本日の夜実況。
ひかるが行き詰まった時に頼った相手が、僚じいであるというのが良かった。
ゴールは人との比較からではなく、自分の中に見つけなさいという。それを既に成し遂げている僚じいの言葉は重い。
このあたりは以前、ひかるの生誕祭でこの回を観た時に感じたことと同じ。
もっとも、ひかるは本来、僚じいが言った様なことが得意な子のはず。
家族を持たずにきた僚じいは、自分とは別の道に進んだ幼なじみふたりの孫娘との出会いに、運命を感じただことだろう。
自分とよく似たところがあるひかるのことを、実の孫のように思っていたかも知れない。
そして、ひかるに足りないもう一つのピースを持っていたのは、やはり親友のララだった。
ひかるは確かに自分を救ったのだから、悲しみを抱えた別の異星人に手を差し伸べることも、ひかるには出来るはずであると。
何かを知らないことを恥じることはない。今までと変わらず宇宙への強い好奇心を持ち続け、隣人を知り、そして救う。
その決意がひかるのトゥインクルイマジネーションだったのだろう。
ひかるに一番近いふたりの人物が、ひかるを覚醒させた。
主人公であるひかるの葛藤は当然として、もう一人の主人公であるララの想いも、物語のテーマと直結している。
だいぶ過ぎてしまったけど #キュアアース生誕祭 として視聴。キュアアースの良いところを観たいなら、この回を観るべきではないかといつも思ってる。
加入後ポンコツっぷりを披露することが多かったけど、この回のあすみんは凛々しく格好いい。一方で物静かで少し天然ぽい、少し抜けたところがあるのも良い。
「いま行きます」というサブタイ通り。
プリキュアの中ではアースだけが使用できる、風エレメントを使ってのワープ能力も披露する。
のちのち大事なシーンで使う能力なので、よく憶えておくように。>自分
だいぶ過ぎてしまったけど、 #喜多村英梨生誕祭 として視聴。
ネタキャラのようにいじられがちなキュアベリーの美人っぷりや、とても真面目なところを再確認。
この回のみきたんが尊いのは仲間の為に滅私奉公することよりは、自分に必要なものを自分で判断できるところね。
本日の夜実況。
サンタクロースの正体は、子供を驚かせ、喜ばせるのが好きな「サンター星人」だった。
とてもスタプリらしい底抜けに楽しい回。サンター星人が実在する、この狂った世界観も最高!
ジャンプコミックス34巻収録分。
34巻の表紙裏コメントは、三条先生。次回のサブタイトルにもなっている、「天地魔闘の構え」について。
ラストに向け、この作品を特徴づけるキーワードがすごい勢いで解放されており、今回解放されたのは「真・大魔王バーン」。ハドラー決闘回(72話)同様、文字による演出も冴え渡っている。
大魔王本人が、「第2形態」がどの様な存在であるかを説明してくれる。この説明を初めて聞いて絶望を感じた理由は、「ニコイチ」という強さの理由付けが論理的で(なおかつわかりやすい)、絶対に敵わないという説得力が強くあるからだ。多くのバトル漫画と一線を画している点のひとつで、世のバトル漫画はこの令和の世にも、ダイ大から学べるところが多くあるだろう。
そして、真大魔王の担当声優は満を持しての子安氏。この新アニメでミストバーンが登場した後に「ミストバーンが子安ww」と言ったが、わかっていなかったのは自分の方だった。素顔ミストバーンが現れた頃から薄々気付いていたが、初めからこの日の為のキャスティングだったのだと思う。
一方の場面では、こちらも満を持しての「ミストマァム」の登場。
これもう絶対に、三条先生の趣味だと思うのだけど、魔力炉同様のエロ展開にはまったく恐れ入るww 自分はコトブキヤの鎧化マァムのフィギュアをずいぶん前から予約しているけど、ミストマァムもフィギュア化希望。
閑話休題。
格闘を得意とするはずのヒムもまるで相手にならず、それどころか、ラーハルトと二人がかりですら手に余るミストマァムである。たとえロン・ベルクがこの場に居ても同様だったことだろう。クロコダインがストレートに「強すぎる」と言ったが、まさしくその通り。
ミストマァムのとんでもない実力についての、ヒュンケルのモノローグが原作にはある。(句読点はぷーざによるもの)
……人間は誰しも、無意識のうちに力をセーブする。
自分の肉体までも破壊してしまわないようにだ!ミストはマァムの身体が壊れてしまうことなど
おかまいなしなのだ!!だからあれほどの力をしぼり出せる…!!
とはいえ、自分の身体や生命を犠牲にする技はこの作品の中でも前例がないわけでもないし、むしろヒュンケル自身がその様な技を好む傾向がある。
ではミストマァムの「本気」がどうだったかというと、一時的な負傷は闘気を伴わないものだから、回復呪文による回復が可能。マァム自身はベホイミが使えるし、ベホマも使いこなすポップと組めば打撃に専念することもできる。
つまりこのミストマァムの強さは、マァムがその気であればいつでも見せることが出来た「実力」だったはずではないかと想像する。もしこの強さをマァムが発揮できていたら、展開が変わっていた回がここまでの回にもあったのではないか?
真大魔王の担当声優が子安氏である一方、ミストの担当声優は古川登志夫氏。
この方も、今まで多くの作品で自分を楽しませてくれた、納得の大御所だ。
本日の夜実況は、
キュアソレイユのトゥインクルイマジネーションシリーズ、その後編。
鼻の低い者を哀れんだり、お世辞を言ったりする文化を持つ、グーテン星出身のテンジョウを通じて、笑顔の価値について考える。テンジョウ自身は、自分の出生から「全ての笑顔はうわべである」という持論を持ち、それ故に笑顔の価値を一切認めない。
えれなにとって「笑顔」とは、よくよく振り返ってみると自分自身が笑顔で居ることではなく、他人を笑顔にすることに喜びを感じることだった。はて、どこかで聞いたことがあると思ったら…
「アイドルっていうのは笑顔を見せる仕事じゃない!笑顔にさせる仕事なの!」
時々ものすごくいいことを言う、ラブライブ!のにこにーのお言葉と同じ意味だった。
えれなは今回のように「人を笑顔に出来なかったこと」に涙を流すこともあり、こうしたしぐさが普段笑顔で居ることと同根の行動として描かれているのがよかった。
また、えれな本人よりも真実の近くにおり、えれなを励まし続けたまどかの評価はストップ高である。
本日の夜実況。
えれなのトゥインクルイマジネーションシリーズは、前後編という特別待遇。今夜はその前編。
多忙な母親や、場合によっては両親を持ったプリキュアは意外と多い。普段一緒でなくても親子関係は成立すると、肯定する意図があるのかも知れないな。実際、同様の設定を持ったプリキュアは初代のキュアホワイトにまで遡る。
ノットレイダー化したえれな母が「えれなが本当の笑顔を見せてくれない」と言ったのは、「えれなに我慢をさせている」というあくまで母本人の負い目であって、えれな側の問題ではなさそうと感じた。えれなが家族に尽くしているのは、本当はえれな本人がそう望んでいるからであって、仕方なくしているわけではない。
問題をその様に正確に把握していたのは、えれなの両親ではなく、意外にも親友であるまどかの方だった。親友としてのお役目も果たしていることからもわかる通り、前回(41話)での覚醒により、まどかはずいぶん株を上げたなと感じる。
昨晩の夜実況。まどかの誕生日に何度も観ている、代表的な当番回。
小松さんのおめでたが発表されたが、それがこの回の夜実況の日でもあったことに運命を感じた。
ガルオウガと父の共通点から転じて、まどかは「父は自立すらしていない未熟者だった」と気付く。この気付きこそがトゥインクルイマジネーション、そして自らも自立するというおもしろ展開。
この回以降、自立したまどかには心の余裕もあり。年長者らしくメンバーの悩みによく気付く、当初期待した通りの「姉キャラ」にようやくなった。
本日の夜実況。言葉にならない尊い回である。否、尊いルン。
カッパードのハロウィン回(37話)の予言を乗り越えた、ララルンの魂の叫び。それはトゥインクルイマジネーションにつり合う、十分な説得力を持ったものだった。
そして、この様な回にこそ寄り添わなければいけない親友ひかるが、果たすべき役目を果たしたのもよかった。
ゆがんだイマジネーションを持った、言わば汚れた大人は、まどか父のほうだったという状況が何やら教訓じみている。
はっきりと言葉にして言った者は居なかったが、それでもアイテムの力で「この男は悪人である」と認定されたようなもの。
からめ手は卑怯だが、悪人としては利口だったと褒めておこう。
ジャンプコミックス33巻収録分。ちょうど巻末まで。
ミストバーンはかつて「それほど、この姿をさらす事は罪深い」と言った。
ならば大魔王の許しもなく、余計なことをぺらぺらと喋ってしまうことは、素顔を晒すこと以上に罪深いのではないか?黙っていれば「大魔王の秘密」とやらをヒュンケルに気付かれることなど、そうそうなかったはずなのに。
そしてミストバーン以上に、罪深いほど口が軽いのがキルバーンだ。
自分が命を失った直接の原因になったのは、ファントムレイザーの効能をご丁寧に包み隠さず、すべてアバンに話してしまったこと。自分の技をひけらかす悪い癖がずっと前からあったキルバーンだが、この切れ者を装っている男はただの馬鹿なのではないか?
窮地に神を自称するという、これ以上ない死亡フラグにもメシウマ。この陰湿な敵は、ハナから読者をスカッとさせる為のキャラだったのだと思う。
「とても良い」はこのメシウマに対して。
「こんな物騒な死神を飼っておくのもまた一興かもしれん」という大魔王の台詞がカットされていたのはちょっと残念。キルバーンも言っていた様に、大魔王の酔狂や器の大きさを表現した良台詞だったが。
一方、マァムのモシャス云々はアニメで追加された台詞で、こちらはとても良かった。
本日の朝実況。
2話でふたりめのプリキュアが登場しない前作に倣ってか、まずは主人公の掘り下げを行う堅実なシリーズ構成。
まなつとローラふたりが実質的な主人公なので、前作と違うのはお当番がこのおふたりであること。
まなつのあふれる「やる気」はゆくゆく「部活」につながり、プリキュアとしての力になってゆく。
だから、ローラには寄り道に見えるまなつの部活動はローラにも同様に重要。「どっちのダイジ」が一番大事とは決められない。ローラは「他のプリキュア」を探すと言ったが、こんなにやる気にあふれたまなつの様な子がそうそう居ないことを、表面上はどうあれローラが認識したのがよかった。
自分勝手なところがあるローラだけど、自分にも他人にも正直で嘘を言わない。
ある意味では誠実、ギャグとしても成立する嫌味のない絶妙なキャラづくり。
本日の夜実況。
えれなと笑顔の関わりも、トゥインクルイマジネーションにつながっている。
「笑顔は無価値」というテンジョウの助言をとりいれたことにより、スピーチがより説得力あるものになったくだりが面白かった。
想いを言葉で届ける。それは手紙でもよいが、手紙に何か小粋なアイテムを添えるのも悪くない。
Pretty Holicの商品、クリスタルシュガーボトルの販促回であることを抜きには語れない回だけど。この回はなんと、販促回であるからこそ良回になっているという新しいパターン。
素敵な商品提案だと感じた。相手あってのものだから、実際に買うかは別としてw
キュアプレシャスのブラックペッパーへの感謝は前回からのものだし、ここねが両親に想いを寄せるシーンは次回につながっている。
朝実況は、今日からトロプリ。
話のテンポがとてもよく、まなつの変顔やオーバーアクションなどと相まって、ぐいぐいと引き込まれるすばらしい導入。
どこまでもアゲアゲで押しの強い主人公まなつと、蓋をあけてみればもう一人の主人公だった、ダウナー系人魚ローラとの対比も面白い。
「いま一番大切なこと」「あなたのお名前は?」
物語の根幹であるフレーズが初回に既に押さえられていて、これらが最後まで貫かれた一貫性を改めて感じた。
いま、夜実況で見ているスタプリが、ちょうど3クール目あたり。
これを観るのは絶好のタイミングでしょう、ということで視聴。
この最高のプリキュア映画の、今さらどこを褒めるというわけでもないが。
クライマックスが大ボスとのバトルではないという異色の脚本が、バトルに本質があるプリキュアにも意外とマッチしていると気付く。
本日の夜実況。
プリキュアたち各々のトゥインクルイマジネーションの中で、キュアコスモのものだけはどうにも共感できない。
アイワーンがかつて行ったことは概ね大量殺人と同じで、にも関わらず当の本人には償いの意志が全くない。その様な極悪人を、何の見返りもなくただ許せというのか。
「憎しみの連鎖は断たなければいけない」のはわかるとしても、筋立てが強引で、さすがに奇麗事が過ぎると感じる。
ユニの変装のひとつ、バケニャーンの元ネタともいうべきエピソードはなかなか面白かった。
ハッケニャーンというせっかくの重要キャラの登場回が、「アイワーンを許さなければならない」理由の説得力のなさで台無しになっている感あり。
本日の夜実況。
楽しい仮装だけで幕間回として十分楽しめそうなところ、カッパードの過去を匂わせるシーンあり。楽しい回だが、それだけじゃない。
「異星人と解り合えるのか?」という、ララというキャラそのもののようなテーマ。その決着となる、40話の直接の前段になる回。
ひかる以上にUMA仮装を楽しんでいたララを見ると、胸が痛む。
だがそれは乗り越えることができる痛みだ。
本日の朝実況。
はるかは観ている側が自分を投影する主人公だから、はるかだけは明確な未来が描かれない。
これは劇中の望月ゆめ先生が、「花のプリンセス」の結末を描かなかったのと同じ。
この姫プリそのものが、ゆいが実話を描き残した絵本作品であったとも解釈できる。ゆいは絵本作家として、自作の結末を尊敬する望月先生に倣ったのだろうか。
視聴者目線を持ったキャラクターとしてゆいは、プリキュアではなかったからこそ、見方によってはプリキュア以上の存在感を持った「語り部」になった。などと想像すると楽しい。
ディスピアの後継者となったクローズは、ディスピア同様に「絶望そのもの」になったことになる。はるかはその絶望を、自分をグランプリンセスにまで成長させた、自分自身の欠くことの出来ない一部として肯定する。
「希望と絶望は隣り合わせ」。どこかで聞いたフレーズと思ったら、意外にもそれは、無印「ふたりはプリキュア」のさなえおばあちゃまの言葉だった。もっともおばあちゃまは、絶望を肯定するニュアンスでは言っていない。シリーズの開始から10年あまり経って、絶望への解釈も新しいものになっているね。
本日の夜実況。
アンは秋映画のゲストキャラ。このエピソードがそのまま、あの神秋映画の前日譚になっている。
宇宙マフィアの立場でユニの言い分を聞く必要は本来ないけど、まぁ根はいい人だったのでしょう。
マフィアを相手に筋を通し、更に仲間の為に盗賊をやめるラストはちょっといいと思った。
2回目視聴の感想。
「円満閉店」という価値提案。
店舗勤務の経験がない自分にはあまりなじみのない概念だけど、お店の側が「お客様をたくさん満足させた。成し遂げた、もう満足だ」と思うことは確かにあるだろう。
本当に閉店してしまう渋いラスト。未就学児童にはとても理解できない概念だろうけど、大人になってこの回を思い出したら見返して欲しいな。
ブラペがイケメンで格好良かった。
このイケメンっぷりが、次回のキュアプレシャスからのお礼につながっている。よき。
ジャンプコミックス33巻収録分。
勇者アバンの先代パーティが、回想で再び登場。
特に僧侶レイラの初登場に注目。かつてマトリフが「あんないい女」と言っていただけあって、若い頃のレイラはとても愛らしい。
レイラ役の本来の担当声優は折笠愛さんだけど、この回想に登場する現役時代のレイラを演じているのは、マァム役の小松未可子さん。登場してすぐに「これ、みかこしの声なのでは?」と気付いたし、「ダイ好きTV」でもそう言っていたから裏は取れているけど、EDにレイラ役はクレジットされていない。
そのレイラがスピンオフ「極炎の魔王」で、「こんなに ほうっておけない人に 生まれて初めて 会ったんだもの!」と告白した(4巻、16話)相手が、今回再登場となった戦士ロカ。人情あふれる人間的なところに、レイラばかりではく、自分のような同性の目からも魅力を感じるキャラ。自分の周囲では「極炎のポップ枠」みたいに呼ばれているけどw、自分もそう思う。
ロカはこんな男だから、親友であるアバンが自分を犠牲にする覚悟であることに納得できず、ものすごい勢いで「バカヤローッ!!!!」と言う。
気取ったところがなく、ロカらしい人情にあふれたいい台詞だけど、原作ではロカの口から出た吹き出しがアバンの両耳を貫通していた。この、漫画ならではの表現をアニメでどう再現するかと注目していたが、特に変わったところはなく少し残念。
マトリフは「女を泣かさねえのがオレの主義」と言っていた。ここでマトリフが指している「女性」は2名おり、この場に居るレイラと、アバンの想い人である王女フローラ。
結局アバンは犠牲となり、魔王ハドラー共に、1年余りを止まった時の中で過ごさなければならなくなってしまう。その間、フローラはどのような想いを持ってアバンの生還を待っていただろう?と想像する。
結果的にマトリフは「女を泣かさねえ」主義を守り通すことができず、その上で生み出されたのが極大消滅呪文であるという。仲間であるアバン本人は当然として、そのお相手である、会ったことがない女性にも情を注ぐ大魔道士である。まったく、このパーティには人情家しかいない。
場面は現在に戻り。ビーストくんこと、拳聖ブロキーナの「本気」が凄まじい。
ラーハルトもヒムも絶賛、まさに「格闘の教科書」。回想シーンでも、格闘力の高さを自負するハドラーを圧倒していた様にみえる。スターウォーズEP2、ヨーダの戦闘シーンを思い出した。
それだけに、ヒムの「回復要員」呼ばわり(アニメオリジナル)がちょっと面白いw
この回の全てがクライマックス、ポップの極大消滅呪文につながっている。
クラウチングスタートの体制からルーラで矢を追い抜いて、ビーストくんを救出。そしてミストバーンへのとどめのひと蹴り。ストーリーでの盛り上げはもちろんだけど、発射してからのこのポップの動きは素晴らしく格好良い。確実に命中させる為の最後のひと蹴りこそがこのシーンの肝だけど、この蹴りへの演出が少し淡泊だったのは残念。
この極大消滅呪文、マトリフが「おっかねえから」数える程しか使ったことがない呪文だったという。実戦経験ではもう恐らく、何度も放っているポップのほうが上を行っていて、この高度な応用もその経験をふまえてのもの。ここまでの回を通して、ポップ最高の仕事であるのは間違いない。
それだけに、ミストバーンが最後に使ったインチキの様な反射技が本当にひどいw
自分はこの反射技の正体をもちろん知っているけど、ほんともうインチキとしか言い様がない。連載当時からインチキと呼び続けて、実際、自分の中ではこの技の名前は「インチキ」になってしまった。極大消滅呪文、「敵を消滅させてしまう」という強すぎる威力の割を食って、理不尽な展開になりがち。
ダイ「強すぎるっていうのもさ、あんまりいい事じゃないよね…!」(87話)
キュアブルーム生誕祭として。
咲の当番回ではないけど、S☆Sを象徴するかのようなこの回をチョイス。
お互いのことを星に喩える遊びのシーンで、満はそのミステリアスさから月と呼ばれた。(薫はいつも通り「興味ないわ」だけどw)
「終盤の花鳥風月を示唆した伏線なのでは?」と一瞬どきりとするけど、「月」の担当は満ではなく薫。残念ながら、その様な含みをもたせたシーンではなさそう。
本日の夜実況。
常々言ってるけど「ちやほやされたい」「褒められたい」という動機は悪いものじゃない。今までネタキャラだったかのような「金星」が、実はとてもしっかりしていたといういい話。
まほプリの選挙回(35話)と同じオチだけど、もう少し他にやりようがなかっただろうか。
選挙回ではプリキュアはずっと負け続けていて、選挙に勝って生徒会長になった直近のプリキュアは、キュアビューティまで遡らないといけないのでは?
本日の朝実況。
プリンセスは、自身の成長だけではグランプリンセスになることはできない。民衆の支持を得て、その力からの後押しを受けなければいけない。といったところか。
とはいえその民衆の夢も、今までプリンセス自身から与えられ続けてきたもの。自身の夢の力と民衆に夢を与える力、その両方がグランプリンセスに必要だった。
プリンセス自身が一度は絶望したところ、ロイヤルフェアリーや民衆が、プリンセスロッドのかけらを介してプリンセスに夢の力を返した。
絶望の檻を何度もやぶったゆいの強さは、その中でもひときわまぶしいものだった。絶望したプリンセスに力を与えたシーンがこのラス前回のクライマックスであったとするなら、この回の真の主役はゆいだったという解釈もありうる。
クランプリンセスは、プリンセスというよりはクイーンのようなデザインとよく言われる。
荘厳で豪華絢爛、それだけに戦闘シーンの尺はもっとあると良かったな。少し物足りない、そこだけが残念。
本日の夜実況。
「サボロー本人じゃなかった」という事実はネタとしては面白いんだけどw、話を無駄にややこしくしたノイズである気がしてて。
結局わかりあえたのか、わかりあえなかったのか、何をわかりあう必要があるのか、わからなかった。
「地球には花を売る文化がある」ことは、どうやら偽サボローに伝わった。そこまではよいのだけど。偽サボローが何に腹を立てていたのかをわかろうとしない限りは、こちらの事情を一方的に伝えただけに過ぎず、「わかりあう」ことにつながらないのでは。
1日過ぎてしまったが、キュアハート生誕祭として視聴。
レジーナとの直接対決を含む、キュアハートのイズムをこれ以上なく強く感じる回としてこの回を選んだ。
この最終局面の非常事態においても、キュアハートの関心事はサブタイ通り、レジーナとキングジコチューを救うという約束。
「しあわせの王子」はただ失う者ではない。自ら振り撒いた愛によって救われるのだ。
そしてキュアハートは、キングジコチューの心の中に湧いた感情を愛と呼んだ。
タイトルの「ドキドキ」とは、ストレートに愛を指していた。そんな、タイトル回収を含む重要回。
少し過ぎてしまったけど、キュアサマー生誕祭として視聴。
昨年の誕生日にも同じ回を観ていた様だ。自分にはよほど印象的な回だったらしい。サスペンスっぽい導入から、お供え物をするおもしろ展開を経て、ハートフルな「いい話」で終わる。ある意味、プリキュアらしさを一通り網羅して凝縮した回と言っていいかも知れない。
トロプリ屈指の良回。
キュアサマーとエルダの関係は、終盤必ず拾われるだろうと期待したけど、少しほのめかすぐらいだったのは残念。
本日の夜実況。
前のほうが良かったと言われがちなフワだけど、自分は変態後も好きですよ。
トゥインクルイマジネーションについて調べる為に、「宇宙のことならなんでも知ってる魔法使い」を探すと言う。
この段階では「魔法使い」は夢物語であって、本気で言っているわけではないけど、のちのちその通りの展開になるという伏線にニヤリとする。
本日の夜実況。
フワの「きらきらー」から始まる「スタートゥインクルイマジネーション」。
タイトル回収の集合技もこの回からで、これが登場するといよいよ終盤という感あり。
スタープリンセスたちは、「トゥインクルイマジネーションを探せ」と言う。
この期に及んでも、宇宙の神々はプリキュアたちにすべてを話していない。結末を知った上で、まったく食えない連中だと感じる。
本日の夜実況。
トッパーさんとのトップ会談、ガルオウガの初陣、そしてフワの変態など。
様々な出来事が起こる節目の回。
キュアスターの「守る」という言葉に、ガルオウガがムキになって食ってかかってくる。
そう言えば以前、カッパードとの間にも似た出来事があって、敵がただの略奪者ではないことを匂わせて来ているのは良い。
真の敵は別にいる。この戦いが無益であることを、向こうさんも気付いて欲しい。
ひかるに筋を通す、トッパーさんの誠実さに好感。