本日の夜実況。
イルマのことが好きなユキオが、イルマが笑ってくれたらペンを譲ると言った。平和的な条件でほんとよかった。8話みたいな険悪なシーンはちょっとつらいので…。
イルマは最初からユキオのことが好きだった様だ。バカップルか!
「演奏で人を感動させることが出来ない」と奏者として悩むまどかのために、ユニが宇宙アイドルマオとして一肌脱ぐシーンが粋だった。
まどかの当番回ではあるが、まどか父が全く登場しなかったのもよかった。この男、ちょっと登場しただけでイラッとさせられるので…
ジャンプコミックス32巻収録分。
このダイ大新アニメが全100回の構成であると、先日公式から周知された。この回を含めて残りの話数は14回。
この大魔王バーンとの再戦、自分にとっては全話通じてベストバウトのひとつと言った。
大魔王の最後の同時攻撃は、光魔の杖とカイザーフェニックスを「2回行動」のそれぞれに割り当てたという、文字通りの全力攻撃。
一方のレオナは、ダイのアイコンタクトの意図を正確に察し、竜闘気砲呪文の「連射」につなげる。
このとんでもない攻防に、連載当時は鳥肌が立った。
ダイがこの作戦を考えることが出来たのは、もちろん、「闘いの遺伝子」がもたらした歴代竜の騎士の経験知のおかげだろう。
では、竜闘気砲呪文をその身に受けたことがある者は、歴代騎士の中に一人でもいたのか?そんな経験をしたことがある竜の騎士はダイだけのはず。歴代騎士の叡知に「竜闘気砲呪文に耐えた」というダイの経験も加わり、レオナという無二のパートナー。様々な要素が奇跡的にこの場に集まり、その上で紡ぎ出された神の一手がこのWドルオーラなのだ。
さすがの大魔王にもこの一手が想像の外だったことが、驚いた表情からもよくわかる。まさしくサブタイ通りの「勝負をかけた攻撃」。お互いに。
場面転換が多く目まぐるしいけど(シーンの順番も、原作から激しく入れ替えられている)、ヒムとミストバーンの戦闘も同時進行。
ヒムが「自分の体を砕けるのは一人しかいない」と2度言ったが、それはもちろんヒュンケルのこと。宿敵への変わらぬ敬意を感じるよい台詞ではあるけど、「素手でオリハルコンを砕く」というこのトンデモが、もはや普通に受け入れられていることには吹き出してしまうw
右手の攻撃でミストバーンを懐に呼び込み、本当の利き腕である左手で渾身のオーラナックル。「どのみち、オレの腕は回復呪文で直るんだしよ!」と、意外と柔軟な判断ができているヒムに感心するなど。復活後のヒムは、仲間と上手く連携出来ている描写もあってなかなか頼もしい。
「食事を楽しむ為に、まわりが嫌だと思うことをしない」という思いやりこそがマナーの本質であると、あまねは言った。それを聞いたゆいは、おばあちゃんの口癖「ごはんは笑顔」と本質では通じていると理解する。(学業の成績はともかく、頭の回転が早いところがある)
世にあふれる無意味なマナーへの揶揄が感じられて痛快だが、一方でマナーそのものが不要とは言っていない。あくまで皆が食事を楽しむ為に、互いに少しずつ気をつけなければいけないことがマナーであるとすれば、高級店での外食だから必要なのではなくて、食事にはすべからく必要なものである様にも感じられる。
そんなことを言ったここねは、本当は「芙羽さま」などと呼ばれる様な高嶺の花ではないことが改めて描写される。あまねがパムパムに「ここねにはあんな面もあるのだな」と尋ねた通り、可愛い服を見てはしゃいだりする歳相応の普通の子。
昨晩、ここね×あまねを「ここあま」と呼んだけど、「あまここ」ではなく「ここあま」と呼ぶのがふさわしかったと再認識。ふたりが並ぶと姉妹のようで、大人しく賢い妹のほうが、実際には姉をリードしているというイメージ。
改めて、本当によいここあま回だった。
モブのひとりだった店の客が、「昔は給料を貯めてこの店に来た」と言ったのが妙に印象に残った。
高級レストランには「給料を貯めて」来店するに足る、外食の幸福が詰まっている。これも食の喜びのひとつの形。
昨晩の夜実況分。
「フワのキャラがイマイチ立たないうちに、もう折り返し回を過ぎてしまったなぁ…」と思っていたところに、このカオス回。
「宇宙またたび」なるおもしろアイテムについて名前以外は説明されずw、状況だけがどんどん悪化してゆく。スタプリらしいパワーにあふれた回。
宇宙アイドルが久々に登場と思ったら、なんと路上ライブ。
モブの台詞「宇宙アイドルか〜」が妙に印象に残った。マオの宇宙人という経歴には特に興味がなさそうだった。
今回のここあまは、前回に輪をかけて更によかった。
まさしく「気高く、尊く、麗しい」。100点。
取り急ぎのファーストインプレッション。
この回の感想は後日改めて。
本日の夜実況。この回とてもよいと思う。
ひかる父のキャラ立ちに圧倒されるけどそれだけでなく、いつも一緒に居るわけでなくても家族の愛情が成立するという割と深い話。
父親が旅に出ると知りつつ満面の笑顔でその夢を応援する、ひかるの幼い頃の回想を見ると泣けてくる。こんなに聞き分けのよい子供は、物語の都合で作り出された?いや、そんなことはないと思いたいな。父と娘が濃密な時間を過ごした描写があればこそ、父の夢を応援する娘のことが受け入れられる。
ララ&ひかる爺やひかる爺&僚じい等、他にも注目したい(のちの展開にも影響する)人間関係の描写がいくつかある。
また、ユニはたまたま、ひかると家族たちのやりとりを離れた場所から見ていた。彼女はオリーフィオのことでも思い出していただろうか?
2回目がなかなか観られず、遅くなってしまった。
よかったところ箇条書き。(よかった順)
本日の夜実況は、前回から引き続き折り返しの重要展開。
キュアコスモの活躍からダークネストの復活まで、とても情報量が多い回だけど全く巻いている印象がない。
それが初回の感想だったけど、改めて観てやはり見事な収まりだなぁと思う。まるで最終回。
いつもは浮かれているw キュアスターだけど。
アイワーンを救うと言ったこの回のキュアスターはとても真剣な表情、王者の風格をも持っていた。
ただアイワーンというこの極悪人、救われる資格があるとはやはり思えないのだけど。
ユニはアイワーンを憎んでよい立場だが、アイワーン以上の巨悪を許せないと言う。
私怨に囚われてはいない。当のユニがそう言っているのだから仕方がない。その流れからの「くるくるチャージ」は最高潮。
本日の夜実況。
誰かを救いたいという熱い心は、プリキュア達もブルーキャットも変わらなかった。
ブルーキャットがキュアスターに化け、ふたりのキュアスターが対峙するシーンが印象的。石化された同胞たちを救いたいというブルーキャット、キュアスターの移し身の様な姿は「ブルーキャットもまた正義の人なのだ」という暗喩のよう。
外道の所業に全く悪びれることがないアイワーン。
のちのち許されるが、その資格がある様にはみえない。
本日の夜実況。
本放送当時、バケニャーンの正体にはまったく気付かなかった。
バケニャーン、ブルーキャット、マオが全て同一人物とは予想を上回る展開。
星の住人全員を石化。女児アニメとしてはギリギリの残虐表現。
アイワーンのこれほどの悪行にも関わらず、元を正せばただのミスである為か、アイワーン自身はまるで悪びれていない。それどころかバケニャーンへの逆恨み。普通に考えれば、アイワーンは救う価値のない屑のような悪党である。
狂気に満ちた表情。悪役としてようやくキャラが立ってきたアイワーン。
折り返しを迎えて急激に面白くなってきた。
早くも「将棋を指さない回」かと思ったら、公園のベンチでポータブル将棋での対局。
将棋馬鹿のセンパイが発明した、「祝い将棋」なる前代未聞の概念が草。
キャラが増えて少しにぎやかになった。
前回もチョイ役で出ていたけど、マキ先輩かわいい。中の人ざーさんだけどw
デレたりヘタレたりするセンパイはかわいいけど、それより根っこのところで、立ち聞きを謝る誠実さに好感。
サブタイが言っている通り、たしかにセンパイは可愛いが、今のところ風呂敷を広げられそうな話には見えない。赤尾さんはこのネタをどう料理するのか。
将棋がわかればもっと楽しめるのだろうけど、無敵囲いのダメさはなんとなくわかる。
要は、使った駒の数に見合うだけの防御力がなく、コスパがわるいということですね。
本日の夜実況。
自分は漫画家ではないけど、創作の苦しみは身につまされる。
「描きたいジャンルを描けば、それが一番面白い」と、そんな作家目線の台詞を言ってくれる編集ばかりだったらいいんだけど。
娘の為の創作が作家としてのルーツとは、姫プリの望月ゆめ先生を思い出させる、ちょっといい話。
本日の夜実況。
話のテンポはいいし、プルンスとブルーキャットの掛け合いや、宇宙ケルベロスを手懐けるシーンも楽しい。
…なんだけど、ノットレイダーではない相手にプリキュアに変身してしまうシーンがちょっと引っかかる。
こまけえことは気にするな?
ジャンプコミックス32巻収録分。
三条先生の表紙裏コメントはまさにこの回、「余の部下にならんか」について。
ドラゴンクエスト(ドラクエ1)でロトの勇者にむけた竜王の台詞、いわゆる「世界の半分をやろう」への明確なオマージュ。
自分は「ダイ大とドラクエにはそれほど深い関連はない」という持論を度々述べているけど、ここはさすがにドラクエへの強いリスペクトを感じるシーン。三条先生自身も表紙裏コメントでその様な意図を語っていて、このオマージュはほんとに素晴らしい。
かつて、ハドラーとアバンの間でも同様の会話がされているが(4話)、ハドラーがアバンへの侮辱も込めたその言葉と今回のものは少し意味が違う。大魔王は本心からダイを部下に迎えたいと思っている。人が悪意を持つという真理や、かつてバランが誘いを断れなかったことにも触れ、困ったことにとても説得力がある。
一方、大魔王バーンは、ハドラーの体に黒の核晶を埋め込んだ外道でもある。ハドラーという強者に対して改めて「敬意は変わらん」と評したが、その様な敬意と裏切りとを矛盾なく同居させられるのがこの男。桁違いの悪党、言い換えれば桁違いの屑であるのが大魔王バーンであり、仕える主としては最悪の相手だ。
ダイが迫害されても構わないと言ったのは、大魔王がどうしようもない詐欺師だからではなく、人を含めた地上の生き物全てが好きだからだという。
ダイの冒険は、ロモス王やレオナという隣人を助けるところから始まっている。最初は「勇者様」への憧れを持っていて、勇者のあり方として人助けをしていたところもあった様だから、この頃であれば「英雄という甘い幻想にしがみついていたい」という大魔王の指摘もあながち間違いではなかったかも。
しかし今は、ダイは大きな人類愛を持った太陽のような存在になっていた。
片やレオナ、大破邪呪文と契約した時に「人の神」の問いかけに答えた時の言葉。(63話)
「そんな難しいこと、急に言われても困るわ」という言い出しから紡いだその言葉は、ダイがロモス王やレオナを救ったような隣人愛の延長にあたるものと、ダイが「地上の生き物全てが好き」と言った様な人類愛と、その両方を区別せずに含んでいた様にみえる。「人の神」は、レオナが自分の「正義」を信じる意志の強さを試していた様だから、ここでレオナがどの様な正義を語るかに正解はなかったのかも知れないけど。
レオナは大魔王が言った様に「ダイに個人的好意を抱いている」一方で、「おまえを倒してこの地上を去る」とまで言うダイの気持ちも理解できてしまっていたと思う。ダイの言葉に涙まで流していたレオナを見ると、まったく切ない。
ヒムとキルバーンについて、それぞれ言いたいことがあるが回を改めて。
ヒムの「男ならこっちで来いよ、大将!」はとても良いね。
本日の夜実況は、キュアマシェリ生誕祭として。
えみるの当番回というとプリキュアになる前、9話とか15話とかを選んでしまいがちだけど、今年はあえて変身回を選んでみた。
まずは新キュアのキャラデザがすばらしい。自分が好きなのは、特にマシェリの方のデザインだけど。
えみるはルールーに「わたしの曲に詞を書いてくれませんか」と頼んだが、その曲とは、変身後に歌ったふたりの友情の曲「大好き∞無限POWER」のことだと思われる。えみるが最初にイメージしていたような、アゲアゲノリノリな良曲だ。
「良い」評価は、これらの要素に対して。
プリハートがふたつに分裂する前代未聞のご都合主義展開に、どうしても目が行ってしまう。
プリキュア達が初変身の直前に言っていた「心があふれる!」という台詞がそれぞれ好きだけど、このシーンでそれが言われたことで、せっかくの台詞が台無しになってしまっている。
42話や48話で「プリキュアになる為にプリハートは特に必要ない」ことがわかってしまうこともあり、また、物語の最後まで一切説明されない女神マザーがこの場面に登場してしまう為に、ラストを知った上で振り返ると茶番感この上ないイベントだ。
これ以降、「ふたりでひとり」的な描かれ方がされることが多いえみルーであるが。
「ひとつのプリハートでふたり同時に変身できる」ことにすれば、それは本編での扱い通りなので納得できたかもしれない。あるいは「プリキュアになる為にそもそもプリハートが必要なかった」という真相であったなら、いっそこのタイミングでそれを明かしてしまえばよかったかもしれない。(まぁ、これは冗談)
本日の朝実況。延び延びになってしまったが、キュアヤムヤム生誕祭として。
本放送からあまり日が経ってないから、感想はそれほど変わらないとして。
なごみ亭とぱんだ軒の間に、元々ご近所付き合いがあったという描写とか。
キュアヤムヤム初変身の直後、キュアスパイシーが不慣れなヤムヤムのカバーに入ったシーンとかが印象に残った。
本日の夜実況。
初見ではオークションでハッタリかますまどかにあまり良い印象を持たなかったけど、改めて観ると不敵な笑みを浮かべる意外な一面は悪くない。
「キャラ変わりすぎてない?ほんとに同じキャラなの?」と感じてしまうところはあるけど。そんな胆力があるなら、父親におびえることもないだろうに。
そういえば、その父親が回想に回想に登場した。「上に立つ人間」を自称していた父親は競売に参加するのか?
宇宙アイドル、宇宙マフィア、宇宙料理評論家等々。次々と登場する宇宙の職業に吹くw