思ってたよりきれいに畳んでくれた印象。もっと投げっぱになるのかと期待してた。初見時はさっぱり付いていけなかったQに対して、その先例込みで対ショックの準備ができていたのもあるだろうけど、今作は端的にでも説明を入れてくれてたし、慎重に丁寧にある意味約束された結末に導いてくれていたように思う。あの庵野監督がここまで引っ張りながらこんな軟着陸を模索していたのかと思うと微笑ましくもある。今作ではみんなシンジに優しかった。アスカはあれが優しさだしね。その皆の優しさにシンジが応えてくれたと捉えたい。
エヴァの世界を堪能できるだけで満足なのにハッピーエンドとは
結局のところやってることはTV版旧劇版と同じだった。ただループしていることを明示し、過去作もすべて肯定した上できちんと終らせたところが個人的には満足。
配信で視聴。
劇場で観られなかったのは残念だったが、学生時代からリアルタイムで見てきたファンとして納得のいく終わり方だった。
にわかファンでしかないので、解説サイトありきでの視聴。さようなら、すべてのエヴァンゲリオンというキャッチコピーがとにかく好き。
ミサトさんやかじさんみたいに多くの犠牲を払いながら目指した、全員が幸せになれる世界という最後はいいと思ったし、シンジとマリが2人で外へ向かう最後のシーンはすごく好き。
正直単なるアニメ作品として見れば不満点はいくつかあるもののエヴァの最後を飾る作品としては最高のものになっていると思います
最初のTVシリーズから二十数年、長かったなぁ。
最初からこの作品は壮大な親子喧嘩と和解の物語なんだろうと、二十数年前から思っていた。
そして、シンジが本当の意味で大人になる成長物語でもあると。モラトリアムから自分の人生を引き受けるところまで自覚的に明快に辿り着ける者は実は少ないんじゃないかと思う。迷い恐れながら人は生を作って行く。ただそれだけのことだけれど、やはり自覚的に成し遂げるのは簡単ではない。
けれど、この作品の登場人物達は皆、それぞれ関係し合いながら辿り着けたんじゃないかなと思う。
ただ、それぞれ魂の問題解決を遂げながらも生死が分かれてしまうのは、残酷なように思えるけれど、これほどまで長く決着を見なかった作品なので腑には落ちる。
映像と音楽のクオリティは驚異的で、芸術性の一つの極みを見たとさえ感じられた。
庵野監督を始め、製作に心血を注いだ全てのクリエイターに賛辞を贈りたい。
製作者も登場人物も、ちゃんと人の話を聞いて、自分の考えを伝えられるようになったんだなー。
これが前作から8年の成果かー。
思ってたより、すっきり終わったなという感じ。
特にシンジとゲンドウの関係が清算されたのと、救いがある終わり方なのが良かった。
105日ぶり3回目、まさかこんなにもすんなり理解に落とし込めるとは
幼稚で虚構で理想の終わらない自分だけのセカイが、いつか終わる現実の日常の世界に転換する
だけど、セカイが無意味なものではなく現実だけに目を向けていても苦しいだけ
だから、理想のセカイを現実の世界にオーバーラップさせる
エヴァンゲリオン・インフィニティが人類に還る場面はまさしくこの少年たちの神話の終焉であり、観客もこの虚構から解放された瞬間だった
そしてエピローグはこの神話が現実に重なるもので、「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」 とは日常の中で彼らの神話の断片を見つけるためのおまじないであった
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン
この作品にはまず感謝と祝福を言っておくべきだろう
それほどの作品に没頭させる魔力があると思う
ここからはネタバレが含まれる内容を記載するが
最終的に人類補完計画とは「あ、そういうこと」っていうシンプルなものでそのカギがシンジとゲンドウの親子関係の在り方に関わるものだったとは
つまりは「愛と命」、最終的に概念的な作品のテーマは結局ここにたどり着くのかという感じだった
であるが、そこにたどり着くまでの不明確な要素をあちらこちらと作品中に張り巡らせ、どういうことなんだろうって視聴者を夢中にさせていたのがヒットした要因と言えるだろう
実際見た後、1週間ぐらいエヴァのことしか考えられなかった。印象に残るセリフが多いのもそういうことなのだろう。
作画にも注目したい
前半とクライマックスのアクションシーンはド派手にどんな人にも楽しめるようになっている、無双ゲームのように多くの敵を1つの機体が全てをなぎ倒す
ただ、破壊するだけでなく操縦席からの目線で戦いのスピード感と緊張感を与えていると思う
一方途中の日常パートはより現実に近い背景の中に異端と思われる主要キャラを浮かせないように敢えて風景を中心に風景の中に溶け込んでいるキャラクターという見せ方をしていたように見える
また、風景を中心に描くことによって「ここは守る場所である」と視聴者側に印象付けるような雰囲気を感じられた。(風景自体が昭和の復興仕立ての日本を想像されるものだったのでノスタルジックなものを感じた方もいたのではないだろうか)
最後に精神世界での部分
特に印象に残ったのはアスカがエヴァから解放された時の姿だろう
日常パートでやけにアスカの寝ている姿、ちょっとはだけた姿があるなぁと思っていたが解放された後とのギャップを掴むためだったのかと思ってしまう。
エヴァに乗るアスカは軍人、パイロットとしての姿が印象的でありかっこよさの方が強かった。しかし、解放後の姿は一気に乙女、大人の女性としての姿、表情が垣間見え本来の女性としてのアスカはこうなのかと実感できた、乙女魔力ってすげえな
最後に、シンジ君は本当にすごい、ミサトさんはカッコいい
ゲンドウの動機が結局のところ人の本質的なもので、そこに物語としての驚きはなかった。
でも見終わってみて、なんだか心地良かった。
ありがとう、エヴァンゲリオン。
3月に見て記録するの忘れてた。
さようならエヴァ。宇部新川、出張で行ったな~懐かしい。
てかキャラが大人になってて、思ったより自分がダメージ食らってそれがショックだった。・・・みんな大人になるのよね。
マリちゃんが真のヒロインなの、真綾さん大勝利みたいでうれしい( ˘ω˘ )
ガチ勢じゃないからこれで十分満足。
映画には、観た後に生きる活力を与えてくれる作品がある。本作はそのような作品のひとつだろう。明日も生きようと思えた。
まだまだ謎なところも多くて、劇場ではそう何度も見に行けないから、多分配信で何度か見ることになるんだろうなぁ。BDボックスも出たら買いたくなるかも。
TV版、旧劇場版よりは心情描写とかが丁寧で分かりやすく、演出もカントクがやりたかった事がしっかりできたんだろうな、という印象。
これでエヴァの25年の旅は終わりかもしれないけど、でもエヴァとの付き合いはまだまだ続きそう。
とてもいい終わり方したと思う。
たぶんそう思うのはそもそもQから10年近く待たされた、テレビから20年以上経っているからという補正もあると思う。
アスカかわいかったしマリもかわいかったしサクラもいきなりヤンデレヒロインとして躍り出ていてめっちゃよかった。
予想以上にわかりやすく作ってあってすっきりした。
エヴァが青春って人間じゃないけど、これまでのシーンが流れたときに、あぁ本当に終わるんだなって感慨深くなって、エンドロールでエヴァに携わった人たちに想いを馳せてしまうと彼らの半生を見せられたような気分になって、なんだか涙が出そうになった。
ありがとう、さようなら。
映画タイトルの最後にある反復記号、これを見た瞬間に「あ、エヴァが終わるんだな」と直感した。PV であった「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」が納得できるストーリーだった。
個人的に碇ゲンドウの人間的側面が描かれていたのは本当に良かったなと感じた。あと、Q からあったミサトさんの違和感が納得できたのも良かった。今思い出しても泣けてくる。
考えるな感じ
1990年代を代表するエロゲ原作アニメがついに完結。
「|新世紀《ネオンジェネシス》エヴァンゲリオン」はロボットのエリートパイロットとなって、パイロット仲間の女の子たちや上官を攻略するという当時としてはわりとよくあるエロゲのひとつとして開発されました。
しかし、このゲームには大きな特徴、いえ問題があり、それが話題となって多くのファンの心をつかんでいったのです。
その問題とは、トゥルーエンドが存在しないこと。省略作画のイラストがあるだけで、とてもそれが本当のハッピーエンドとは思えないものだったのです。しかも、最後はバグって落ちて終わります。これが演出であるという説も出てきて大いに話題になりました。
また、トゥルーエンド以外のエンディングは胸糞が悪くなるようなものばかりでした。ひどい鬱ゲーです。
ゲームの開発元であるガイナックスは、「お詫びデータ」を配布。
さらに時は流れ、エヴァンゲリオンはガイナックスからカラーのものへ。そこで深刻なバグを改善するとするパッチの配布がありました。このパッチにより、ヒロインのひとりの名字は、「惣流」から「式波」に変わってしまいましたし、「お詫びデータ」に入っていた攻略可能な新キャラクタ「真希波・マリ・イラストリアス」は外見は可愛いメガネっ子なのに、中身は「謎すぎる昭和ババァ」でした…。
女の子たちはかわいいし、主人公は男の子にも好かれて、もうみんなから好きすきウェーブ浴びまくるなんだけど、みんな死ぬから話は暗い。
新世紀エヴァンゲリオンの旧劇場版では胸糞の悪くなるエンディングの数々をもとにストーリーが作られ、劇場に足を運んだファンは「本当のエンデイングくれぇ…」と弱々しくうめきました。
あれから幾星霜。いろいろあってえ、アニメ制作会社もガイナックスからカラーになった新劇場版では、綾波ルート、式波ルート、真希波ルートを合成したストーリーが展開され、ちゃんとしたエンディングを迎えます。
ちょっとこじんまりしてしまった感もありますが、きちんと風呂敷が畳まれるのは気持ちよいものですね。
Blu-ray版には劇場でも光線で隠されてしまっていた、ムフフなシーンが収録されるとのこと。楽しみですね。
なお、本作の陰の主人公は「槍《やり》」です。槍を衛星軌道上に投擲して「投げやり」を表現したり、「やり抜く」、「やり直す」「やりきる」など、槍言語といえるほどダブルミーニングしてくれました。乾いた笑い出たわ。
とそれらはさておき、新劇場版はエンタメ路線になったから、男にとって都合のいいお人形みたいな女しか登場してねえんじゃねえかとは疑えたよ。
痛みに満ちた旧劇場版のほうが私は好みかもしれない。
そして、気持ちよいエンドを求めるなら貞本漫画エヴァが最高。ちゃんと自立して終るし、誰にも縋らない。ホント、普通に最高。
前半が最高で後半がグダるのがエヴァンゲリオンの伝統といえば、本作はその伝統を受け継いで、総決算してくれたとも言えるかも。
戦闘シーンが高速すぎて見えなかったです。たぶん意図的。尺の問題かもしれないけど、スピーディーではなく雑な感じがしました。
確実にネタバレになりますが、式波さんは惣流さんとは別設定で、式波シリーズのひとりだったんですね。新劇場版だけ別世界。そして、新劇場版以外で惣流さんがやった役割を昭和ババァである真希波さんがやったと。そんな必要あった!?
でも、メガネっ子大好きなので、私はマリ派なんだよ。たぶん、これが全て…。
新劇場版エヴァはTV版と設定がいろいろ違っている
つまり旧版の設定はいいかげんで、やっぱり、そのままでは完結しなかったということではないかなと思う。後付設定でゴリ押ししたところは感じた…。
「ゼーレ」は人類ではなく、人類に知性を与えた高次元の存在(オカルト…)
「碇」ゲンドウはもとより「碇」ゲンドウで「六分儀」姓であったことはない。
「碇」ユイの旧姓は「綾波」であり、後の綾波レイのオリジナルとなった存在。ゼーレの遺物であるエヴァへのダイレクトエントリー実験を発案し、自分で実行してエヴァに取り込まれた。エヴァと一体化してからは半ば高次元の存在っぽい。碇シンジが特殊な存在になっているのは、母親がエヴァに取り込まれているから(という設定は新劇場版以前にもあったが、より明確化された)。
「綾波レイ」は「綾波ユイ」のコピー品でエヴァンゲリオンを動かすための部品のひとつ(たぶん「チルドレン」ってそういう意味)。ゲンドウ的にはユイのコピ―ではダメだったっぽい。劣化コピーだったのか…。
「式波」アスカラングレーが「惣流」であったことはない。綾波レイと同様にエヴァンゲリオンを動かすための部品。式波シリーズのひとつ。
新劇場版のキャラクタでいちばん大きな設定変更ではないかな。姿形は同じでも旧劇場版やテレビシリーズとは別人。クソ分かりにくいし、物語(を終わらすこと)のために捻じ曲げられた不自然さがいちばん出ている。ケンスケとくっつくのも謎なんだよな。そんな伏線あった? 新劇場版の犠牲者だと思う。メタな意味で可哀想なキャラクタ。
真希波マリ・イラストリアスは碇ゲンドウやユイの同級生でババァ。なぜ年をとらないかというのは劇中では明示的には語られていなかったと思うが、ゼーレの技術っぽい(?)。
碇シンジはゲンドウとユイの間にうまれた子。他のチルドレンはホムンクルスっぽいが、碇シンジは普通に人間。ユイがエヴァに取り込まれ後天的にゼーレっぽい存在になったことで、彼女の子であるシンジは特別の存在となってしまった。エヴァを通して高次元の世界に行ける(ああ…)。無限に近くエヴァにシンクロできた。「神と子と精霊」というトリニティのあれでいうと、神の子であるキリストとなった存在。ここでいう神は「ユイを取り込んだエヴァ」ということになる。
碇シンジが人のままで人類を補完したことで、世界はめでたしめでたしになった。だってキリストってぜんぶ救ったでしょ、って。
※この感想は大いにネタバレを含みます
未履修状態から1日で新劇場版3部作見てシンエヴァ見た!
すごかったけど…1/3もわからへん……
シンジがずっと不貞腐れて外を拒絶するの、中学生だということを加味すると十分わかる行動ではあるんだよね。その中で(過去の)同級生が日常として働いて、何かの責任を負うということを理解していく…。特に医者として人の命を救うだけじゃなく失った時の責任についても。…というか診療所の先生って当時中学生から14年で1診療所の主治医ってすごくね!?と思ったが仮設村での真似事なんだね〜独学でも十分すごいけど。
アスカさん、ママ?これもう母でしょ、放っときかたがもう完全に理解者のそれ、叱り方も、。
エヴァに乗ることを決意したところでミサトさんが助け舟を出す、というより、シンジがずっと悩んでいたサードの責任について拾う。世界を実際に救ってるし、作戦責任者は私だと。成した事に対しての責任を背負う、ミサトさんは立派に母親をやってるんだ…。
正直後半がアホほどわからん…。
ゲンドウは母の復活…いや復活とは違う感じの…何?周知?生活?みたいなのを望んで人類補完計画をやってたぽい。人類補完計画は元々4thまでやるつもりだった。というかシンジくんも散々子供ぽいところを見せられてきたけどその親であるゲンドウはそれと同レベルで子供のような理想と感情で計画を実現しようとしていたんだね〜
そもそも冬月司令は冬月教授で碇ゲンドウも綾波母も、なんなら真希波も従事してたの!?将棋のシーンは参謀家であることの示唆でもあったのかな〜と今更ながら。
その上渚カヲルくんは第一の使徒で最後の使徒であるだけじゃなくてリョウジの時代(別支部?)の上司だった!?その上なんかループしてる感じ?新劇場版と旧作の世界線の記憶継承みたいな感じ?いや見てないから知らんけど…
しかもたぶんこれかなりゼーレの幹部に食い込んだ立ち位置の存在だったぽい。
式波型って呼ばれてるけど新劇場版では式波の名は捨てて惣流アスカラングレーさんじゃなかった?どっちがどっちだっけ…なんにせよ眼帯アスカは参号機アスカのバックアップだったから生きてただけで暴走時に蘇生できたわけではなさそうね…。
セカンドチルドレンは全部人造だから年を取らなくて記憶継承がある?
真希波マリイラストリアスさんはね〜!かわいいね〜…。エヴァヒロインでは一番好きだったけど一番好きなキャラに格上げしてしまった〜♥
最終局面の今までの場面を反芻/投影しながら過去と決別をつけていくシーン、これは本当に、「アニメーションだからこそ可能」なメタ描写も大いに含まれていたし、更に言うなら「年月をかけたアニメ」の最終場面だからこそ出来る重みと感動があった。
全てのエヴァに、さようなら。エヴァが結局どういうルーツによって発生したものなのか、細かい部分はブラックボックスのままな気がするな…まああんまりわからなくても楽しめるけど…。なんで全部破壊したのかとか使徒が契約により生じるなら何かの意図が存在するのか…なんかこの辺は用語を見る感じ聖書関係な気がするから普通に知識いるやつだと思って識者に任せますが…。
例によって一回観ただけだと半分くらいしかわからなかったけど、それでもパッションは伝わってくるので面白いし、公式の設定とかしっかり理解した上で(多分描写されてない設定がアホほどある)再度見たいと思うような映画だった。
20年近く続いてきたデッケ〜設定のアニメの締めとしてはかなりキレイな部類に感じた。
感情を適切に表現する言葉が見当たらない
ストーリーは大人になること、生命や生きることの物語として咀嚼したが、具体的なところまではまだ落とし込めてない。けれど、らしさが存分にありつつも綺麗に終わったと思うしとても良かった。
一番良かったのは映像。
パリでの戦闘シーンで回転しながら映されるエヴァンゲリオンは圧巻だった。
ネルフエヴァンゲリオンの圧倒的な数やエキセントリックにカスタムされた姿には禍々しさすらあった。
初号機と13号機の戦闘で、エクスアームを思い出すようなクオリティになった時は冷や冷やしたけれど演出の一貫と分かったときは本当に安心した。
特撮の撮影スタジオのような場面になった時にも、カヲル君が人間だけが虚構云々言っていただけに劇中劇オチというネルフやゼーレの掌の上どころか庵野秀明の掌の上に自分はあったりするんじゃないかと過ぎったりもした。そこも含めてらしさに溢れていて、色んな感情が生まれた、良かった。とりあえずそのうちもう一回。
思うところはたくさんあるけど、オス一匹のペンペンかま繁殖してるのどうしてなの
本当に終わるのか?と誰もが思っていたエヴァが、
思いのほかキレイにハッキリスッキリ終わった。
Qで描ききれてなかった (←ワザと?) 謎や不満、旧劇場版の内容までしっかり回収していて文句無しです。
最終的なカップリング (と言っていいのか) と最後の舞台には少しびっくり。え、そこに落ち着くの?みたいな…。
テレビ版からほぼリアルタイムで追いかけてきた長い物語が終わった。ありがとうエヴァンゲリオン。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。
初めてエヴァを観たのは自分がシンジと同い年の14歳の頃。そこからもう14年。奇しくも作中で経過した年月も14年。
ずっとシリーズを熱心に追い続けていたわけでもなかったけど、スタッフロールが流れ本作を見終わった時に湧き上がった喪失感が自分にとってエヴァンゲリオンというコンテンツが特別だったのだと改めて気付かせてくれた。
エヴァの集大成として、素晴らしかった!
ありがとう!
終劇
さようなら
音も作画も良かった!!
内容は見る前に今までの考察や解説を見てきたおかげであーなるほどなるほど!!ってなったのでそういうの見た方がより楽しめるのではないかと思う
内容というかで女性陣がとにかくカッコイイ!!
アスカもミサトさんも出てくる女性陣が強くカッコイイ女性でとても素敵なんですよ!!
そして音楽のとこってかは戦闘のBGMがかかってからのネルフに攻めるとこはもう心が踊る
あの何回も聞いた曲だけどきたああああってなる
あと作画とか色々おいおいそこらじゅうの会社関わってんじゃんさすがだなーと思ったけど
これもしかして期間長すぎてみんな転職とかして今の会社みたいな感じなのかな?w
もう思ったことをとりあえず書いた訳の分からない感想のような駄文でした
映像と音の暴力。二時間超えの長丁場を退屈する暇もなく最後まで楽しめた。
相変わらずよく咀嚼しないと飲み込めない話だったが、新劇場版の雰囲気とTV及び旧劇場版の雰囲気が両方感じられる、エヴァの集大成に相応しいものだったと思う。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン!
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
ネタバレが入りまくり!
これまで描いてきたシンジは親からの抑圧によって歪んだ子供でそこからは抜け出せていなかったように思う。あくまでも子供のまま
本作で遂にシンジは成長を果たし親からの抑圧を対話によって解決。自分だけでなく親のしてきたことの落とし前もつけた
「子が親にできるのは肩を叩くか殺すか」という劇中の言葉を借りると肩を叩いた形になる
シンジがそうして子供を脱したその結果として最後のシーンが描かれたのかなと思った
キラキラしていてらしくないなとも少し感じたけど、作品として一つの落とし所だと思う
Qまでのシンジは自明に保護者を求めていて、父のゲンドウは論外、母はおらずそのクローンたる綾波との関係は更に歪んだものだった
期待できそうだったミサトさんも保護者になれそうだったが結局なりきれなかった
子供をやむを得ず初号機に乗せなければいけない立場もあったし、破で「行きなさい!シンジ君!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」って言ったもののその後Qで冷たかったのも象徴的
それが本作ではトウジやらケンスケやらの友達が友達であると同時に保護者としての役割も果たし
ミサトさんも最終的には贖罪込でそうした役割に立った(その時のシンジはもう強くなっていたけど)
一方でゲンドウは結局子供のまま、他者や社会、そして自分の子をも恐れたまま大人になってしまった
(とはいえ最後にシンジと対話したことで成長したとは思うけど)
ゲンドウの大人になっても変わらなかった精神構造はエヴァアニメ放送当時から社会問題とされていたオタク的な若者のそれそのものであるように思えた
個人的にはあまりにリアリティのあるあの独白のシーンを見た時にエヴァは旧ガイナックスもといオタクたちが創り上げた作品だと痛感した
同時に自分がその当事者の捻くれたオタクとして、当事者として視聴できたことはある意味では喜ばしいことなのかも...
逆に映画館に彼女連れでくるようなキラキラした青春を謳歌してきた人には真には伝わらないのかも?僕は正直伝わっていないほうが嬉しい
こういうこと書いてないで僕も成長すべきなんだろうけど
なんなら成長して抜け出した立場(≒シンジ)として視聴できていればよかった
社会現象を起こしたアニメの終劇として役割を果たした良いアニメだった
僕としてはここまで書いたように歪んだ子供とかそういう点の成り行きを楽しんで見てきたけど、宗教的な設定をそこに絡めてSF的な重厚さを纏わせているのは外連味込みでやっぱり庵野監督はすごい
他、雑多な感想
・序盤はそれこそ3.11を受けての内容?書きたいものがストレートに伝わったし、そこまで違和感なく本筋に接続していた
・親子関係を暴力じゃなくて対話で決着をつけたのはそうあるべきだというメッセージ?でも暴力で解決するのも物語として収まりが悪いよね
・シンジゲンドウの戦闘において出てきたLCLが構築した世界の中での市街戦のカットについて、あれはエヴァとして最後にもう一回あのシーンを書きたかったのでは?と思った
ミサトさんの家の中での戦闘はまさに親子喧嘩といったところ
・クレジットに第三村のモーションキャプチャへの記載があった。稲作シーンとかはキャプチャ→部分トレスみたいなことしてったんだろうな(新しい時代)
・アスカがシンジにレーション食べさせるカットの作画というかカメラワークはキレすぎ
・綾波(綾波じゃない)(やっぱり綾波)がやたらかわいい。人間性の獲得がよかった
・マリとアスカの戦闘は『トップをねらえ』がやりたかった?
・ヒカリがQの高圧的な態度の内に秘めた申し訳無さを噴き出させるかのようなシーンは好きだけど急に朝ドラみたいになってた
・クレジットに僕の地元の天浜線!
・途中原画出してきたのは何の意図?アニメの向こうに製作者が存在することの示唆?
撮影スタジオ風のところからカオルや綾波を送りだしていったところ含めて演出された世界であるということ?いや後者は内省的なシーンであることの表現か
TV本放映から追って25年余り。今回の結末が一番納得できた。最高。
主要キャラには全員結末や決着が描かれており、自分としては腑に落ちる内容でもあった。
ゲンドウにそこまで語らせるのか?ってのは思ったけど、やっと本心を息子に対していえた感じだった。シンジのほうが最終的に大人になった感じだった。
ゲンドウは当初から目的に関してはブレなかったなぁ。
アスカが式波だった理由もわかった。救いもあったし。
トウジ、ケンスケ良い奴だなぁ。アスカもああいう態度だったけど、彼女なりの優しさだったようにも最後は思った。
もう書きたいこと山程あるんだけど、本当に最高の締めだった。
ありがとうございました。
アニメシリーズ、旧劇ときて3つ(Thrice)目の終わりを迎えた本作。
その役割、タイトルに恥じない、9年待ったかいのある重厚な作品でした、新世紀には存在しない視聴者だけが抱くエヴァへの喪失感を胸に、さようなら。
また会う日まで。
TVアニメ版、旧劇場版、新劇版、そのすべてをまとめ上げた本作。期待値はもとよりいろんな期待を一身に背負った終わらせ方として非常に良い終わり方だったと思う。人によってはきっと気に入らない人もいるだろうけど、私はこれでよかった。満足した!ありがとう
終わったんだな…。終わりを見ることができて良かった。
さようなら
トゥルーエンドではあるけれど、好みのエンドではなかった。
ぶっちゃけよく解らん
※ネタバレあり※
劇的なクライマックスを予想していたけど, 案外あっけなく終わってしまった感。
旧劇場版の時もそうだったけど, あの精神描写はなんとなく苦手だな。よくわからない。
実写とか原画のような描写とかTV版のタイトルとかを作中に取り入れるのは, エヴァの世界観から急激に現実世界に引き戻されて没入感が減ってしまうので私は好きになれない。
ヴンダーの出自とか, Qでは謎だった要素の一部が解明されたのは良かったけど, ニアサードインパクトを加持が止めた時の様子とか, アスカが左目に使徒を封印した経緯とか, 破の最後の「次回予告」にあった内容とか, そういった比較的"謎"な経緯の描写が新劇場版全編を通してなかったのは残念。
作品の内容的には旧劇場版と重なるシーンが幾つもあって, 作品タイトルの「 𝄇 」の通りこれまでの経緯を含めての「やり直し」なのかなと感じている。
貞本エヴァと方向性は似ている気がする。観終わった直後はちょっと物足りないような気がして「9年待ってこれかぁ」と思ったけど, ちょっと見返すとこれはこれでエヴァらしい良い終わり方かとある意味納得した。
エヴァは救いのない物語かと思っていたけど, しこりは残るもののTV版と旧劇場版を通して大局的にはハッピーエンドな物語であったことはちょっと意外だった。
みんなそれぞれの生命体に戻って良かったね。
とりあえず劇場で視聴。細かい所はBD買って見ます。
冬月先生にゲンドウのフォローをさせといて結局動機が「ユイに会いたい」だったのはなんだかなって感じ。
いきなり葛城博士のおかげってのも
もう一回見てから、ちゃんと感想書きたいと思う