サポーター

ぷーざ
@pooza

Annictサポーターになると広告を非表示にできます。
とても良い

幸せは、自ら幸せになりたいと願う者にしか訪れない。一度心を閉ざした者の心を開くことは他人には難しいが、いつか来るその日の為に側に居続けることなら出来る。
そんなことをユヅに教えた母君は、ユヅにとって大切な存在に違いない。ユヅは志磨の家に金で買われ、それによりこの母娘の関係が引き裂かれたのは町医者が言った通りのこと。何も間違っていない。

過労に倒れて初めて、珠彦はユヅが大切な存在であると気付いた。
ユヅを幸福にしたいと珠彦は願ったが、それにはあまりに自分が非力であることにも気付いた。今回が実質的な初回であると言っていいかもね。



良い

本日の夜実況。
ここ一番でプリキュアたちが頼るのは、やはりダイヤフォーム。そう来なければいけない。燃える。

今回のような肉弾戦の多いバトル回で、プリキュアたちをことさらに「伝説の魔法つかい」と呼ばれると吹くw



良い

昨日の視聴分。通称「やらかし回」とでもw
失敗とどう向き合うか、この回が胸に刺さった大友が多く居たのではないか。

アクアポットの操作、ローラはこの機会にまなつに教えてあげるとよかったと思うのだけど。
いわゆる「属人化」の解消としてw



とても良い

本日の朝実況。

何度観てもすばらしい初回だ。始まったばかりだというのに、表情や感情が豊かなはるかにひきこまれてしまう。
プリキュアへの変身は、ゆいの夢を侮辱したクローズへの怒りと、自身の「プリンセスになる」という夢から。はるかは変顔が多い印象だけど、プリキュアとしての怒りの顔もちゃんと持っている。
伝えるべき情報量のさじ加減が初回として適正だから、彼女の心が伝わり、この回は「刺さる」のだろうな。

良いシーンは当然ながらたくさんあるが。
初めての変身で力加減がわからず戸惑っていたところ、ゼツボーグに花を踏まれそうなところで体が勝手に動いたところも好き。
彼女がどんなプリキュアであるかが雄弁に伝わってくる、キュアフローラらしさあふれるシーン。

王国の宝であるドレスアップキーを見ず知らずの女の子に渡してしまう、アバンでのエピソード。「プリンセスになる」という夢を持つはるかに、カナタがプリキュアとしての資質を確信したというのが普通の解釈だろうけど。
一方、キュアミューズや岡田が「女の子は誰でもプリキュアになれる」と言っている通り、たまたま出会ったはるかにもプリキュアの資格があると信じてキーを渡したという、「はるかは特別な女の子ではない」という解釈もありうるなと。女の子ははるかだけでなくみんなが特別。前作ハピネスチャージプリキュア!の初回と最終回で、ひめが心の結晶を高いところから無造作に投げたことにも通じる。
どちらが正しかったとしても、これはもう「ステキすぎる」ではないか。



とても良い

ジャンプコミックス、21〜22巻にかけて。
22巻の表紙裏コメントは三条先生。いつもの軽妙な日常の話題ではなく、珍しく本編と関連した話題。ここでは内容には触れられない。

前回から引き続きバランとハドラーの一騎打ち、怪獣大決戦的な迫力ある映像。作画コストの高そうな戦闘シーンが続くところ、今日の総作画監督はヒーリングっど♥プリキュアでおなじみ山岡直子さん。
原作でとても印象的だった、バランがハドラーの顔面に向けて放ったサッカーボールキックも再現。このシーンひとつとって見ても、両者には圧倒的な力の差があることがわかる。否、ハドラーも言ったが「強すぎる」。
思うに、超魔生物は肉体の強度では竜魔人に限りなく近づいたけれども、竜闘気をあやつることが出来ない。「呪文をはじく」という性質が竜闘気にはあり(ゲーム化ではさぞ扱いに困る能力だろう)、超魔生物が竜魔人の再現を目標にした研究であるならまだまだ途上であると言えそう。

「生命を捨てまでこの戦いに賭けた」とハドラーは言った。変身前はともかく、竜魔人になってからのバランは手加減抜きの本気で、この一騎打ちはある意味ではハドラーの望み通りの真剣勝負だったと思う。黒の核晶についての衝撃の事実を知ってしまったうやむやで、真剣勝負に満足するどころではなくなってしまったが。
ハドラーの涙は、命を懸けた真剣勝負を邪魔されたことから始まり、長年仕えた主君から受けた裏切りや、自身の孤独や寿命。竜魔人にまったく歯が立たなかったことなども入っているだろう。何もかもうまくいかない、とても人間臭い男泣き。

大魔王の性根のどす黒さ。この黒さに比べればザボエラなどかわいいものである。何もかも、汚さですら規格外の悪役だ。
スタッフクレジットに載らなかった「女性」は、当然ながらとても大切なキャラクター。この方の担当声優が誰かを妄想しているところだが、果たして?



良い

本日の朝実況。仙台さんの誕生日だったので、ミルキィローズの当番回を視聴。
前回観たのは春ごろだったらしい。



良い

本日の夜実況。
マーブルスクリューが全く効かなかったばかりか、その力で今まで手に入れた全ての石を奪われてしまった。
初代ふたりは苦戦の連続。傷つき立ち上がるシーンこそが印象的だが、イルクーボが前線に出てくるあたりからその様なシーンが多くなっていく。



とても良い

本日の夜実況。ネタバレあり。
忠太郎のあとを追ったり、プラネタリウムに誘ったり。絵づらだけはのんきなシーンが続く。
ほのかを様々な気晴らしに誘うなぎさが、なんとも頼もしい。いまほのかを支えなければいけないのはなぎさだから。

なぎさのモノローグ「涙が涸れるまで泣いたんだって」に、全てを持っていかれてしまう。
今夜の「とても良い」は、このラストシーンに対して。



プリマジスタにはSASUKEに出られる様な身体能力が必要。



良い

イラッとする妹は思いのほか早くデレた。
この子も兄とよく似た孤独を抱えていた。前回は「塩でも撒いとけ」とか言ってすみませんでしたw

ユヅの家事能力が高いのは前回まででわかっていたことだけど。尋常小学校に通っているような背格好に似合わず、姉のような包容力という新たな一面が明らかに。
妹を愛でるような感情は似たような経験から身に付くものではないかと思うけど、彼女が今までどんな人生を送ってきたかに興味あり。



とても良い

本日の夜実況。感想は大筋、前回と変わらないとして。

おばあちゃまの「運命」に関わる助言。
事情を知った上での助言として観ると味わい深い。



全体
とても良い
映像
良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

2回目視聴。以降は完全なネタバレ感想なので、未見の方はUターンをお願いしたい。

実は絞りに絞ったシンプルな物語だったと思う。実質的にはヒロインとボスを兼ねたシャロンが唯一のゲストキャラだった。
それだけにローラとシャロンのふれあいを中心として、ハートキャッチチームとの共演、本編以上に充実したくるるんの活躍、そして圧巻の変身シーンなど。望まれていた要素を十分に肉付けすることが出来たのではないか。

シャロンも言った通り、永遠など存在しない。たとえシャンティア王国に悲劇が訪れることなく、王族や国民が存命であったとしてもそれは変わらず、形あるものはいつか滅ぶ。しかし作品や表現、今回で言えば主題歌「シャンティア 〜しあわせのくに〜」が該当するけど、歌い継ぐ者がいるかぎり滅ぶことはない。人や国の命と共に失われることなく、ある意味で永遠に在り続けることもできる。
ローラは力強くいつもの不敵な表情で、シャロンに永遠を約束した。自信家なローラの約束には説得力がある。まるでこのシーンのために、彼女の性格設定がされたかの様だ。

表情が変わってからの雪から兵を生み出し続けるシャロンは、良作画もあっての寒気がするような美しさだった。特にローラに協力を拒絶されてから、髪を振り乱し感情をむき出しにする姿は鬼気迫っていたし、また、消え去る前の表情は哀しさと儚さに満ちていた。
そういえば、シャロンが消え去るシーンに我々は見覚えがないだろうか?そう、ハトプリのコロンだ。たとえ回想がなくとも、例えば、消えゆく女王に顔を背けるキュアムーンライト等がワンカットでも入れば、彼女のキャラクターを更に立てることが出来たのではないか。

エンディングではローラとシャロンの約束通り、シャンティアの歌が異国の地で披露される。
遠目にヒープリチームの4人の姿が確認できたし、ハートキャッチチームのそばには薫子さんもいた。これもちょっとしたファンサービス。

このシンプルな骨格の物語を、TVシリーズの前後編ぐらいに収めることも可能だったかもしれない。
しかしながらそれだけに留まらない、たくさんの肉付けがされた「贅沢な」作品だった。



良い

本日の朝実況。

利己それ自体は悪ではなくて、心に愛さえあればよいという力強いメッセージが、前回既に発信されている。
故にプロトジコチューとの戦闘自体は消化試合のようなもので、利己を体現したかの者が不滅であることも既に織り込み済み。1万年後に復活するかもしれないが、それはその世代のプリキュアたちが解決すればよいこと。今はパルテノンモードと化したキュアハートの圧倒的な戦力を、ただ笑いながら楽しむのが正しい。
「想いの力が人を強くする。誰かを守りたいという想いの力をもつ女の子は、誰でもプリキュアになれる。そしてその力は、この宇宙を生み出した、ビッグバンにも匹敵するんだ」ジョー岡田がむちゃくちゃ言ってますなw

長かった物語の結末は、後日談で締め。
憑き物が取れたかの様な表情のトランプ国王が、マナの祖父と将棋を指すシーンはとてもいい。短いシーンだけど、平和の訪れを象徴している様に思う。イーラが六花に別れを告げずに去っていくのは少し切ない。
劇中に真琴をあまり褒めず「ちょっと冷たいかも?」と思われた王女だが、ラストに最大限の賛辞で真琴をねぎらった。プシュケーを割ってレジーナと亜久里が生まれ、肉体はアイちゃんとなり、「最後に残ったあなたは何者?」と尋ねたくて仕方がないが、それも野暮か。



とても良い

本日の夜実況。
サブタイ通り、本物のほのかを見分けなければいけなくなったなぎさ。
友情が試されていたふたりを救ったのは、またしても8話のプリキュア手帳だった。

姉ポイズニーの死に打ちのめされるキリヤに、イルクーボは「闇に生きるか光に死すか」と言った。はっきりと「死」と。
5話でメップルは「ピーサードは闇に還っただけ」と言ったが、単なる気休めだった様だ。ピーサードやゲキドラーゴ同様、ポイズニーは死んだのだ。



良い

勧められ視聴。
シリーズ構成が誰かと思えば、よく見知った横手美智子さんではないか。継続。

それにしても、居酒屋のシーンを見ていると、この場所が妙に恋しくなりますね。



とても良い

桜井ちゃんはこの先も、第2のヒロインとして活躍してくれるようだ。
どちらも初々しい。クリスマスは都市伝説だし、こんなハートフルな職場は実在しないw



良い

本日の夜実況。
最後の切り札とはダークファイブのリーダー、イルクーボのこと。
イルクーボの初陣だけでなく、世界観や使命のおさらいもあり。前半エピソードを畳み始めている印象。

初代たちの動機は「身に降りかかる火の粉を払うことである」とよく言われる。必ずしも正義を目的に戦っているわけではないことが、無印「ふたりはプリキュア」の斬新さであり評価点であると。
しかし、隣人とまではいえない街の人々をイルクーボから守るために戦っていたふたりは、ただ火の粉を払っていた様にはみえない。そのようなヒーロー像を捨てたわけではないのだと改めて認識。



良い

本日の夜実況。
ほのかの激怒と、それに対するキリヤの逆ギレのシーンが見ごたえあり。
ほのかの熱量に好感。ほのかの感情が思いのほか豊かなのは、8話で既にわかっていたこと。
一方、キリヤの感情は、少しずつ人に近いものになってゆく。



とても良い

将来の夢は、大人になってから決めるというまなつ。
それがまなつの個性であるかの様だったけど、よく考えると中学生でまだ進路が決まっていないのは普通のこと。大人になってから別の夢が出来ることもだってある。また、大人になっても楽しいことはあると言った。大人になったからといって今楽しいことをやめる必要は全くない。
いま一番大切なことは、その時の自分の価値観で決める。そんな、前向きな趣味観・仕事観が詰まった回だった。仕事が嫌でたまらない大人にこそこの回を。

みのりんが文集を開けて読むシーンがあった。
創作への情熱を取り戻しているのだったらうれしい。それがやはり、きみの一番大切なものなのではないか?



とても良い

ジャンプコミックス21巻収録分。

EDで確認した限り、総作画監督に香川さん、作画監督には横田さんが起用されている。「ドラゴンボール回」との評もある(自分もそう評した)31話と同じコンビだ。竜魔人作画の為にこのコンビが再び起用されたのなら、次回も引き続きお願いしたいところだ。

バランの「人の心」描写が多くある。それは本来、神々が竜の騎士に持たせたはずのもの。
ダイが深手を負った際に、ついディーノという本名で呼んでしまうバラン。「強き竜」に由来するその名前を考えたのはソアラだけど(28話)、バランは元々、息子が誇りある名前を持つことを望むような人間らしい心を持っていた。仲間になってからもどこか素直ではなかったバランが、ディーノと名付けた頃の親心、即ち竜の騎士が本来もつ「人の心」を取り戻してくれたことにまたしても泣かされてしまう。
バランが赤子をあやす場面の回想も28話で既出だが、今回は別の場面らしい。バランはいつまで経っても育児に不器用なところには親近感あり。

「ダイ」の名前の由来であるゆりかごのエピソードは原作からのものだけど、アニメ初回でこのエピソードへの伏線が追加されていて、なんと1年をかけての円満回収となった。
ブラスじいちゃんが、「せめてイニシャルだけでも同じに」と言った思いやり。とてもいいシーンなので、「これがほんとのイニシャルD」などとオヤジギャグを言ってはいけない。

「死神のおこぼれで勝ちたくはない」とハドラーは言った。
前回も言ったが、キルバーンからのハンデという理由も加わり、ハドラーにとってより一層意味のない戦いになってしまったのではないか?
残された短い命にすがらなければいけない気持ちはわかる。ただ哀れだ。



全体
とても良い
映像
良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

最速上映にて視聴。
初回なのでネタバレを含まない、かつ本筋に関わらない感想のみ。この先何度も観るだろうから、ちゃんとした感想は改めて。

ハトプリの客演は、ハトプリの世界観にまで踏み込んだ、とても突っ込んだものだった。一度今作を観てしまうと、過去作での先輩プリキュアの客演のみに限って言えば、不本意ながら「ただ出演させていただけ」と言わざるを得なくなってしまう。
特にえりか。今までオールスターズ作品ではギャグ要員となることが多かったところ、繊細な内面まできちんと描かれていたところに好感。一方、いつきやゆりさんを観に行った人には、残念ながら物足りなかったかも。

あとは贅沢な変身シーンや、終盤のシャロンの美人作画に圧倒された。



とても良い

本日の夜実況。
今までキリヤに興味がなく、とくに接点もなかったほのかとキリヤが急接近する。
直近ではこの2人のほうが、なぎさと藤Pの関係よりもストーリーへの影響が大きい。キリヤが人間の強さと弱さを少しずつ知り、プリキュアと戦う意味を自問することが21話につながってゆく。そのきっかけとなるやりとりが、なんとも微笑ましい。

メップルが「プリズムラブチェッカー」と連呼する、スポンサーへの配慮が強い回ではあるw



良い

本日の夜実況。
いくら無印ふたりはプリキュアの頃だって、「マドンナ」はないなw
異様な昭和センスに、まずは吹く。

マドンナがたくさん現れる戦闘シーン。楽しいシーンだが、笑ってはいけない。
本物もいるからうかつに攻撃するわけにもゆかず、というポイズニーの策はなかなかのもの。



良い

オフィスにこんな甘酸っぱいエピソードはないw
登場人物がマスクをしていないだけなのに、遠い昔の話か、あるいはファンタジーであるかの様だ。
前回から引き続き、脚本担当は今回も成田良美さん。このまま最後まで書ききったらすごいな。

双葉は当然として、第2のヒロイン桜井さんにも注目。完璧超人かよ。
ほっちゃんのEDもグッド。プリキュア経験者が多いので、このアニメもプリキュア認定。



良い

本日の夜実況。
珍しい、レインボーセラピー回。

いつもとぼけているが、叱るところは叱るなぎさパパに好感。
笛を吹いてザケンナーを鎮めたのは、結局誰だったのか。タネを匂わせる描写がなんか欲しかった。



良い

本日の朝実況。
キュアハートの伝説の「生徒会長名乗り」から、アバン早々に一気に最高潮に。キングジコチューの体内へ、国王の魂を目指して潜入する熱量ある展開は、最終局面にふさわしい。
途中、ロゼッタ、ダイヤモンド、ソードとしんがりからひとりずつ抜け、敵の追っ手を食い止める役を買って出る。「ここはわたしにまかせて」と言わんばかりのこれらのシーンは、いわゆる「フラグ」そのものだがw、3人ともフラグに屈することなく生還する。まったく強い。

「ジコチュー」つまり、利己と利他が対立軸として描かれる様に当初は思われた。それは、亜久里とレジーナを戦わせることに審判を委ねた、王女の当初の思惑とも一致する。
しかし、ここ最終局面に至って「愛ある利己」も存在しうることが描かれ、善悪の基準はそんなところにはないとでも言わんばかり。善の本質はもっとシンプルで、そこに「ドキドキ」、即ち愛があるかどうか。そんな、強引ではあるけど力強いメッセージを感じる。

一方で、キュアエースとレジーナの和解が明確に描かれなかったのが残念だ。二分された魂が互いの愛を認め合い、許し合うことがこの回の象徴となるはずが、うやむやになった。
そういえば43話の回想でも、王女はキュアエースを「愛の切り札」と呼んでいた。自分自身を審判者と位置づけ、二者の戦いに対しては中立の立場であるはずの王女が、何故かキュアエースにだけ肩入れしている様にもみえた。



とても良い

本日の夜実況。
前回、プリキュアの姿を夏子と京子が見てしまったことが「にせプリキュア」の登場につながっている。
策士キャラであるポイズニーが、このにせプリキュアを使ってプリキュアたちをハメていく展開は見ごたえあり。自分たちだけでなくクラスメイトまでも戦いに巻き込むポイズニーに対して、怒りをあらわにするなぎさもほのかも熱い。そんな熱さを反映してか戦闘の作画もよかった。
キリヤが不気味に嗅ぎ回っている描写が最後にあり、敵側のプレイヤーが増えたことによって先の読めない複雑な物語になっていると感じる。



良い

オリジナル要素を適度に織り交ぜつつも、ケンシロウとシンの対決が原作に忠実に進行する。
ネタ要素も特になし。作画もよいふつうの良回。

シンが「俺が欲しかったのはユリアだ」と言った。
ユリアは「富にも名声にも興味がない」と再三言っていたはずであるにも関わらず、それらを得る為に略奪や殺戮を繰り返したシン。ユリアの声に耳を傾けなかったこの男が、本当にユリアに愛情を持っていたかが疑わしい。せいぜい、「ユリアへの愛情を持った自分」への自己愛に過ぎない感情ではないか。
また、どのような後付け設定が加えられようとも、この外道が行った悪事を美化することは不可能。ストーリー上の都合とはいえ相当無理がある。

興味深いのは、死んで間もないユリアの精巧な人形。遠目とはいえ婚約者であるケンシロウの目をも欺く品質は、「精巧」などという生易しいものではない。
この人形は恐らく、シンがユリアに与えたどのようなジュエリーよりも高価な品だろう。私財をなげうってこのような人形を職人に作らせたのだとしたら、それはシンが見せたわずかな人間性の現れであると言えるかもしれない。



とても良い

本日の朝実況。
一見激しい戦闘だが、実際にはレジーナやキングジコチューとの和解が全力で行われている。プリキュアは戦いに来たのではない。
和解の策などないが、「愛を持つ者ならば戦いをやめられるはず」という小細工なしの説得はレジーナの心を打つ。そして改心させる。

かつてトランプ王国では恐怖から国民たちがジコチューになったというが、地球で同じ悲劇が繰り返されることはないとキュアハートは言う。
それはプリキュアたちが愛を振り撒いたことにより、市民たちもプリキュアと同じ愛を持っているからであると。ここまでの回でプリキュアたちが積み重ねてきた愛が、最終局面で逆に彼女らを救う感動的なシーン。
だが、トランプ王国にもキュアソードらがいたはず。彼女らは愛を振り撒いていなかったのか?地球のドキドキ!プリキュアは特別なのか?

「わたしが斬るのは、あなたじゃない。絶ち切るのは弱さ。切り拓くは未来。心を貫く勇気の刃。それがわたし。王女様からもらった名前、キュアソードよ!」
キュアソードの啖呵は最高にかっこいい。そう、彼女も敵を倒しに来たのではないと言っている。



良い

本日の朝実況。
物語の核心を明らかにした結果、テーマ性が浮かび上がってきたのと同時に、矛盾や問題点を生み出した様にもみえる評価の難しい回。

亜久里は何故、レジーナとの決着をつけなければいけなかったのか。
漠然と「宿命」と言っていたが、二者の「戦い」に世界の行く末を託そうと言ったのは確かに王女だった。魂を二つに分け、いずれが正しいかの審判を委ねるという意志はわかるとして、その方法は「戦い」に限定されるべきだったのか?
ここで道を誤っていたのは実は王女であり、亜久里はその意志に従ったに過ぎないのか?それとも、「戦い」というワードを使ってしまったのは脚本上のミスだったのか?

王女の真意が本当に、亜久里とレジーナを戦わせることによる審判だったとして。その意志が「レジーナとの和解路線」という、プリキュア間で既にあった合意と反しているのは当然としても。
レジーナに真実を告げ、レジーナ自身が雌雄を決しなければいけないと判断し、亜久里はその上で初めて決闘を始められたはず。クラウンのビジョンを先にレジーナに見せてから、決闘を始めるべきだったはず。本来はこのような段階を踏まなければいけなかったところ、亜久里の独断はプリキュアたちだけでなく王女の意志にも反していたことにならないか?

レジーナが悪ではないことからわかる様に。亜久里の判断が必ずしも善であるとは言えないことからもわかる様に。プシュケーを2分した要素は善と悪ではなく、利己と利他とでも言うべき関係なのだろうか。
いずれにせよ、二者の「戦い」によって審判を行うことが王女の意志だったとしても、それは問題の先送りに過ぎず、より本質的な解決が必要というキュアハートの立場がこの場では絶対的に正しい。そのキュアハートにも真の敵がまだ言語化できていないが、より真実に近いのはこの頼もしいリーダー。
皮肉なことにレジーナは真実を知った上で青目に戻り、操られているのではなく自らの意志でプリキュアと戦うことになってしまった。この救いのない戦いを、誰かが止めなければいけない。

些細ではあるけど、気になっていたことがあって。
王女が登場する回想では、キングジコチューへの態度は明らかに父に対するものではなく、敵意を以て「キングジコチュー」と呼んでいた。ぶっちゃけ後付け設定だからなんだろうけど、見返すと不自然と感じる部分。
「もうあなたを父とは呼ばない。今からあなたをキングジコチューと呼ぶ。お覚悟なさい、キングジコチュー!」的なセリフが、たとえ後付けでもあるべきではなかったのか?



Loading...