本日の夜実況。
プリキュア名物、クリスマス台無し回。クリスマスにいつもろくな目に遭わないプリキュアたちが気の毒すぎて、じわじわくる種類の面白さw
誠司が敵に回る展開、個人的には観ててつらい。
誠司がグレちゃうつらみとつり合うほどの見返り、つまりはめぐみの「気付き」はもたらされるのか?
宮本佳那子/キュアソードの生誕祭、その後夜祭とでも。
「この回はキュアソードの担当当番回である」という持論によって選ばれた。
「運命からは逃れられないが、ただ流されるだけでない強さを持ちなさい」というおばあさまの助言だったはずが、真逆に解釈してしまったキュアエース。
そして、誤った道を驀進するキュアエースを止めずに、むしろ焚きつけるいい大人であるジョー岡田。(CV: 櫻井孝宏)妙にタイムリーな展開だなw
繰り返しになるけど、和解できるはずのふたりが戦わねばならない狂った状況を、ひとり冷静に俯瞰しているキュアソード。
なりふり構わずマナに助けを求める、キュアソードのその叫びが胸を打つ。
それにしても、王女はレジーナと亜久里の戦いを審判しなければならない、善悪どちらにも肩入れできない中立の立場のはずだが。
「現実は正義の味方だらけだ。いい人同士が殴り合う。それがこのクソッタレな世界の真実だ」
吉松の例を挙げるまでもなく、声高に正義を掲げる輩がそもそもうさんくさいって話かも。もっとも、物語の中の暑苦しい正義も、それそれで自分は美味しく頂くけれども。
バディものということで、プリオタの自分にとっては「ふたりはプリキュア」(無印)と重ねて見る機会も多かったこの作品。本当に守りたいものは正義ではなく、隣人や日常だったということかな。そんな、20年前の名作との意外な接点を感じた。
Bパートラストのちさとの台詞「よし行くぞ、相棒〜!」が、自分にとってはこの作品を締めくくる言葉だった。ワイハーは笑うところw
本日の夜実況。
成田さん本人が手がけているだけあって、めぐみが失恋に泣くシーンの作画や台詞回しはすごく良い。
一方、アバンのブルースカイ王国に平和が戻ったシーン、ここはせめて国王王妃がひめを労う心のこもった「台詞」が欲しかったところ。
上手く言えないけど、失恋が世界の破滅であるかのような世界観に微妙な寒気を感じる。
クイーンミラージュの失恋が世界を破滅に導いたから、この作品世界ではある意味間違いではないことだけど、失恋そのものはみんなが経験しているありふれた出来事で、みんなそれを乗り越えて成長しているわけで。
めぐみには神やプリキュアのようなマジカルな力ではなく、人として普通に失恋から立ち直って欲しいものだけど。
めぐみが言っていた「イノセントな想い」が「奇麗事すぎる」ことが、遂に問題にされ始めているのかも。
HUGプリのプレジテントクライにも少し似たにおいを感じる。奴の憎しみは、少なくとも劇中では「民衆の悪意」という極めて抽象的な概念に対してのものあるという描写になっていた。それは「生身の人間が果たしてこんな、抽象的な憎しみを持つものなのか?」という軽薄さにつながっていた。
宮本佳那子/キュアソード生誕祭として、1日早いけど視聴。
プリキュア全話のなかで、この回が自分の最愛の回であることはそうそう簡単には揺るがない。
歌唱シーンや特殊変身はタナカリオン最高の仕事であり、もちろん素晴らしいけれども。
この回を繰り返し観ているうちに、「レジーナの為に自分は何ができるのか?」と自問するAパート。むしろ、真面目で誠実な真琴の姿に感情を揺さぶられる様になった。
全ての事件が解決し、ちさとの命以外の全て解決したかと思われた矢先のラスト。
「ラストがまるまる後日談とは、1クールものにしては贅沢な構成だな」と、一瞬でも思った自分がアホだったw
逆転に次ぐ逆転、目の回りそうな急展開。
その様な急展開の連続の中でも、憤怒の形相でたきなが発砲を続けたシーンが特に印象に残った。
その表情とは逆に、根底にあるのはちさとへの愛情。やはり自分の推しはたきな。
バトルでは、真島の異常な聴覚を逆手に取った冒頭が面白かった。
スマホの着信は、ふたりのアイコンタクトの様なものだっただろうか。
たきなの突入シーンにしびれた。
ふたりはプリキュア(無印)42話を思い出した。
キュアブラックは涙を流して、バディとの再会を喜ぶ以上に、離れていた苦しさをぶつけたが。
かたやバディのピンチに颯爽と登場したたきな、イケメンすぎて惚れるレベル。結婚してください。
似ているようで違うシーン、どちらもすばらしい。
本日の夜実況は、ハピチャの実質的な最終回w
涙の紋をはじめとした様々な暗喩や仕掛けがあり、今でも新しい発見があったりする密度の濃い回。
シリーズ構成として難があるかも知れないけど、ラブリーの覚醒はこの回であったほうが自分は納得できた。
「誰も不幸にしたくない」という青臭くはあるが魂のこもったラブリーの言葉は、これこそがラブリーが初めて見せた、真にイノセントな想いであると感じた。
本日の夜実況。
3幹部たちのそれぞれの動機が明らかになり、プリキュアたちが各々説教をする構図。
ナマケルダが本当に面倒くさかったのは、人と関わること。コミュ障を克服してきたキュアプリンセスの担当。
ホッシーワはお菓子だけでなく、価値あるものを独占したい。平和主義者キュアハニーの担当。
オレスキーは「1番になり」名誉を得たい。空手の有段者であり、求道者でもあるキュアフォーチュンの担当。
「結局みんな、人間関係をこじらせたただのコミュ障だったのだろうか?」とまとめてしまえそうで、3幹部はずいぶん卑小なキャラクターになった。プリキュアたちの成長を見せることは逆にできていて、今回の「良い」はそのあたり。
ドラマのあった前回(41回)とはエピソードの順序を逆にするべきだったと、この回を見る度に思う。ゆうゆうのキャラも、前回から少し変わってしまっている気がする。あと、作画は微妙w
「私に決めさせてくれて、ありがとう」
何かを隠すことで、誰かが幸せになることはないのであると。
そして、この国の暗部も洗いざらい、すべて暴かれようとしている。
ヨシさんの救世主という物言いがちょっと引っかかった。
救いたいのがちさとではなく、世であるとすればなんたる独善。この作品のことだから、この少しイラッとする言葉選びもあえて行われたのだろうな。
Bパートのたきなに激しく心を揺さぶられた。
プリオタだからバディには弱いのです。
本日の夜実況。
この回については、もう特に言うことはないかなw
これでもかというほどの、しあわせの再定義。ハピネスチャージ。
ジャンプコミックス37巻(最終巻)収録分。
遂にこの日がきてしまった。最終回である。
実は自分、大魔王との決着がついたあとの騒動を蛇足と感じている。この最終回は原作の忠実な再現であって、その意味ではアニメ版スタッフは最高の仕事をしているが、原作最終回がそもそも蛇足であった為に、残念ながら「とても良い」評価はできない回になっている。
自分の「ダイの大冒険」という作品自体への評価はストップ高であり、通常であれば最終回が伝えるであろう様なメッセージ性を作品自体が持っていることもあって、最終回の出来で評価が変わるほどヤワなものではない。…ないのだけど、繰り返しになるが、結末にはあまり満足していない。
この作品の円満終了に十分と思われる、物語を畳む為のスケジュールが編集部から提示されたはずが、実際にはそのスケジュールでも不足していた為か、図らずも「打ち切られた」様な結末になってしまったのが原作の最終回であったと自分は想像している。
実際、最終回に至っても回収されていない要素は少なからずある。ポップ×マァム、エイミ×ヒュンケル等のカップリングが、最後まではっきりと描かれなかったこと?…いやいや、それももちろん大事だけどw
ダイは大魔王に「おまえを倒してこの地上を去る」と言った。(86話)ダイは果たして、本当に地上を去る羽目になったのかどうか?
ピラァの爆発を防いだことにより「閃光のような」生き様を大魔王に知らしめた人間たちだが、それは確かに人間の素晴らしさの表現ではあるけれども、「人間ではないダイが迫害を受けるかどうか」への答えにまではなっていない。モンスターたちがデルムリン島で暮らした後日談もあり、「やはりダイは、デルムリン島で生きていくしかなかったのか?」とも感じてしまう。
ダイは「キルバーン人形の処理」という想定されていたのとは別の理由で地上を去ることになったが、差別や迫害というもっと大事な問題は保留されたままだ。
「おまえを倒してこの地上を去る」と関連して、太陽に関連する重要な台詞がいくつかある。
バラン「今こそおまえも太陽になるのだ!仲間たちを、地上を輝き照らす太陽に…!!」
ダイ「太陽になって、みんなを天空から照らすよ」
どちらも、「文字通りの意味で」太陽になることを連想させる生々しい台詞である。決着の後、石化した大魔王の背後に見えた巨大な球体は、太陽ではなかったのか?ダイが太陽になると言ったのは「比喩ではない」という自説を、自分は連載当時から主張し続けてきた。
クロコダインの「生きとし生けるものにはすべて太陽が必要なのだ」から始まり。ダイの母ソアラは太陽に喩えられ、また、大魔王が最終的な目的としていたのも太陽を手にすること。太陽は、物語の中での存在感を徐々に増していった、隠れたテーマであったと言っていい。
自分はたとえ悪役に対してであっても、「こいつは悪党だけれども、言ってることは一理あるな」という共感は持ちたいと常々思っている。
若返って本来の肉体を得てからの真大魔王バーンがいささか軽薄なキャラクターになってしまっていたのは、「太陽とは何だったのか」というテーマにはっきりとした結論が出されなかったという理由もあるかもしれない。太陽について多く語られなかった為に、それを欲する大魔王への共感の余地がなくなってしまったこともあるのかもしれない。
アニメがリブートされると聞いた時、一番最初に期待したことは「太陽」問題の決着だった。原作で語られることのなかったこの問題への加筆を期待していたが、高望みが過ぎただろうか。原作を良くする為の改変を、ここまでの回でも積極的に行ってきた経緯があるだけに残念だ。
最終回は、その様な高望みを別にすれば十分な良回。物語全体としての総括は後日行う予定。
2回目視聴。
とてもまとまりの良い回だった。くまモンとのタイアップがあったにも関わらず、不自然なところもない。
(過去のシリーズを振り返って、今観ると厳しい芸人回もあることをを考えると)
特に良かったのはメンメン。メンメンはらんにとても懐いていて、エナジー妖精たちの中で、パートナーとの関係が一番よく描けているのはメンメンではないか。
また、今回明かされたいくつかの設定も興味深い。エナジー妖精各々が「麺占い」などの奥の手を持つこと、麺のエナジー妖精は麺料理のレシピッピたちのリーダー的立場であることなど。
Aパートでうんこネタで爆笑していたと思えない急展開。
たきなが有能すぎて惚れる。
ツンデレっぷりも美味しく頂きました。
冒頭、真島の似顔絵に吹いたw
オモシロシーンだけど、実は言うほど下手じゃないと思った。
あのちさとも、吉松の前ではいっぱいいっぱい。ただ事ではないと感じたたきなが、影ながらフォローする。
大人たちがちさとに向ける興味はあまり感心しないものばかりだが、ちさとのことを案じるたきなの情が暖かい。
本日の夜実況。
経験豊富なキュアテンダーは、脚本の都合から早々にメンバーから外されるのであったw
このあたりの回にプリキュアたちが強くなった描写が多くあり、徐々に力をつけてきたことが実感できるシリーズ構成はよいと思う。
個別のシーンでは、いおなとまりあの空手勝負が良シーン。
ここだけでなく、キュアテンダーや敵サイアークも空手の動作をしている(気がする)のが面白い。
本日の夜実況。
プリキュア全員がイノセントフォームに変身し、各々マイクを手に、歌いながら敵にとどめを刺す新技。その歌はよく聴いていると、今作の重要ワード「イノセント」を連呼するおもしろソング。
この伝説的な決め技の名は、イノセントプリフィケーション。ビジュアル面でのインパクトの強さは歴代屈指と思う。
キュアフォーチュンとの姉妹対決というだけでなく、姉を操っているのが敵首領クイーンミラージュであるという、幾重にも意味付けされた展開はドラマとして見ごたえあり。この様なシリアスな展開を卒なくこなす手腕は、さすがは成田さん。
クイーンミラージュの背後にいる黒幕がディープミラー(すなわちレッド神)であり、ミラージュがディープミラーの傀儡に過ぎない真相がはっきりと描写されている重要回でもある。
クイーンミラージュの左頬の涙の紋は、感情の動きによって消えたり現れたりする。
彼女がディープミラーに操られている間は涙の紋が色濃く現れるわけだが、キャラクター設定としても意味を持たされた、こうしたデザイン上の特徴も面白い。
本日の夜実況。
いおなの姉が敵として現れる急展開だが、いおなが気にかけていたのは姉の生死。生きてさえいればどうとでもなる。
クイーンミラージュは姉をプリキュアへの刺客としたことで、むしろいおなを絶望から救ってしまった感があるw
誠司のめぐみへの気持ちを知ってか、ひめが誠司を気遣うシーンがある。
ひめは「べつに誠司のことが好きなわけではない」と自分を納得させたが(27話)そんなわけはないないだろう。
いつも調子の良いひめが、真顔で誠司のことを心配しているのを見ると、ひめの本心も踏まえた上で切なくなってくる。
本日の夜実況。
敬愛する成田さんの担当回ではあるけど。めぐみのイノセントが何だったのかわからない、或いは同意できない。
誰かの役に立ちたいことと、相手に感謝されたいことは別に対立しておらず、矛盾なく共存すると思う。
もし善行が感謝されず返ってくるのが悪態ばかりであったら、それはいびつな関係だ。無償の愛が必要以上に美化されて欲しくないな。
この回で言えば、誰かの役に立ちたいめぐみが頑張れるのは、めぐみに対する感謝があるから。
めぐみのことをいつも見ていて、感謝もしている、誠司あたりの視点がクローズアップされれば同意できるエピソードになっていた。
ジャンプコミックス37巻(最終巻)収録分。
キャラクターデザイン宮本絵美子さんが総作画監督、唐澤監督が絵コンテと演出。
初回と同じ全力の布陣を、このラス前回の為に温存していたのだろうか。とても見ごたえある画面であった。
大魔王は「かつてハドラーは、戻れぬ道を突き進み、あの時の余に匹敵する力を得た」と言った。これはアニメオリジナルの台詞。今の大魔王がハドラーと同じ心境であるという解釈はアニメ独自のものだが、不思議と違和感はない。
勝利の為に己を魔獣と変えた。行動自体は同じであるが、その動機は真逆であることについては「ダイ好きTV」でも話題になった。
大魔王バーンは二度と元の姿に戻れない。
その「余」には酒や女が好きな描写もあり、またチェスを趣味とする文化的な一面も描写されている。そう、大魔王が普段見下している、人間がしていることとそんなに変わらない。酒も女も趣味も、地に足をつけた人の生は「大魔王の偉大な名」より価値のあるものだ。
この男が普段振りかざしている強者理論から報いを受けた形だろう。全ての価値が「己が強者であること」に由来しているから、その地位が脅かされた時には全てを捨てなければいけない。「大魔王の偉大な名」にすがる哀れな男が持つ、かような行動原理は、理解はできるがあまり理解したくないものではあった。
ひと言で言えば、原作の時点では「薄い」キャラクターになってしまっていた真大魔王だが、ここでハドラーと同じ動機を持たせたことで救われたと感じる。
大魔王が鬼眼王に変身した動機と同様、大魔王が欲していたアレに関する独自の解釈が込められるかどうか。
最終回に注目したい。
フローラ様が気絶するシーンが好きだ。りえりーGJ。
ダイはレオナをフレイザードから救出したあとに、彼女を「大王イカ」呼ばわりしたこともあるw
勇者とヒロインの甘いシーンが描かれない照れ隠しもダイ大流。
真面目で誠実なマイラ王女。
彼女が臣下の者たちに愛されている様子や、「好き」を思い出したことが自信につながった成長が描写されていた。
片や、王女と入れ替わったゆい。
この様な入れ替わり回では、例えば「王女としてのハードな公務や責任感を実感する」と言った、それだけでは少し辛気臭いエピソードを想像していたところ。この点は押さえた上で、こちらはこちらで楽しんでいて、その楽しげな画づくりがよかったと思う。
ブンドル団が登場しない、人情が沁みる回。
シリーズ構成平林さんの脚本だが、シリ構自らが本編と関わらない幕間回を書くのは珍しいのかも。
それだけに、この回もデパプリの世界観を構成する1話であるということだ。
本日の夜実況。
特に葛藤も達成もなく、さも当然の様にイノセントフォームに変身する。
それは尊く、そして笑いどころでもある。ゆうゆうはとっくにイノセントの境地に達していた様だ。
弁当に対して理不尽な言いがかりばかり言う、お得意様のばあさん。
でも週4の頻度で弁当を注文するし、出されたものは決して残さないし。
ばあさんのこの、愛情表現が上手くない不器用っぷりが味わい深い。
本日の夜実況。
10周年コメントは、この回のキュアホワイトで最後。
ひめがイノセントフォームに目覚めたエピソード。悪い話じゃないけど唐突に感じる。
「人助けは自分の願いではないから、イノセントな想いとはいえない」、その為にキュアラブリーが覚醒できなかった前回の流れとも齟齬がある。今までの回、キュアプリンセスは勇気と関連付けられることが多かったから、この方向の覚醒エピソードが順当だったと思う。
とはいえ、今まで恋愛とはまるで縁のなかったいおなの覚醒回は、ある意味では唐突だったのにとても良かったことも確か。
では、この回には何が足りなかったのか。
黒電話とかアナログテレビとか、最新の作画で描かれているのは昭和。時代性に忠実で面白い。
この作品の作画面で、一番大事なのがラムの作画やキャラデザであることは間違いない。そのラムのキャラデザが、あくまで古いデザインのブラッシュアップであることに好感。
劇中の用語「インベーダー」は、TAITO「スペースインベーダー」を意識している様だ。
(発表年は、うる星やつらもスペースインベーダーも、共に1978年)
本日の夜実況。
誰かを助けたいという願いもよいが、自分自身の心から湧き上がる願いがなければ、イノセントフォームにはなれない。そもそもイノセントを「探す」というのはどうなのか。
悪くはないけどめぐみに迷走感のある回。この回が構成上必要だったかどうかは、正直微妙。
専門知識がなければ、仕事とは無関係なところでの応援がいい。
汚れた白衣を洗濯してあげたのは、本当はそんなに悪くなかったんだけどね。「汚れたまま着ているのは願掛けで、意味があった」なんて、普通は気付かない。ロケットクッキーのほうはよかったね。
無敵と思えたあのちさとが、後れを取っていた。
ピンチに颯爽と登場したたきなが、めちゃくちゃ格好良かった。
じゃんけんって、そんな方法で勝てるんだ…w