東映アニメの、それも「プリキュアシリーズ」のスタッフがトップに立っていることもあってか、内容は基本的に王道かつライト。
特に主人公である、陸上部の伊純がわだかまりを乗り越え成長していくストーリーなどシンプル故に心に響く部分もあり、昨今の大人向けアニメとはまた違った直球の面白さがある。
約100分?の短時間で物語を進めるために用意されたであろう「現実世界の人々と心を共有する時の谷の住人『同位体』」が各キャラの心情を解説してくれるおかげで、ストーリーにおいていかれることもない。
作画は全体にハイレベル。特に黒星紅白のキャラクターデザインの再現度の高さには驚いた。
「時の谷」のビジュアルも、「ポポロクロイス物語」的なファンタジックかつファンシーな感じを出していてグッド。
数は少ないがアクションシーンもなかなか。
そしてプリキュアシリーズで培ったであろうノウハウを活かした3DCGのダンスシーンは素直にいい出来。伊純ら5人のキレのあるダンスシーンもそうだが、前半にあるポッピン族のダンスも見所。カワイイ2頭身キャラが、ちゃんと「踊っている」。これは他のダンスアニメでは見れない光景だろう。
ここからは問題点。
ストーリーは先程「シンプル」と評したが、正直に言うと「薄っぺらい」感は否めない。展開は早目でトントン進むのは良いのだが、その分一つ一つのエピソードは薄い。まるで総集編映画のようだ。
「悩みやわだかまりを抱えた5人の少女」とは言ったが、明確にそれが描かれているのは主人公の伊純だけ。他3名はなんとなく冒頭で示された以上の深さはなく、キーパーソンである沙紀に関しても引っ張っておいて、結局「同位体のルピイに全部解説させる」という浅い掘り下げで済ませてしまう。
それも「沙紀はダンスが好きだったけど、その腕前を妬まれ孤立しダンスからも背を向けてしまった」と1行で説明できるような薄さ。肩透かし感は強かった。
中盤の4人の団結もなぁなぁに済ませてしまっていて、「伊純の熱意がチームを纏めた」というシーンを作りたかったのだろうが、なんか軽い。
また、「ポッピン族(同位体)は5人の少女と心を共有している」という設定も、解説には便利だが都合良く使われている感も否めない。特にラスト、ポコンが伊純の心を本当に読めるなら、あのリアクションは変だ。
また、予告でも強調されていた「ダンス」の要素だが、これが中盤以降は浮いてくる。時の谷を支配する黒幕の居城で活躍するのは少女たちが時の谷で手に入れた特殊能力だし、ラストも黒幕との決着をつけるのはフィジカルなバトルだ。ダンスは「黒幕を倒した後の『ついで』」感がある。
極端な話、本作から「ダンス」を抜いても物語は成立する。
だが、何より気になったのは全く告知されていなかった「『次回作』への伏線」。全くのオリジナルタイトルで、いきなり次回作の構想込みというのはいささか蛮勇と言わざるをえないし、見ている側としてももやもやする。結局意味深な言葉だけ残して消えたレノとか、「いつ再登場するんだろう」と思ったら結局最後まで(時の谷においては)登場せず、その思惑も語られなかったのでひたすらモヤモヤした。
エンディング後の映像を見るに「レノの正体は『次回作』で」という構想だろう。手法は理解できるがモヤモヤは晴れない。
決してつまらなくはないのだが、ストーリーの薄っぺらさと欲張りな「次回作」への伏線のせいで素直に楽しめなかった一作。面白くなりそうな素地はあっただけに、料理の下手さが悔やまれる。
「少年と少女のひと夏の冒険」という、エンタメ映画の王道を行く筋書きの作品。「ぼくらのウォーゲーム」「サマーウォーズ」など多くのヒット作の礎になった筋書きであり、本作はそこに「魔法」というエッセンスを加えた作品となっている。
シナリオ作りも奇をてらわない直球勝負で、同じくこの手の冒険エンタメ映画にありがちな「愛と勇気の物語」に仕上がっている。
ヨヨとタカヒロの冒険は笑いと楽しさにあふれていて見ていて楽しい。魔法の描写や細かなキャラクターの動きはufotableの本領発揮と言えるいい出来だし、決して悪い出来ではなく、監督が言ったように「子供でも見れる(いい意味で)」し、大人が見ても発見のある作品に仕上がっている。
しかし、細かい部分を見ると粗と既視感が目につく印象で、その積み重ねが個人的に得点を落とす要因になってしまった。
本作は原作こそあるものの「原作の名前を借りたオリジナルストーリー」なのだが、全体的に「原作付きTVアニメの劇場版」とでも言える作りになっていると感じた。
冒頭から物語はポンポン進み、一気に「魔の国」への現実世界の侵食、ヨヨの現実世界への転移などが矢継ぎ早に行われる。その中で本作の専門用語も次々登場し、混乱してしまう。しかもそれらに関する細かな解説は最後まで行われない。
要するに「(正確にはTV版などないが)TV版を知ってること前提で、見に来る人はファンだから説明はおざなりでも平気だよね」というアニメ映画によくある作りに似ているのだ。
テンポの良さは大事だが、本作に関してはやや飛ばしすぎている印象。もう少し説明に尺を割いても大丈夫だろうと思った。
ストーリーも王道だが、ひねりがなく伏線も弱い。ちょっと頭を働かせれば「亜紀がヨヨの絵本を知っていること」「亜紀の『ヨヨ『も』魔法使いなんだ』という台詞」から「亜紀の両親が魔の国の関係者で、物語の核心に関わってくるだろう」ということは序盤から予想できるし、ストーリーは最初から最後まで「予想の範疇」を出ることがない。
また説明不足は中盤以降も深刻で、おヨネの「12年前の魔法(現実世界へ転移する魔法陣)がまだ残っていたか」という台詞の意味や「石が暴走することでなぜ現実世界と魔の国が繋がるのか」「亜紀の父は『願いを叶える魔法をゲームに応用した』と語ったがどういうシステムだったのか」「なぜ、『利己的な願い』を望んだ人間は魔物に変わったのか」「石を守っていた謎のロボットはどこから来たのか」「ビハクの鈴が割れるとなぜ巨大に変わったのか」など、物語の核心に係る事実さえ曖昧なまま物語は突っ走っていく。
この手の話にあまり理屈を求めるのも酷だとは思うが、個人的には減点対象。この一種の「ご都合主義」的な流れを許せるかで、点数が変わってくるだろう。
クライマックスに関してはリアルタイムで見ている時は燃えたが、「『ゲーム』が物語の鍵となる」「最後は大勢の名もなき人達の『思いやりの願い』が主人公を救う」など、「サマーウォーズ」との類似点が多く、そこが気になってしまった。
また、タイトルには「ヨヨとネネ」とあるのだが、これは詐欺。活躍するのはヨヨばかりで、ネネは魔の国で水晶球とケータイ越しにヨヨやタカヒロと話をするばかり。タイトルが本当だったのは序盤の水の化物との戦いと、クライマックスだけだ。
つまらないわけではないが、個人的には所々にある粗が目についてしまい、高得点はつけられなかった。「細かいことは気にしない」タイプの人なら、もっと高得点になるかも。
「青春の影」やTV版にあった「影」は抑えめで、夢に向かうWUGの明るい姿、I-1のセンターを追われた志保の、I-1から派生した新ユニット「ネクストストーム」での活動、志保に勝ちI-1センターの座を奪いながらも、その重圧に押しつぶされそうになりながら耐える萌歌など、WUG以外の「再起」も描いている。
この展開はTV版、そして前作「青春の影」からの総決算らしくて楽しめた。終盤、アイドルの祭典で夢に向かい頑張ってきた少女たちが一堂に会し、雌雄を決するラストは特にグッと来る。
また、TV版、前作とWUGメンバーの中では印象の薄さが否めなかった菜々美に焦点を当てたのも良かった。
しかし内容自体は申し分ないのだが、尺の短さとエピソードの詰め込みが嫌な相乗効果を起こして、一個一個のエピソードが薄味になっているのはいただけない。各エピソードは掘り下げればもっと面白くなりそうなのに、尺が短いせいで、主軸となる「WUGの『アイドルの祭典』に向けての活動」「光塚とWUGの間で気持ちが揺れる菜々美」などのエピソード以外は印象が薄くなってしまっている。
53分は濃密な内容を描き切るには短すぎるし、特にアイドルアニメの華といえるライブシーンが犠牲になってしまっているのは痛い。
ライブシーンはアニメ的にわかりやすい見所でもあるし、WUGの活動の集大成でもある。そこをぶつ切りにしてしまうのはいかがなものか。
あと、TV版からずいぶん丸くなった丹下は評価したいのだが、最後まで持ち逃げに関して何も謝らなかったことにはモヤモヤ。バーでは勝子と丹下のやりとりで「私達と同じで(WUGも)生命力が強いってことかな」となんか美談っぽく落とそうとしていたが、全然美談ではない。申し訳なく思うなら一回くらいは頭を下げろ!
それが出来ないなら「間接的に丹下の持ち逃げの原因になった勝子が罪の意識を感じてWUGに謝って…」という展開にも出来たはずだ。
作画も最後まで「汚くはないが綺麗とは言えない」微妙なクオリティから脱することはできなかった。ライブシーンを除いても「アイマス輝きの向こう側へ」「劇場版ラブライブ」など同じ劇場版アイドルアニメと比較してしまうと無視できない差が浮き彫りになる。
「青春の影」のレビューでも書いたが、本作はなにかと「山本寛」という名前だけで嫌な先入観を持たれがちだし、主流のアイドルアニメに比べると総合点では劣ることも確か。しかし決して駄作と言えるほどの低クオリティではなく、見るべきところは確かにあるし、こういう「主流から外れた『異端』」があってもいいとは思う。
だが、やはり最後まで、TV版、前作も含めて「あと一歩」感は否めなかった。面白いのだが、素直に「面白い!」と断言できるようなクオリティにはあと一歩及ばない。そんな「惜しさ」がつきまとう作品だった。
本作を最後にその活動を停止したシリーズだが、ここで終わってしまうには惜しい。是非、本作のサブタイのように「Beyond The bottom(どん底を越えて)」して、再びアイマスやアイカツなど「正道」のアイドルアニメと戦ってほしいものだ。
友人たちと二度目の鑑賞。
展開にいちいちコメントを入れながらみんなでワイワイ見るのも、一人で映画館で見るのとはまた違った面白さがある。
二度目の鑑賞にもなると、一度目に見えてこなかったものがいろいろ見えてくる。今回も楽しめたが、前回と違って明確に気になったのが「『過程』を描くことがおろそか」ということだ。理屈よりも「こういう画を、こういうシーンを作りたい」という感情が先行しているように感じた。
例えば前半のNYでのμ'sの行動。
シーンの一つ一つは面白いのだが、後半に尺を割きたいこともあってか、「繋がり」として見ると疑問を浮かべるような部分があるし、「どうしてそのシーンに至ったのか?」という過程が飛んでいるところもある。
タイムズ・スクエアで行われる「Angelic Angel」のライブシーンはまさにそうで、ライブ自体は素晴らしいのだが、そこに至るまでがバッサリ抜けている。
(劇中の)ラブライブ運営サイドから「NYでライブをしてラブライブにハクをつけて」というお願いを受けた、という理由付けは冒頭でされているが、そこまでにあったはずの「ライブに最適な場所を探す」という過程がなかったかのように無視されている。
凛の「この街は何かアキバに似てるよね!」という言葉も凛の説明もあって理屈はわかるのだが「そんなに言うほどNYの住人と接したか?」と思ってしまう。
この「過程をすっ飛ばす」という悪癖を強く感じたのが、クライマックスのスクールアイドルを集め、アキバを貸し切っての一大ライブ。クライマックスの展開としてはこれ以上なくいいのだが、ここはよく考えなくても変だ。
まず、μ'sはスターになったとはいえ、彼女らは所詮学生にすぎないし資金力を持ってもいない。スクールアイドルの先駆けといえるA-RISEの助力があったとはいえ、アキバを丸ごと使えるほどの力は絶対に持っていないだろう。かなり非現実的なシーンになってしまっている。
アキバ一帯を貸し切るなんて、それこそラブライブ運営が目指していた「ドームでライブを開催する」よりも非現実的ではないだろうか?ドームはスケジュールを押さえれば使えるだろうが、秋葉原は生活圏で交通路もある。そこをセットの設営などで何日も潰せる、というのは無理があるだろう。
更に、劇中でも主に三年生組に「もう時間がない」と言わせているにも関わらず、「各校のスクールアイドルを集める」「アキバライブ用の新曲を作る」「ライブ用の振り付けを考え、しかもそれがライブに参加する全員に行き渡っている」「ステージを作り上げる」という作業が全て完了しているのもご都合主義感がある。μ'sとA-RISEの会話を聞く限り衣装はありあわせで間に合わせたようだが、それでもこれだけのことを短期間にこなしたなら、「殺人的」という形容すら生ぬるい超過酷スケジュールになってしまうだろう。
「最高」だの「最悪」だの同じラブライバーの中でも賛否が割れる一作ではあるが、個人的には「そこまで持ち上げられる作品でも、貶められるような作品でもない」というのが素直な感想。
ただ、僕のような理屈重視(笑)で作品を見る人にはちょっとモヤッとするところはあるかもしれない。こういう理屈を「些事」と割り切れるような人であれば、もっと評価は上がるかも。
TV版ももう3年前なので細かい展開は忘れてしまっていたが、大筋はわかっていたし、本作特有のノリは見ている内に思い出せた。チームラビッツのザンネンさと、そのザンネンさからくるどこか「しまらない」感じは相変わらずで安心させられる。
「イズルが欠けたチームの面々が彼の復活を祈りながらも、今度は『イズルにとってのヒーロー』になろうと奮戦する」というストーリーの流れも悪くなく、チームラビッツのメンバーやゴディニオンのクルーなど、主要人物たちにちゃんと見せ場が用意されているのはグッド。特にイズルの欠けた穴を埋めるべく、リーダーとして一生懸命振る舞おうとするアサギや、いつものブチギレ芸を見せながらもチームを思いやる一面を垣間見せたアンジュはカッコいい。
だがストーリーよりも何よりも、見るべきはTV版から更に進化したアッシュ(ロボット)のフルCGアクション!「コードギアス 亡国のアキト」でも神がかったアクションシーンを描いたオレンジの手がける各アッシュのスピード感・躍動感に溢れた超絶アクションにはとにかく脱帽。
TV版と同じく速すぎて何をやってるかわからない部分もあるものの、どのアッシュも時にダイナミックな、時に精緻な動きを見せてくれるので見ていて飽きない。レッドファイブのビル群の隙間を抜けながらの高速戦や、敵に吹き飛ばされて地面を転がるなど細かいシーンにも不自然さがなく、この品質の3Dアクションを劇場で見られるというだけでお金を払う価値がある、と言ってもいいほど。
ここからは気になった所。
ストーリーは面白いところもあるが、TV版と違ってウルガル側の人物とのドラマがないことに加え、上映時間もあってやや薄味で、圧縮されている感がある。特に前半はTV版の回想(オペレーション・ヘブンズゲート後半~イズルとジアートの決戦)にも時間を割いているので、圧縮具合に拍車をかけている。
TV版の頃からMJPにストーリー面での「深さ」はあまり求められていなかったのでファンとしてそこまでがっかりしたわけではないのだが、コレの割りを食ってチームフォーンら新メンバーがあまり活躍できなかったのは残念。彼らは鳴り物入りで登場したにも関わらず掘り下げが足りず、活躍も少ない。一言で言えば彼らはディオルナの噛ませ犬でしかなく、後はドーベルマンのメンバーとともに無名のウルガル兵を倒していただけだ。ちょっとかわいそうな気がする。
前半の回想シーンはジアートvsイズルの戦いをスクリーンで見れたのは良かったが、このあたりは削ってもう少しチームフォーンの面々の掘り下げに当てても良かった気がするし、最終盤でラビッツの支援に駆けつけるぐらいの見せ場はあっても良かった気がする。
また戦闘シーンは基本素晴らしいのだが、一部カメラワークが遠すぎて「もっと細かいアクションが見たいのに、見れない」シーンがあったのも惜しいところ。
更に言えば、せっかくフルバーストモードでの戦闘を披露したブルーワンがディオルナに瞬殺されてしまうのも個人的には不満。もっとあのアクションが見たかった…。
進化したオレンジのアクションをスクリーンで見れただけでも大満足な映画。さらなる進化を遂げたオレンジの超絶アクションをスクリーンで堪能しよう。
全体的にシナリオの出来はよく、前~中盤の群像劇パートから後半の盛り上がりという序破急の流れはしっかりしているし、性急さも退屈さも感じることはなくいいペースで、安定して進んでいく。
メインキャラの感情は魅力ある描き方をされていて、「不快」「ウザい」キャラはいないし、キャラクター性も一貫していて好感が持てる。人間関係もわかりやすく、不器用な少年少女がぶつかり合い、すれ違いながら団結していくドラマ部分はきちんと「青春」している。
そして中盤以降、クラス全体でミュージカルに取り組むことになってからはミュージカルを軸に4人の実行委員とクラス団結を描きつつ、順と拓実の関係を描いていくのだが、このミュージカルシーンに合わせたクライマックスの構成には唸らされた。
プロローグで幼少期の順が犯した過ちからはじまり、物語の根幹には「言葉」というテーマがある。「言葉に出さなければ感情は伝わらない」という普遍的なテーマなのだが、これもきちんとブレずに一貫している。
中盤、罵り合う野球部の面々に叫んだ順の「言葉で傷ついたものは元には戻らない」という台詞や中学時代の順と菜月の恋愛関係解消の理由など、物語の重要な部分で「言葉」が大事な意味を持つ。
そしてクライマックスの展開だが、ここにひとひねりがある。幼いころのトラウマが原因で「喋ること」を封じられたヒロイン、成瀬順と、物静かで何事にも関心を見せない坂上拓実が、高校の地域交流会をきっかけに接近し、紆余曲折を経てトラウマを克服し結ばれる…というのが公開前の情報を見聞きした多くの人の想像する大筋だろうが、そこは歴戦のスタッフ、そんな陳腐な物語で終わるはずもなかった。
このクライマックスが本作を単なる「甘酸っぱい青春ドラマ」に終わらせない大きな要素となっている。
個人的には、このクライマックスで本作の評価が上がった。
美術の出来もよく、田舎町の空気感であるとか、高校の描写はいかにもな「それっぽさ」があり作品の雰囲気作りに貢献している。
しいて突っ込みどころがあるなら、青春ドラマゆえ致し方ないが若干「物語がキレイすぎる」のは人によっては気になるか。
「理不尽な故障で甲子園の夢を絶たれてやさぐれている」という理由があるとはいえ若干改心が早すぎる感のある大樹もそうだし、順の必死な姿勢を通じてのクラスの団結もややご都合主義な感はある。
しかし、シナリオの全体の出来の良さに比べれば大した問題ではないというのが個人的な感想。
総合すると、美術、音楽、シナリオといい所を押さえた名作。
アニヲタでない人も楽しめるはず。
TV版に登場した後輩組の成長と活躍や、新たに登場する「ミールに依らず、自ら存在することを選んだフェストゥム」来主操とボレアリオスミールとの対話、相変わらずかっこいい大人たち、そして春日井甲洋の竜宮島への帰還など、ファンにとっての見所は多い。
特に操はTV版にはなかった個性の持ち主で、「総士の意志に共感して存在することを選び、人間のような反応を見せる」「だがその意志は憎しみを学んだボレアリオスミールからの指令に縛られており、『フェストゥムの『神』たるミールの意志』と『『来主操』という存在としての意思』の板挟みになる」という面白いキャラクター。この物語は、人間サイドだけでなく「来主操の成長物語」としての側面もある。
シリーズからの続投キャラクターの成長も、見ていて微笑ましいしかっこいい。特に弱気な変性意識を乗り越え、名実ともに「頼れる先輩」となった剣司、すっかり竜宮島に染まってかわいくなり、戦いでは相変わらずの勇猛っぷりでファンを安心させるカノンなどは、TV版の姿を知っているだけに「成長したなぁ…」と思わせる。
TV版では芹以外いまいちスポットが当たらなかった後輩組も、戦いでは果敢な活躍を見せる。特に第2次蒼穹作戦での活躍は、先輩組に勝るとも劣らない。
そして最終局面での操と一騎の激突、意外な「ある人物」のアルヴィスへの帰還、そしてボレアリオスミールとの戦いと対話は、クライマックスを飾るに相応しい盛り上がり。特にラストシーン、雲海の上で黄金色の空を背景に対峙するマークニヒト(操)とマークザイン(一騎)は、BGMも相まって「劇場で見たかった!」と思わせる荘厳さだった。
オレンジの魅せる3Dの戦闘シーンは素晴らしい。
最初のマークザイン出撃→戦闘→そして先輩チームの華麗なチームワークによる戦いは一気に引き込まれる魅力がある。その後ちょいちょい挟まれる後輩組の戦い、そしてラストバトルである第2次蒼穹作戦と、非常に燃える。
ここからは問題点。
物語は全体的にスピードが早く、掘り下げが浅いまま進んでいく感がある。もともとファンしか見ない映画と割り切って細かい説明は省いたのかもしれないが、ファンからしてもやや詰め込んでいる感じがする。
特に後輩組のキャラの薄さは深刻で、先輩組と操に出番をかなり奪われている。後輩組は一応TV版にも出演していたのだが、出番は少なく、特に西尾姉弟は名有りのモブクラスの出番だったため、実質的には新キャラのようなものだ。それにも関わらず、辛うじて行美の口からバックボーンとゼロファフナーとの関連が語られるくらいで、中盤の戦闘シーンまで目立つ場面が殆どない。「かつて両親を試作型ファフナーの起動実験で失い、特に弟の暉はそのショックで失語症を患った」という実はかなり重い設定があるのだが、劇中では明確には触れられない。
広登も剣司への対抗意識は目立つが、それ以外の掘り下げは薄味。後輩組の中では唯一TV版でも大きな存在感があった芹も、中盤にはファフナーを降りて竜宮島ミールの負荷を肩代わりする役を担い、ほとんど退場してしまう。
ここらへんはもうちょっと掘り下げて欲しかったところ。
ポリゴン・ピクチュアズ手がける3DCGは「シドニア」同様、原作のテイストを上手く映像に落とし込んでおり、緻密でありながらどこか無秩序で、スケールの大きな都市(超構造体)の景観を見事に再現している。
自然と生命の気配がまるでなく、暗いライティングやマットな質感で統一された、いわゆる「ポストアポカリプス」の世界を見ているだけでも面白い。
再現度が高いのは美術だけでなく、弐瓶勉の特徴である硬質なフォントとデザインで構成されたユーザー・インタフェースが映像として動いていると言うだけで興奮が止まらない。づる達が着用する装甲服(のヘルメット)や霧亥の視界に投影されているUIデザインは、昨今のSFアニメの主流となっている「円」をデザインの軸にしたいかにも未来的なものと比べて無骨さがあり、こちらも都市の風景同様、見ているだけで心ときめく。
視覚的な面白さもさることながら、今作を語る上で外せないのが音響だ。菅野祐悟のBGMは電基漁師の一行に迫りくる駆除系の恐ろしさや駆除系との戦いにおける緊迫感を引き立てているし、終盤の霧亥vsサナカンの戦いのクライマックス、重力子放射線射出装置をづるから受け取った霧亥が再起するシーンの盛り上がりにも非常に貢献している。
原作で「ギン」という独特な擬音で表現されていた、本作の代名詞とも言えるアイテム「重力子放射線射出装置」の射出音もインパクトがあり、「射線上をきれいな円形にくり抜き、消し飛ばす」という映像面での凄まじさもあって、非常に印象に残る。
ストーリーは先述の通り原作のあるエピソードを元に、独自の肉付けをして映画オリジナルのエピソードに仕立ててある。
原作はドラマやストーリーよりもビジュアル面に重きをおいていたが、流石にそれでは映画として面白くないためか、電基漁師のづる達を軸にした明確なストーリーが用意されている。
このストーリーもいい塩梅で、意外性はないものの起承転結はしっかりしており、ハッキリとした悪い点やツッコミどころもなく、安心して見ることができた。
クライマックスの盛り上がりも熱く、特に先にも記したボロボロになった霧亥の再起、そしてそこからの逆転劇は文句なしにカッコいい。
トレーラーでも使用された、霧亥がサナカンを睨みつけながら重力子放射線射出装置を構えるシーンは鳥肌モノ。スクリーン越しに霧亥の目に宿る「殺意」がはっきりと感じられた。
色々言いたいこともあるが、ビジュアルと音響の魅力の前には欠点はほとんどどうでも良くなってしまう。例えるなら「100点満点中、ストーリー60点、ビジュアルと音響それぞれ100万点」といった感じの映画。
SF的な世界や美術が好きな人ならかなり楽しめるであろう一作。原作を知らない人にもオススメできる。