って終わる。最終話だけはそれなりにまとまっていると思うのだが、そもそもの団長の病気がとってつけたようで、トーナメント設定にした意義もよくわからず、最終的には団長の窮地描写がことごとく雑に反故にされて、うまいこと助かって大団円みたいな終わり方に、単に終盤の展開を作りたいがためだけの舞台装置感が透けて見え、とにかく物語の適当さを感じた。
サーカスだから仕方ないのだろうが、数が多い割に大した役割がないキャラクターが多い。ひまわりサーカスのメンバーですら数合わせぐらいにしか見えないし、ロータスサーカスのメンバーもほとんどいてもいなくても変わらないような薄い役回り…そのわりに、ひまわりサーカスが決勝で選んだアプローチが「技術では届かないから全員の力で物語仕立ての構成にする」というもので、それならもっと団員のエピソードをここにつなげるように描写しておいてくれよと思ってしまう。あそこまで雑に扱っておいてみんなの力で物語仕立てで頑張ろうと言われても、これまた突然ですねとなる。
止め絵の映像や最終盤の皇姉妹のやり取り、1つになった後のひまわりサーカスの前向きさは良いのだが、そこに至るまでの環境描写や積み上げが不足しており、尺とテーマに対してサーカス(が必然的に要求するキャラ人数や個々の演目)の描写が浅く、物語とサーカスがうまく馴染んでいない。また、この尺の中で展開を収めるために大人組が都合の良い舞台装置になっているように見える点が苦しい。悪いというほどではないのだが、決して良くはない、妥協しながら置きに行った、という印象が残る作品だった。
凝った話ではないけど、ゲーム世界の成長と戦いをテンポ良く描くエンタメとしてはそれなりに面白い。1期に比べるとマシになっているとはいえ、作画はギリギリな感じではあるが…キャラデザ自体はコミカライズに忠実で、まぁこんな感じかなとは思う。終わりの魔王に対してはじまりの召喚士を名乗るところがピークな気はするが、コミカライズは次期ぐらいまでは面白いので、そのへんまでは見ようかなぁ。。
ある時新葛飾に落ちた隕石によって身体が欠損し、その隕石から放出される物質によって欠損が補完された結果特殊能力を持ったが、隕石の影響範囲内の新葛飾から出られなくなった少年少女たちの物語。彼ら6人×5チームの30人がチーム戦で浅いゲームを繰り返す中で人間ドラマ的なものが描かれる…というと別に悪くもなさそうに聞こえるが、これがもう本当に酷い。
まず、登場人物が多すぎる。1クールでドラマを描くならせいぜい5人程度までだろうし、実際まともに人として描かれているのはその程度。残りの25人は、浅いゲームの中で浅い能力を披露しては消えていき、名前はおろか姿も能力も記憶に残らない。ゲーム自体も毎回部外者が適当に考えたようなもので、毎度ルールが変わるし、毎度参加者が適当に能力をぶっぱなしてなんとなく決着がつくため何一つ面白くない。作品の半分くらいをこの意味不明のくだらないゲーム描写が占めるため、視聴が苦痛でしかない。
その中で、主人公がチーム内で揉め事を起こして出ていき、また和解して戻ってくるという展開が物語の主軸になっていくのだが、キャラが多すぎゲーム描写多すぎで尺が足りない中なのでそもそも掘り下げがなさすぎて展開がすべて唐突。しかも、長年一緒にやっていた仲間だろ!みたいな雰囲気で話を進めておきながら、揉め事が起こると全員急に話も聞かずにキレちらかして、主人公側も対話もしないクソムーブでチームを飛び出すことで展開を作っており、本当に見ていて辟易する。主人公が対立チームに加入して元チームとゲームするという展開もあるのだが、これも人間関係の変化とゲーム内容がちぐはぐで、ドラマとして成立していない。そもそも、彼らがなぜチーム戦のゲームをしていたのかよくわからず、途中から変な研究者みたいなのが来てゲームさせてくるけど、それも結局大して物語に絡まないまま。元チームに戻る時も、キレちらかしてた友達が急に「俺も困惑してて…」とかクソムーブかましてきたり、最終的な和解でも最初からその話しとけば揉め事すら起きてないだろって感じだったり、露骨な舞台装置だけでなく、舞台装置にすらなっていないキャラや要素が多すぎて、ガラクタを見せられてるようにしか思えない。
一体何をどうすればここまですべてが破綻した作品が出来上がるのか、不思議で仕方がなかったのだが…これはプロジェクトANIMAのキッズ部門作品受賞作なのだけど、原作ではなくあくまで原案であって、原作からは大幅に改変されているらしい。原作はどうも、若者たちがチームを組んでテロを繰り返すダークな作品だったようで、これをキッズ部門受賞作にしたせいで、謎のゲームを繰り返し、不自然でふわっとした人間関係(以下)を描写する意味不明な作品になってしまったようだ。原作がこうならまだ理解はできるが、原案としてここまで変更するのであれば逆にもっと出来ることはあっただろう。本当にどうしてこうなったのか。今年ワースト作品候補に文句なくノミネートされるであろう破綻した怪作。
序盤は東部戦線の部隊長としての戦闘が描かれるが、帝国全体としては戦闘で局所的な勝利を重ねながらも戦争終結への道筋が見えず、泥沼の消耗戦に陥っていく。ターニャは小賢しく立ち回って自身の安全を確保しようとする、が…こちらも局地的には成功を納め続けるものの、安全な立場からは遠ざかるばかり。合理性の塊として局地的最適解を導き出し、魔導兵としての戦闘能力と部隊長としての指揮能力で目先のタスクを効率良く片付けるが、良くも悪くも人間性から距離を置きすぎたことが災いし、神の悪意も手伝ってか足を掬われ続ける…中盤からそういった描写が増えてゆき、終盤ではルーデルドルフとゼートゥーアの人間関係を崩壊させながらさらなる泥沼へと足を踏み入れていく。完全なる無法地帯と化したブラック企業で優秀なソルジャーが地獄を這い続ける様を彷彿とさせるブラックコメディは、社畜経験者には刺さってくる。最近ミリタリーと接点があることもあり、面白く見ることができた。
かなり大事な回なのに、今回全体的に作画おかしくね…?っていうか劇伴もおかしくね…?なんか亜細亜堂時代を思い出してしまった。ゲオルギーネ派の名前ぐらい読み上げないのかしら…ちょこちょこ顔出したり謎に名前表記出したりしてたのに、こういう自然に仕込めるところはスキップしちゃうんだなぁ。
襲撃の一連の流れも原作から細かいところがかなり変わっていて、印象がだいぶ変。原作だとシャルロッテの側仕えが窓を確認しに行く(これもこれでおかしいが、襲撃者に吹き飛ばされるのは筋が通る)のだが、アニメではダームエルが確認しにいって、鍵が開いてるのに外も確認せず、よそ見をして侵入を許し、護衛騎士として相当に無能っぽく見える。ローゼマインの「きっと気のせいです」も、周囲に話すのではなくシャルロッテに話しかける形になっていて、ローゼマインの判断のおかしさが目立つ。その後、シャルロッテが攫われた後に騎獣から降りようとしたのはなぜだろう…?原作はそのまま飛び出して行っていて、その方が自然に感じるのだが。アンゲリカがシャルロッテを抱きとめた後、身体強化をしている間は宙に浮けるような描写・会話になっているが、そんな設定あったっけ…?騎獣が落ちたあと、自分から外に出てるのも変だよ。原作だと、横転した中で起き上がったから上半身だけ出てしまって、そこを掴まれたことになってるのに。もしかして窓から飛び出す前は降りようとしたんじゃなく、この展開のためにシートベルトをはずさせようとした…?原作だとシャルロッテに呼びかける時に上半身を乗り出そうとして外したことになっているのだが、改変した結果不自然になっている。なんというか、全体的に酷い。
ここだけでも頑張らないといけない回だったのに、肝心な回が普段よりだいぶ悪いとか…前もそうだったけどこのシリーズは一体どうなっているんだ…
冒頭の抜け殻のようなボルカニカ、からのラム大活躍回。今回のバトル作画がいい感じだっただけに、前回の悲しみが蘇ってくる。そして最後は再びボルカニカ、彼?が守っていた場所には手形…そういえばこんなのありましたね。クライマックス近し、だがどう終わるんだろう、どこで切るんだろう…
勇者クロノア編で色んなことが繋がって、クライマックスの準備が整ったという意味で良い評価。それ以外の部分…特にマリアベルまわりは結構ぐだぐだだったし、グランもさすがにそれはちょっとと思うところはあったが、まぁ転スラはこんな感じで良いでしょう!
なろう系の王様として、様々な作品を置き去りにする隔絶したご都合展開の嵐ではある。だが、転スラはそもそもこういう作品として一貫している。だからこれでいいんだ… 結構クライマックス近かった気がするけど、どうだっけ…原作もう忘れちゃった。
死ぬ気で挑戦して商業誌で連載したものの最終的には挫折した元漫画家の教師・手島零と、彼女の作品に支えられてまっすぐに育った生徒・安海相の物語。安海が漫画の創作を通じて友達を作り、創作者としても少しずつ成長していく傍らで、最初は嫌々、すぐにノリノリで巻き込まれていく手島先生。安海たちは純粋に創作を楽しむ一方、壮絶な過去からあちこちに見えてしまう創作の落とし穴にハラハラして、なんとか自分のような地獄を見ないように見守り導いているはずが、自分の過去を振り返る過程で少しずつ過去との向き合い方を変えていく… 非常にわかりやすい話で、漫画・創作ものでよくあるような、すごく才能があるだとか、SNSや商業誌での派手な展開があるというわけでもない。ノートに落書きで描き始めるところから、少しずつ少しずつ創作が進展し、それを通じて交流が変化する様子が丁寧に丁寧に描かれる。
現在の安海たちと対になる形で描かれる手島先生の過去話の絡め方が非常に良く、手島先生がどんな地獄を見てきたのか、何を恐れているのか、それを生徒に直接伝えることなくどのように影から支えているのか…そして、その結果が思いがけずに安海から返された時にどれだけ救われた気持ちになるのか、痛いほどに伝わってくる。子供に期せずして恩返しされた親の気持ちってこんな感じなんだろうね。
漫画家が自分を題材に漫画を描くと、やたら美化したり劇的にしたりすることも多いものだけど…これはシンプルで、注意を惹くための奇抜な展開を作るでもなく、創作描写も地に足がついていて、創作とそれが生み出す人間・人間関係の変化が相互作用しながら進み続ける。それが本当に良く出来ていて面白い。素晴らしかった。
たぶん原作はまだ続いているのだろうし、ここがキリが良いわけでもないのだろうけど、アニメとしてはちゃんと綺麗に終わったなぁ。
映像単体、音楽単体でみれば非常に良い。ただ、それが物語とうまく結びついていない。室町時代の実在の人物・場所として義満、犬王、観阿弥・世阿弥等が出てきて、猿楽がちょうど能へと変化していく様を世阿弥を主人公に描写する形になっているため、この過程を何かしらの仮説をもって鬼夜叉の成長と映像表現に絡めつつ見せてくれるのかと期待したのだが、鬼夜叉が幼少の頃から既に我々が知っている現代能らしきものが成立しており、今とどう違うのか少なくとも素人目には映像上わからない。鬼夜叉は色々市井で経験を積むものの、それが舞にどうつながり、映像としてどう反映されたのかもわからない。世阿弥の思想はあちこちでほのめかされるのだが、それが物語として説得力のある形で鬼夜叉が気づくこともなければ、それと舞の表現との結びつきも汲み取れない。最終話付近で突然すべての思想を一緒くたにぶち込んだような舞台を演じて終了するが、鬼夜叉はまだ10代前半であり打ち切りエンドのように見える。
これもまたある種の創作物語であり、確かに創作と主人公の成長を相互作用させることで物語を駆動しようとしている。しかし、その相互作用が機能不全を起こし、少なくともエンタメとして成立はさせられなかったように感じた。これにより、結局舞台・舞の映像だけ切り抜けば良いが物語としては成立していないという、物語と創作を分離した作品と似た印象になってしまった。
今度は犬王コンテンポラリーダンスに。まぁ…それはもういいか。鬼夜叉が演じる自然居士は、犬王の舞は犬王にしか出来ないものであり、そこには自分がたどり着けないし、この舞は犬王が死んだら終わってしまう。だが未来に発展していく猿楽を残したい、足も痛むのでうまく舞うこともできない、だから自分らしさを含む無駄を削ぎ落とすことで無心になり、未来へも残せるようにする、という論理で構成されたらしい。しかし、ゆっくりであるとか、間が長いといった現代能に通ずる特色は、削ぎ落とすという行為の延長線上にはあるかもしれないが、自分を削ぎ落とすというところまで重ねるものなのかは正直非常に疑わしく感じる。作劇上、(前回の)初心、花、無心、伝承を1つのテーマとして成長に重ねようとしたのだとは思うが、実際の世阿弥の思想を雑にまとめてしまっているようにも感じる。初心は微妙に違う意味のように見えるし、花、無心は自分を削ぎ落とすわけではなさそう。伝承は型、師弟関係、文書として残しつつ新たな変化を受け入れる形のように聞こえ、かなりの差異を感じる。
自然居士は1話で鬼夜叉が少女役で演じていたものだが、正直なところ1話の時点で既に現代能に近い動きの少なさ、間の長さに感じており、鬼夜叉がつけた変化というのが演出上のエフェクト以外で読み取ることが難しい。能の映像表現としては良いものだが、義満や犬王がこれに新たな素晴らしさを見出し感動する描写は映像で語る物語としてあまり納得感がなかった。
鬼夜叉はまだ成長期の10代前半だと思うが、ここまでは長く猿楽の洗練、能への変遷が描かれてこなかった。だが、ここに来て急に世阿弥の生涯をかけたテーマを雑にぶち込んで来た感じがして、それはそれで無理を感じる。確かに、卒塔婆小町や汐汲で1人で演ずる猿楽から夢幻能のような要素や、幽玄、花のような要素の欠片が見える構成にはなってはいるが…それは演目がそう並んでいるだけで、鬼夜叉の行動や気づきとあまり結びついていないように感じてしまう。少なくとも、かなり分かりづらい。やはり、14くらいまでの物語で世阿弥の能の要素をぶち込むのが無理があるのだろう。もっと長くやるつもりが打ち切りだったのかな。そもそも原作からアニメでかなり改変しているから、アニメ制作の料理として無理があったという話かもしれない。
うまく出来ているかは別にして、一応世阿弥の能に正面から向き合ったという意味でこの回は良いとしておく。
これにて、このシリーズが始まる前から見たかったエピソードの1つ目が終わった。映像でやってくれるとは思わなかったが、1話丸々使って期待以上のものにしてくれた。もちろん、いくつか省かれているものもあるのだが…逆に映像になったことで明確になったこともあり、それも含めてルーデウスがここまで積み上げてきたものが完膚なきまでに破壊されつくす様子を描いてくれた。実際、ヒトガミが手を回したのはロキシーと(これは省かれたが)シルフィまでであり、その後のことは半ば自業自得なところはある。今回断片的に描かれているように、この世界はルーデウスがチーレムできるほど都合良く作られてはいないし、この世界の物語と言えるものがあるとして、ルーデウスはその主人公ですらない。
無職転生という物語の主人公は、あまりに人間臭く、あまりに弱い。転生してから…本当は前世の時点から、様々な人の力を借りて前に進んできたが、支えがなくなるとすぐに倒れて前を向けなくなってしまう。だが、このどうしようもなさこそが一貫してこの物語の主人公の姿であり、どうしようもない自分を抱えたまま、弱くても、失っても、間違えても、絶望しても、失望させても、どうすれば前を向けるのか。理想には程遠くても、少しでもマシにやれるのか。それを見せようとしているからこそ、この物語は面白い。1つの姿であった老ルーデウスの物語を受けて、今のルーデウスが自分の物語をどう受け止め、どう生きようとするのか。その行方は、まだ定まらない。
ヴォーデイン、トア、トアの書、真の勇者まではわかったが…結局魔獣王と領域はどういう成り立ちなんだ?トアが滅んでも消えなかった領域とはトアの領域?魔獣王の領域は別?召喚された勇者ってのはいわゆるテンプレのやつ?っていうか領域ってなんなの?
格ゲー歴30年ぐらい、一応現役でスト6プレイしており、プロシーンも黎明期から追っているという若干特殊な視点からなのだが…まず、スト6を中心にシーンが盛り上がっているこのタイミングでメーカーやプロシーンを巻き込んでアニメ化したこと、格ゲーよく知らない人にそれっぽい解説と雰囲気でなんか頑張ってる感、おもしろそう感を出したことは評価したい。
その上で…この作品は、アニメだけでなく原作の時点で格ゲーの試合での立ち回り、読み合い、展開、心理戦をキャラクター同士の関係性と密接に絡めながら描写するという方法を取っている。アニメでは、その実際の画面や読み合い、展開にシリーズ最新作のスト6を採用しているのだが、原作の連載時点ではスト6が存在しておらず、スト5(初期の初期はもしかしたらウル4)が最新作であった。ここで、アニメ制作陣は原作のスト5のゲーム展開をスト6で無理矢理再現するという方針を選択してしまったため、キャラの性質も試合展開も技術的なポイントもそれに伴う心理戦も、大半が時代遅れでちぐはぐなものになってしまっている。
今回の撮影にはプロチームのFAVが協力しており、彼らに脚本を見せて相談すればスト6で適切な展開に組み替えて画面を作ってくれたはずなのだが…制作は、原作を尊重したのか不明だが、そこまで頑張ることをしなかった。この作品、プレイヤーであるキャラクターたちの人間関係とその変化を描くにあたって画面の説得力が非常に重要な作品であり、FAV…が無理なら巷に溢れているスト5~スト6プレイヤーが監修することで、自然な形に再構成することはそうむずかしいことではなかったはず。にもかかわらず、あくまでスト5のゲーム性や当時の競技シーンに基づく描写に終始し、技のやり取りも非常に雑で、実際にゲームを知っている人からすると画面の説得力がゼロになってしまった。雰囲気で楽しんでる人に雰囲気が伝わる形にはなっていたと思うので、アニメとしては良しとするが、これは非常に残念だった。
物語の特定のパートの描写は丁寧なのだが、そのパートを引き起こすイベントが意味不明で、ストーリー全体としては破綻しているように見えてしまう。かけると小春が2人で会う過程で盲目の生活や感覚が丁寧に可視化され、少しずつ打ち解ける様は悪くなかったが、あの出会いの直後に2人で会うようになる理由はなかなか理解し難い。癌での闘病生活自体は別に悪くない(部外者に病気のことを漏らした挙句、生存確率一桁なのに治すと言い切る医者は謎だし、ステージ4で抗癌剤で治療しているのに副作用が軽すぎる等妙なところは多い)が、動画での告白と同時に小春が記憶喪失のふりをするのは小春のキャラからしても本当に意味不明。結局打ち解け合って、小春の癌が寛解して結婚、子供を持つ…その結果を描く部分は良いのだが、そこまでの癌の描写からすると比較的すんなり寛解するのはご都合主義にしか見えない。部分ごとの描写には良いところがありながら、それらを展開させる物語の重要な契機がすべて雑なので、それだけでも物語の評価は普通以下になる。その上、前半で丁寧に描いた視覚障害での生活は、後半で癌の闘病生活に入るとほぼ消えてしまう。それなら小春を視覚障害にする必要もなかった。逆に、小春を視覚障害にするなら癌によるありきたりな闘病展開にする必要もなかっただろう。すべてがちぐはぐすぎる。限りなく良くないに近いが、謎の前提を呑み込めば、部分部分の描写に良いものはあったのでギリギリ普通にしておく。
これまた特に言うべきこともなかった。春希やカズキの迷いがもう少し物語として面白く描かれていれば何かしら記憶に残ったかもしれないが、何もなかった。