近衛局ビル奪還作戦、立ちはだかるのはレユニオンの指揮官・メフィスト。彼の能力はレユニオン兵士を死なないゾンビのように操るもので、まるで部下を人として扱わない戦い方はそれだけ強固でもあった。
そこに単身で挑むチェンはというのは、そんな非道な戦いを本心では望まないだけにか、メフィスト相手にも苦戦を強いられる。手段を選ばない悪が正義を上回ろうという光景には、歯ぎするようなもどかしさと理不尽さがあった。でも、だからこそチェンも手段を選ばず、自らの命を削る赤霄の剣を抜こうとしたのだと思う。
しかし、そんな間際にロドスが駆け付け、アーミヤは「生きて成すべきことがあります!」と言って、チェンにその諸刃の剣を抜かせないための支援攻撃を加える。そして、一気に劣勢に立たされたメフィストはファウストに率いられて撤退。ロドスと近衛局にとっては敵を取り逃がしたものの、作戦成功を掴むこととなった。
そして、それはまさに正義の勝利を意味するものでもあったと思う。レユニオンの部下の命も顧みずに駒として扱うメフィストの強靭さに対し、チェンはあくまでも自らの犠牲で挑むという誠意を見せた。さらに、そこにアーミヤたちという別組織ながらも協定を結んだ仲間の援護で打倒した。こんか荒んだ世界でも、正義がまだ肯定される余地があるという光景には、希望すら見えてくるようだった。
チェルノボーグでの戦いにて、ミーシャを自らの手で殺せなかったことは、アーミヤの心に「自分は誰も救えない」という傷を残していた。そして、あの時ミーシャに手を下すことができたチェンと対比して、アーミヤは自分の正義はただ怒りや憎しみに動かされるままのものでしかなく、そこに確固たる覚悟がないと感じさせられてしまっていた。
だけど、そんなアーミヤを見かねたドクターが肯定の言葉をくれた。そして、彼からの「アーミヤの迷いは色々なものを背負っているからだ」という言葉に、アーミヤも「自分なりの正義のやり方も間違っていなかった」と思えているように見えていた。
そんなアーミヤの「チェンさんも私と同じなのかもしれない」という呟きは、彼女にとって正義の執行者としてあるべき姿を体現しているチェンも、自分と同じで迷いをどこかに抱えているのかもしれないという共感でもあった。そして、それは徹頭徹尾に完璧な正義だけが正しい正義というアーミヤの捉え方を変えるものであり、アーミヤの大事にしてきた優しい正義も立派な正義のあり方と確認するもののようでもあった。
だからこそ、新たに浮上した移動都市で消息を絶った潜入部隊の援護任務にも、アーミヤは「ロドスは仲間を絶対見捨てない」という相変わらずの信念のもとに乗り込んだのだと思う。ただし、今までと違うのは、チェルノボーグに関わる葛藤を経た今のアーミヤは、その信念に対して優しさだけじゃなくて、自分の正義を強く信じる強固さも備わっていた。
ダービーでのドゥラメンテの遠すぎた背中を思い出したキタちゃんが思うのは、自分はスターにはなれないんじゃないかということ。幼い頃に見たテイオーの走りに魅了されて、「いつか自分もああなりたい!きっとなれるはず!」と信じて走ってきていた。だけど、所詮、憧れは憧れにすぎないということなのか。そこにキタちゃん自身の自信は付いてきこなかった。
そんな時に舞い込んできたのは、宿敵ドゥラメンテの骨折のニュース。菊花賞でのライバルの欠場は、まさに目の上のたんこぶが取り除かれたというもので、思わずキタちゃんもライバルの不幸をチャンスだと内心喜んでしまった。
でも、それは憧れのトウカイテイオーみたいな輝いたウマ娘とは正反対の姿で、一番なりたくないかっこ悪い自分がそこにいた。そんな不甲斐ない自分に悔し涙を抑えきれないキタちゃんの心中は、どんどん憧れから遠ざかっていく自分への虚しさと、そこで踏ん張ることのできない自信のなさでいっぱいだったように見えていた。
それでも、ネイチャはそんなキタちゃんのかっこ悪い姿もズルいところも全部ひっくるめて、共感して認めてくれた。かつて自分がそうだったように、そういう邪念も「勝ちたい!」という思いの現れだから、むしろそれが自分自身なんだと胸を張って貫き通すことで純粋な「勝ちたい!」へと昇華させてしまえ!というエールを先輩のネイチャはくれていた。
そして、キタちゃんは憧れだったりスターになりたいだったりと常に誰かの視線を気にすることを止めて、ただゴールだけを見据えて自分らしい走りを突き通すように吹っ切れた。
それはきっと、一番になるためには「憧れ」という他人の軌跡の人まねでは果たせないということなんだと思う。ただただ「勝ちたい!」という思いに従うことで、次第に「勝てる自分」になっていくことができるし、さらにその結果として誰かを夢中にさせる唯一無二のスターにもなることができるのだと思う。そして、菊花賞を勝ち取るレースを走りきった時、キタちゃんはまさにそういう存在になっていた。
ステージオーディションの音響とアフレコが上手すぎる……オーディションっぽさと下手さすごい
上手くなったとこでも本番ステージっぽくなくて、あくまでもオーディションステージっぽい音響なのすごいな………びびるわ
ヘルベチカさんに牙を剥くアンジェちゃんかわいすぎ
サーシャさんとの母性談義も萌え楽しすぎる
そして、イリヤスフィールみたいな女の子が……
禪院のニキの乱入に、火山頭の参戦、そして宿儺の降臨というだけでも圧巻なのに、それらの強さのぶっちぎれさにただただ言葉を失う…………
特に夏油ガールズは宿儺を前にしても胆力は見せていただけに応援したかったけれど、呆気なく殺されてしまった姿に理不尽さ極まるものだった
それにしても1期でごじょ先にびびり散らかしてた火山頭はここまで強かったのか……、宿儺相手にもあの落ち着きようとやはり格が違う………
ここまでの呪術廻戦はただの超作画アニメでおもしろみに欠けていたけれど、こんな怒涛の展開を見せつけられて驚きと共に高揚感、そして畏怖が詰まる思い
負けから始まったキタサンブラックのクラシック戦線。ドゥラメンテの圧巻の追い上げには、どこか気が抜けてしまうような感覚もあったし、悔しさよりも先に驚きのリアクションをしていたキタちゃんもきっとそう感じていたように見えるものだった。
だけど、次のダービーは負けられない。キタちゃんの憧れのウマ娘・トウカイテイオーも勝ったレースで、自分もその栄冠が欲しいと張り切っていた。だから、ダービーは他のウマ娘以上にキタちゃんにとって大事なレースで、まさにキタちゃんのための舞台。
G1の舞台に自信を持てずにいたところを、サトノダイヤモンドに「自分らしく走ればいいんだよ」と言われて、キタちゃんが自信を取り戻せたのも、まさにダービーが自分らしさの詰まった舞台だったからということのようにも思えるものだった。「ダービーはお祭り」という言葉も、まさにダービーがキタちゃんのためのレースということを暗示させるもので、夢はもうすぐそこ…という気すらしていた。
だけど、ダービーの4コーナーから最後の直線。キタちゃんの適性には不利な坂が行く手を阻む。そして、圧倒的な実力のドゥラメンテ、そしてサトノクラウン…と、みるみるうちに他のウマ娘たちがキタちゃんを追い越していく光景には、どこか力が抜けてしまうようにして涙腺から涙が溢れ落ちてしまった。
結局14着で終わってしまった一生に一度のダービーは、夢のあっけなさをまざまざと突きつけてくるものだった。そして、そこには悔しさの涙というよりも、情熱の行く先を失ってしまった喪失感にも似た涙があった。
無難な1話の滑り出しといった感じか
白組のセルルックアニメーションはなんというかお手本みたいな感じで、他3DCGアニメスタジオ特有のクセがないかつ、超絶ハイクオリティといった感じ
とはいえ、頭身とか完成されすぎた動きにかえってやや違和感はあるかも
強さを手に入れるためにスターダストとの戦いを強いられるシャイだけど、優しい彼女は人を殴ることができない。
スターダストはそんなシャイのことを共感力の強さの分だけヒーローとして弱いと言い、逆に自分は誰にも流されないくらいに共感能力のない自分は冷徹で強いと語る。
確かに誰かを守るヒーローとしては、シャイは弱いかもしれない。だけど、スターダストからひたすら殴られ続けても負けを認めず諦めないシャイの姿にも、確かな強さのカタチがあるように見えていた。さらに、それは小石川さんからの必死な叫びを受けて、「私の名前を呼んで勇気をくれる人がいて、だから私は頑張れる!!」とへこたれないシャイの姿にも現れていた。
そして、そのシャイの強さというのは、純粋でまっすぐな正義の心。スターダストの言うように、そんな人のことを微塵も憎まない心には、敵に対して抗う力はないかもしれない。だけど、スターダストの冷徹ささえも優しさと捉えてしまうシャイの純粋な心というのは、誰にも流されないスターダストの心を温かい正義の方向にまで動かすものだった。
だから、シャイの純粋な心の強さというのは、敵を打ち倒すものではなくて、むしろその敵さえも優しさで包みこんで正義に変えてしまうもの。そんなシャイの優しさの強さこそが、もしかしたら真に世界中に平和をもたらすものなのかもしれないと思わされるようだった。
SHYもといテルのクラスに転校してきた小石川さん。そんな彼女の痛めた脚というのはテルにとって、自分がヒーローとして小石川さんを助けきれなかった負い目として突き刺さるものだった。しかし、彼女が語るのは「この脚はSHYが助けてくれた証」ということで、その言葉にヒーローSHYのテルもどこか救われたような面持ちに見えていた。
だけど、そんな心明るい小石川にも内に閉じ込めた心の闇があり、そこに付け込む”何者”かが彼女を襲った。そして、小石川は幼い頃に火事から自分を救った代わりに両親が帰らぬ人となった負い目、「私なんかが救われなければ、誰も傷つかない…、私が死ねば…」という闇が表出させられた。
確かに大切な人を失った代わりの今の自分を許せないという小石川さんの思いも理解できるし、そんな状況や運命から自分を救ってくれる人がいなかったことへの行き場のない悲しみや憎しみにも共感できる。
だけど、「私なんか助けないで」「あの時、助けてくれなかったヒーローが憎い」という小石川さんをSHYは救う。それは誰かを助けることを恐れていたSHYを、その小石川さんこそが肯定してくれたから。そして、ここでSHYが救うのは、ただ憎しみと悲しみを暴走させた小石川さんだけでなく、そんな小石川さんに至らしめた彼女の抱える「助けを求められなかった心」なんだと思う。
こうしてSHYはヒーローの自覚を強めたわけであり、「人の心を明るく照らす」というヒーローの使命も今一度確かめることになった。今回のこといえば、翻って自己破滅に陥ってしまっていた小石川さんの優しさを明るく照らして、本来の「自分以上に誰かの無事を祈る」小石川さんの心を取り戻したのだと思う。
してやったと思ったら、実は先回りされていて……という
シャドウもといジョン・スミスにとっても、商会にとっても、シャドウガーデンにとっても……。
まもるくんの98愛に、自分の美少女ゲーへの思いとシンパシーを感じるコノハちゃん
夢を追うとかアツい思いとかそういうのを求めるコノハちゃんにとって、まもるくんの98愛もそういうのと同じ大事なものなんすね
まどかさんは人を応援するのはアツいけど、震災の人物写真をきっかけに彼なりの信念が真っ向から否定された過去があって、自分自身が輝くようなポジションに立つことを恐れているようだった。
でも、今のはるかくんを撮るまどかさんは人物写真も撮ってた昔に戻ったようであり、それが今のまどかさんの輝くためのやり方なのかもしれない。
だけど、「応援なんて相手のためなんかじゃない、自分のためじゃないか」ってはるかくんの父親がレースで事故死したきっかけが自分にあるかもしれないという言葉。だけど、「でもあんたが…」と重ねる言葉ははるかくんを応援することに輝きを見出しているまどかさんに刺さるものだった。
そして、それははるかくんがまどかさんの応援を受け入れたということであると同時に、何よりもはるかくん自身のレースで勝ちたい理由が「亡き父と一緒に表彰台へ上げてもらった時を再現したいから」というどこか迷いのあるものから、自分の内なる本心と向き合った純粋に「ただ勝ちたい」というような動機に移り変わったということであるようにも思う。
ドタバタハートフルドラマって感じでした
最後の北極百貨店の良いトコをバーバリライオンの女の子が紹介するとこはちょっとじーんと来てしまった
「自分のカッコいいと思うものを輝かせたい!」っていうのがカメラマン主人公の原動力だけど、プライベーターとしてF4で車を走らせるっていうのも自己満足に近いようなスケールで輝きたい!っていうところで、似たようなマインドがあるのかも
だからこそ、自分の中のノリと勢いにかかってるのかもしれない