全国大会本番まで来たのだから語りなんて必要な量だけで構わないよね?と言わんばかりの構成が素晴らしい…
久美子達があの会場に辿り着くまでの全ては既に幾つもの物語に拠って描かれている。直前の日々だから、本番の舞台だからと今更描くものは少なくて
種蒔きの如き努力が大輪の花を咲かせる最終回はシンプル故に強い
他方、本番までの日々は3年生にとって高校最後の日々でもある
だから自分の未来を意識しつつ、先輩達がしてくれたように高校生としての未来が有る後輩へ残すべきものがある
それがあの楽譜となるのは感慨深い。実力主義が吹部全体の伝統であるならば、あの楽譜はユーフォだけの特別な伝統。それはきっと久美子だから残せるもの
本番当日はそれこそ余計なものなんて無くて
積み上げた様々を披露する。だから今更語り直さなくても、彼女らが発する一言一仕草にこれまでの日々が詰まっている
その意味では種蒔きの集大成。特に全部員の顔と名前が次々と映されるシーンには感極まりそうになってしまった…
あのシーンで映った一人一人が居たからこそ北宇治は全国まで辿り着けたのだと思えたよ
そして演奏シーンがこれまた凄かった……
京アニならきっと全シーンを奏者の手元に使う事だって出来るかもしれない。けど、あのシーンで映すべきはやはり種蒔きの日々で
辛さも悲しさも嬉しさも全てが詰まっている。だから聞かせるべきは音のままで見せるべきは北宇治の日々となる
彼女らがこれまで過ごした日々こそが演奏に成る
多くの者が願いつつも辿り着くのに多大な努力を要したゴールド金賞
喜び涙する面々の様子だけでもこちらも涙ぐんでしまうのに、「悔しくて死にそう」から始まった物語が「嬉しくて死にそう」へ帰結したのだと実感させられて感動もピークへ
その勢いのままに種蒔きが実った事で花開いた笑顔が映されたものだから「本当に良かった」って気持ちで一杯ですよ……
後日談として描かれる久美子の進路はやはりそういう方面でしたか
桜並木を抜けて北宇治に入り、そこで過ごす内に「北宇治が好き」と思うようになって
そんな彼女が新たな桜が芽吹いた北宇治へ戻ってきて、何処かで見た仕草で吹部に入った者達を出迎えた。伝統が繋がっていくような様子には感極まってしまったよ……
いや、本当に良い作品に出会えた……
実を言うと、今年から本シリーズに触れた私にとしてはまだ見ていない作品とかも有ったりするので、今回の感動を思い出しつつも過去作にきちんと触れていきたいと思いますよ
そうして改めてこの素晴らしい最終回を再視聴したいものです
人間四ノ宮功とカフカの戦いは次第に怪獣同士が激突する様相へ
それが最終的に功を圧倒するに至るのは本質的に功が人間であり、カフカが人間では無いから
でも強さだけでその存在が何かは測れない。それが表現されたEPとなったね
功を一方的に蹂躙し始める姿は正しく怪獣8号、人類の敵そのもの
けれど、カフカがそれだけの存在でない点は同期が示してくれる。レノを始めとして誰も彼もカフカは人間か怪獣かなんて問題にせず、彼を信頼できると訴えている
そしてカフカ自身がミナの信頼に応えたいと思っている。ならカフカが何者かなんて答えは決まりきっている
常識や前例では有り得ないカフカの救済。でも、カフカの心に触れた者だけが彼の無罪を確信できる。それはミナであり、功であり
人を救う事を一心に考える、その心構えは誰よりも防衛隊に相応しいかもしれない。でも彼が怪獣である事実は変えられず
人に認めさせる、認められる程に強くなる。カフカにもレノ達にも課せられた茨の道がどうなるのか続編が待ち遠しいね
泉志帆の心の奥底に迫るEPとなっているのは良いのだけど、その分だけひまりと依のカップル成分が減る点が気になってしまう…
ただ、そう思う程にはローレライ結成の経緯は強烈。志帆に勝ちを与えぬままに世を去ったキョウは別の意味でも天上の存在。彼女へ届く音楽を奏でる為に志帆達は人生を懸けているのだと思えたよ
存命中は親しくなんて出来なかったのに、キョウが何も言わなくなってから一番心を明かせる相手になった。それは志帆にとって生きていても死んでいても彼女が自分の人生を構成する支柱になっているとの感覚か
似た感覚を持っていたのが百々花かな。キョウの恋人だった彼女は今でもキョウが人生の支柱になっている
勿論それは妹である始も似たようなもので。そんな同志だからキョウに届く音楽を一緒に奏でる事になった。でも、肝心のキョウが故人なのだからコレほど痛みに満ちた行為は無いように思える
だというのに、志帆には更なる痛みが潜んでいたなんてね
ひまりと違い叶わなかった一目惚れ、その感情がゴミ箱に捨てられる様は余りに哀しい
バンドの曲が思ったよりも評価されていない。受け入れ難い現実を前にした仁菜達の選択は良い意味でも悪い意味でも斜め下へ突き進むものになったような
「私は間違ってない」と叫んで反抗を続けた仁菜が迷いながらも到達したのは誰もが間違っていると直感できる正しい道だと思えたよ
低調な曲に対バンの客入り差、トゲナシとダイダスの間にある明確過ぎる評価差は絶対評価と言えるのか?仁菜は自分達の曲は良い曲だと思う。でも、世間で同様に感じる人は少数派
仁菜は間違っていてヒナは正しいのか。仁菜はヒナに誤りを認めなければならないのか?
まあ、そこで頭を下げるくらいなら仁菜はロックに成らなかったのだけど
同様にダイダスに頭を下げて同じステージを演るなんて有り得なくて
商業音楽としてそれは間違ったこだわり。押し潰されそうになる仁菜は間違いの象徴かもしれない
でも、そんな間違ってるのに間違ってないと反抗する仁菜に智や桃香達は惹かれた訳で
トゲナシは自分達が間違ってないと叫ぶ為にロックを奏で道を突き進んでいる
始まる前から負けが判りきった勝負にそれでも魅了された少数派の為に奏でられる『運命の華』はトゲナシがこれまで歩んだ道そのもので、「私は間違ってない」の叫びの先にある輝かしい何かを掴む為の唄
終わってみれば始まりに至った物語。この若々しい煌めきの続きをまだ見ていたいと思えるような素晴らしい最終回でしたよ
親を親と思えない内にパウロとゼニスを喪った。そして喪ってから二人は自分の親だったと判るなんてね…
やつれたルディの姿から二人の喪失に多大なショックを受けている事が伝わってくる。そして、その後悔が実父母に対する後悔すら思い出させている
こうした面を見ると本作はやり直しの物語なのだと再認識させるよ
やり直しを求めるルディに対して、寄り添うロキシーが示すのは愛情としか形容しようがないもの
パウロ一家を第二の家族と例える彼女だから、ルディと悲しみを分け合いたいと言う。でも、彼女に血縁など無いのだから家族の愛を示そうと思えばあのような行為になる
それは擬似的に家族へと近づく行為だったのかもしれない
家族を喪ったのに擬似家族的な繋がりを手にした。そこへ家族としての助言を授けるロキシーとリーリャが良いね。二人とも形は違えど家族の為に行動する事を願っている
でも、2つの腕の片方が欠けて不自由になったルディは喪失を埋めるものを求めてしまう。都合が良いようだけど、家族愛を示し自分も憎からず思うロキシーに心揺らさずに居られない
一方で辛いのはロキシーの立場
彼女は疑似家族としてルディを慰めたけれど、そこに有るのは普通の女の子のような恋心。なのに、ルディが既婚者であり弱みに付け込んだ形になっているから純愛と出来ない。ルディに応える余地があると思えない
哀しみに染まる姿は罪の象徴のよう。だからこそ、罪を愛へと変えられるエリナリーゼがズバッと言ってくれたのは良かったな
シルフィの祖母であるエリナリーゼはルディの家族と言える。ルディに新たな家族を得ろと促せる。パウロを知るエリナリーゼの言葉は父の代理、ルディにパウロとの繋がりを思い出させるもの
ルディの告白はかなり不格好、そもそもシルフィの了承も取ってないし
でも、そんなクズさが今更になってパウロとの繋がりを実感させた。それはルディにとって家族をやり直す一歩となったように思えるよ
まさかここに来て1年時の再現が行われるなんてね…
滝が、というより部が求めたのはオーディションの公正さと納得感。部長の久美子がソリから降りるかもという問題を滝一人が決定したのでは関西大会の二の舞いになる。だから吹部全体の参加で誰がソリに相応しいか決めるべき
そこには勿論久美子と真由の参加も必要で、つまりは二人が自分の在り方に納得する必要があった訳だ
再オデという吹部全体参加の場、そのままの案だと滝だけが決めた形になる。だからあの時に学びが有った久美子がその案に手を加える訳だ。この時点で久美子は再オデに責任を持ち始めている
大人からすれば、きっとそれは子供の成長を目の当たりにするようなもので。同時に自分の未熟さも自覚する。それは子供を成長させているようで居て、自分も成長させて貰っているような感覚なのかもね
成長を始めた久美子が行うのは真由が隠していた本心の開示
大人になったから真由の心が判るとかではなく、自分の未熟さを認めたから真由の未熟が伝わってくる。真由に最高の演奏をさせる為にどんな言葉が必要か見えてくる
それは最高の奏者としてソリを取る為ではなく、北宇治のベストを決める為の行為
部長として真由と向き合う責任がさせた最上の振る舞い
1年時の再オデではソリスト決定の拍手に参加した者は僅かだし人で選んだようなものだった
でも今回は全員が挙手に参加した。そこには北宇治吹部の成長と責任を見てしまうね
そこでは麗奈だって成長と責任を見せる。どちらが久美子の音か判っていながら、最高の音はどちらか裁断した
でも、このままでは皆が参加しただけで納得は得られない。最後の一押しが必要になる
久美子の魅せ場は最高のソリストとしてではなく、実力主義の平等さを知る者として
負けて吠えるのではなく、ベストメンバーが選ばれたと誇る。それはずっと自分が許される場所を求めていた真由を最大限に受け容れるものとなるね。また、あの演説は久美子がどのような進路を選んだのかを間接的に示すものであったようにも思えるよ
ただ、それらは理想に基づいた行動であって
二人だけの場所で麗奈が見せた後悔と涙に並び久美子が見せる本心と涙にはこちらまで泣きそうになってしまった…
裏切ったら殺しても良いと誓った麗奈がそれでも選んだ最後のソリスト、それこそ二人の特別性を物語るものであり新たな誓いであり
様々な想いの積み重ねの上に選択されたベストメンバーが奏でるであろう最高の音を最終回では味わいたいものですよ
日比野カフカは人間か怪獣か?誰もが頭を悩ませる問題に日比野カフカの性格や行動を見て信頼を掲げるレノを始めとした面々が温かい……!
仲間達が信頼を寄せてくれるなら、カフカも信頼を返さなければならない。防衛隊員に相応しいと認められる、それこそが最も必要でカフカの原点
そうした信頼が描かれたからこそ、それぞれの遣り方でカフカが戻れないかと尽力する様子が描かれるのは良いね
特にキコルなんて父親に頼るのは嫌だろうに…
それでも結局はカフカは人間なのか怪獣なのか、そして誰にとっても信頼できるのかという点が問題になってくる。それはカフカにした証明できない
だとしたら、四ノ宮長官による暴虐はどのような意味を持つのかな
カフカは防衛隊に相応しい人間性を証明したいのに向けられる怪獣のような暴力に拠って怪獣性が露わになる。彼を観察する者達の前で披露されてしまうのは人間カフカか怪獣8号か
彼にとって重要な分水嶺となりそうだ
最終回なのに導入が悪魔召喚な展開はちと心配になったが、それは森太郎の周囲が悪魔召喚より奇怪な状態になっていると知らしめるものになったようで
それでも、天使に雪女に吸血鬼に河童とカオスを極めた状況も彼女らの心根が普通の少女でしか無い為に危うさよりも穏やかさを感じ取れる作品になっていると再認識できましたよ
ファンタスティックに過ぎる面々の集いを見た後に描かれるのが実在する観光地でのデート模様とはギャップがある。けど本作は森太郎ととわの出会いから始まったのだから、二人の交流へと収束するのは当然なのかも
また、お金を払っても良い思い出としたい森太郎と費用の高さを気にしてしまうとわという性格の違いから来る雰囲気を楽しめたのは良かった
他にも第一話を思い出させる描写が
間違った方向に進みそうだったとわの手を掴んで彼女を導く森太郎、地上にやってきた時のように空飛ぶとわ。これらは新たな場所へ向かう為でなく、二人の家に帰る為の行為
そうして舞い戻った日常で二人は心温かなワンルーム暮らしを続ける。派手さが無いからこそ感じ取れる穏やかな作品でしたよ
亜季の前とひまりの前で志帆は全く違う顔を見せる。もし、そこに仲違いの一因があるなら、ひまりが知る志帆の感情を明かす事で対立が収まるかもという発想は判るけど、双方の感情はそう簡単に収められるものではなかったようで
むしろ、ひまりが前に出る事で彼女も対立構造に取り込まれてしまうのは良いのか悪いのか…
けど、ひまりが構造に入った事で志帆の心情がより多彩に映る印象が強まるね
亜季や依では引き出せなかった志帆の内面、ひまりが知るそれは彼女を悪人にせず音楽に対してひたむきな少女なのだと感じさせる
一方でこの構造は依に嫉妬に似た勝利欲を引き出させるものになったようで。そう思うとひまりは人から感情を引き出すのが巧い人間と言えるのかな
そうして引き出された感情を元手に依が学祭で勝つ為の新曲を作ると宣言するのだから、ひまりとの出会いが依を大いに変えたと思えるね
他方でひまりが気にするのはローレライが今の形になった経緯。志帆から様々な感情を引き出したひまりは三人の音楽性があのような激しさを伴う感情を知った時、どう行動するのだろうね?
曲を世に発表する段になって強調されたのは、内的な戦いと外的な戦いの混在だったような
曲を自分達の満足行くよう演奏する、バンドとして目指す場所を明確にする。これまでトゲナシがしてきたのは己との戦い。でも、対バンや再生数が絡むならそれは世界との戦いになる
その乖離に仁菜が向き合う時が来たわけだ
ライブ評価をエゴサするのはダイダスと争っているようで居て、それを気にする己との戦い
内的な戦いは悪い事ではなく、それを繰り返してきたからトゲナシは契約に至り、曲発表まで辿り着いた
特に己を誇示して世界と戦ってきた仁菜にとって、戦いの先にこのような光景を見られたのは自分が間違っていなかったとの確信を得られるもの
仁菜以上の戦いをしているのが桃香かな
一度は戦いから逃げた彼女だからこそ、デビューは力が入る。「これでいい」という納得に落ち着けない
そこで彼女に力を授けるのが仁菜になるのは良いね。桃香を戦いの場に戻した仁菜だから発せる背中を押す言葉、それはトゲナシの指針になる
内的な戦いをするトゲナシに突き付けられた対バンは外的な戦い。結果が決まった勝負はダイダスだけでなく業界との戦いでもある
これに己との戦いを持ち込むと仁菜のように「逃げたら負け」なんて発想になる。戦い続ける彼女の姿は美しく応援したくなるが、世界はそんな彼女の姿を知らないわけで
突き付けられた世界の返答、この結果を仁菜は受け止められるのだろうか?
千明のソロキャン模様を見ると一人時間の過ごし方って個性が出るなと改めて思ったり。昼間は良い過ごし方だったのに、夜になった途端に妙な体験談になるのだからギャップが有る
一人だと長い時間をどのように味わうか工夫できる。皆と一緒なら時間をどう味わったかを共有できる。そう感じられた最終回だったかな
お花見キャンプ前半は飯テロ…なのだけど、いつもと異なる趣向が素直に羨ましいと思わせてくれない(笑)
カエル肉って怖い物見たさで食べたいようなそうでもないような…
また、ジンギスカン鍋は美味しさよりも犬山家驚きの真実によるインパクトが強い。嘘吐きを何年間も騙す嘘って凄まじい(笑)
お花見の本番はまさかの夜になってから
けれど、これまでに撮った桜の写真を持ち寄る事で時間に囚われないお花見となる。特になでしこの写真はその極地だね。一瞬の写真でありながら時間経過を味わえる
そうなれば、自分達が身を置く時間すらも意識する。野クルを部活にするというのは楽しい野望
時間を意識すれば、リンが思うのはなでしこを誘う件だけど、別に自分が口火を切らなきゃいけない訳が無くて
なでしことの会話で無限に出てくるキャンプ案はどれも楽しそう
でも、物語はここで一旦終わり。暫くはこの寂しい時間を味わいつつ、再び彼女らと再会できる時を楽しみに待ちたいと思える最終回でしたよ
挑むに当たり欠けていたのは何だったのか、挑んだ末に欠けたものは何だったのか
長い旅の目的であるゼニスを前に表出したのはパウロとルディの違い。それはどちらも何かが欠けている為に生じる差異
けれど、あの激闘を最後まで見た時、パウロは欠けてはいけないものは全く欠けていなかったのだと思い知らされたよ……
生死不明のゼニスを目撃してからのパウロとルディの心情は真反対
パウロはみっともなく取り乱しているが、ルディは逆に落ち着きすぎている。パウロは冷静さが欠けていて、ルディは親愛が欠けている
でも人は一つの要素だけで語れるものじゃなく。パウロは情の厚さに満ちている。だから落ち着けば仲間への感謝や親としての覚悟を示せる
パウロが言った「死んでも母さんを助けろ」は確かに親の台詞ではない。けれど、戦いの終盤を見れば全く逆の覚悟も持っていた事が判る
パウロは死のリスクを負っても息子を助けた、そして助かった息子を見て笑みを浮かべた
駄目な父親だと嘆く彼は確かに色々欠けていたかもしれないが、親として持つべきものを全て満ちていたのだと判る…
似た事はリーリャにも言えるのかな
彼女は冒険に着いていく事は出来ないしアイシャ妊娠の経緯も倫理的に宜しく無い部分はあった。けれど、アイシャを守り育てたし、パウロの死を知った直後に嘆くよりルディを抱きしめる事を選んだ。彼女も親として満ちているのだと判る
なら、息子として様々が欠けているルディは親としての全てが欠けてしまったゼニスをどう親に戻してやるのだろうね…
全国進出が確定し部としての進路は定まったというのに久美子の進路は未定のままなのは意外な印象
定まらないものは他にも。またもや事態を仄めかす真由、久美子との関係に不安を覚える麗奈
けど、それは定まっていないように見えて、実は定まっているのではないかと思えた面白い回でしたよ
定まらないようで居て、それこそが最も良い形というのは滝や緑の発言に垣間見えるね
毎年メンバーが変わる学校の吹奏楽は楽団として定まっていない。けれど、教育現場という人を積み上げる場所においては最も正しい
渦中の生徒にとっても今の毎日は不定形で不安。でも、未来に至る種蒔きであるならば最も正しい形
ならば、これまでずっと揺らいでいるように思えた真由の辞退発言も実は定まった形、信念に基づいた発言なのかもしれないと思えたよ
あれは気遣いが抜けきらないようで居て、己がその場にいる許しを部の長に求める我儘な発言だったのかもしれない
ならば別の我儘を持つ久美子と組み合う筈もない。二人は根本から対立している
久美子の進路はずっと定まらないまま。あれだけ大勢の助言を受けながらも未定というのも珍しい
でも、眼の前に有る形に定める事が久美子にとっては間違いかもしれなくて
みぞれの発言やこの回で久美子が定めたであろう方針は6話での梓の発言に通じる要素があるね
久美子にとって我儘な『感覚』こそもっとも正しい形
最も定まらない形をしているのは人の心
久美子が多くの助言を必要としたのも、滝が顧問に不安があったのも、真由が久美子に絡み続けるのも、麗奈が久美子との関係に弱気になるのも。全ては心が揺らぎ続けるから
その中で久美子は麗奈との関係は不変であると定めた。それこそが彼女の絶対法則
だとしたら、次のオーディションに向け定まったであろう彼女の心はどのような選択をさせるのだろうね……
あと、話の本筋とは全く関係ないのだけど、おめかしの方向性が真逆なのに仲が良い夏紀と優子の様子には身悶えしてしまったよ
あれ、めっちゃ尊いんですけど……!
相性最悪の巨大怪獣を前に限界を超えても戦い続ける保科の姿には驚かされた
そこには諦めを勧める言葉に反発する中で培った根性があるのだろうけど、それ以上に防衛隊員として守る為には引くなど許されないのだと彼の誇りが見えたよ
保科の誇りが独り善がりにならないのは偏にミナの存在が有ってこそ
保科に不得手が有るようにミナにも不得手が有る。それは向き不向きでなく、守る為に求められる役割・能力の話。だからミナの到達は保科の勝ちになる
そして続々到着する隊員が己の役目を果たす事で防衛隊全体の勝ちへと繋がるわけだ
でも、彼らは所詮人でしか無くて。10号の奥の手は怪獣の能力の具現
それに匹敵するのは人間でない役割・能力を持つカフカしか居なくて
人々を守る防衛隊を守る為に自らを顧みず危険に身を曝してみせたカフカの侠気には感動を覚える
そんな彼に向けなければならない銃口の哀しさが際立つラストでしたよ…
こういう話を見る度に主要キャラにお金持ちが居る作品は避暑行事等に無茶苦茶が出来て便利だなぁなんて思ってしまう
まあ、見方を変えれば特殊に過ぎる家庭環境に生きるひすいは他者との隔絶が存在する人物と言える訳で。それだけにオカ研の集いで友人達と境無く遊べたのは良かったのかな
特にひすいにとって最も壁がある対象は男性で。それは蔓深家が森太郎の登場に驚愕した点から察せられる話
一緒に海で遊んで名前で呼ばれるようになって、最後は小さな境を隔て混浴。壁が有った筈の象徴である男性の森太郎に、勇気を出して異なる環境に飛び込み多くを手にしたと嬉しそうに語る彼女の姿は心温まるものでしたよ
アニメとは絵にどれだけ嘘を含ませられるかが勝負だと、そんな事を勝手に考えている私にとって本作はとんでもない大ホラ吹きだと良い意味で捉えられる作品に思えたよ
現実離れした演出や表現が随所に見られるのだけど、そもそもが人に似ているけれど全く異なる力を持つウマ娘が主題という時点で現実に反していて。誰もが判っている事実を劇中に持ち込ませない為の仕掛けとして、現実離れした演出表現はとても効いているように思えましたよ
特にアグネスタキオンが新次元に至る際の演出や各レース終盤における競り合い表現等は思わず鳥肌が立ってしまったほど
ウマ娘としての本能、走らずにいられない衝動
ただ走るだけなら何処でも何時でも出来る。だからレースタイトルを目指して走るなら別の衝動が必要になる
ジャングルポケットが最初に抱いたのはフジキセキの走りから着想した最強への憧れ。それは自分がそのような立場になると云うだけでなく、強者への焦がれも含ませるからレースに負けても気持ちの良い走りを表現させる。前向きな衝動を伴う走りはそのまま彼女の強みとなり、彼女がどんどん強者へと登り詰めていく様子には納得しか無い
また、ダンツフレームやマンハッタンカフェ等もそれぞれの衝動を伴ってポケットと競り合っている。そういうった関係からは彼女らが良いライバルになっていると言える
ここに全く別の衝動を伴う形で現れたのがアグネスタキオンとなる訳か。走りへの本能を自覚的な彼女は未知の可能性に執着しレース結果よりも自身の走りがどこまで到達できるか探っているかのよう
その意味ではタキオンは誰とも競っていない。自らが辿り着けるかもしれない未だ存在しない走りの探求を衝動としている。それは競い合う相手にすれば堪ったものではないね。特にあのような形でレースから遠ざかられたら
タキオンという仮想の走りを追求した輝きはレース場に残された者にとっても幻を見させるものになったようで
タキオンの引退は観客にタキオンの走りをもっと見たかったと思わせる。タキオンの不在はポケットやダンツに行き場のない競争心をもたげさせる。面白いのはタキオンがレースに居ない現実はタキオン自身にも不満足を覚えさせた点か
タキオンのあまりに早すぎる走りは残された者にとって追い抜けない幻想。本来のレースはライバルや自分自身に勝つ事に拠って栄光を手にするのに、現存しない可能性と競っていては辿り着くべき境地も判らなくなる
そこでフジキセキが仮復帰の形でポケットを導く展開はとても良かったなぁ。思えばポケットにとって初期衝動の塊でありながら入学時点では引退していたフジキセキは存在しない強者のようなものだった。それでも近くに居て導いてくれるから良い先輩となった
けれども、それでは不定形の憧れでしかなくて。だからこそ形有る実感として初期衝動を再確認する為には彼女との並走がポケットには必要となったのだろうね
見えないものとばかり競っていては衝動の楽しさなんて味わえない。見える相手とこそ競り合いたい
それはきっと誰にとっても同じ話。ポケットが気持ち良い走りで最強を目指し続けるから彼女と競り合うカフェやダンツにも良い影響を与えて、タナベトレーナーが指導するウマ娘達にも良い走りを齎す
それはきっとレースから離れてしまったタキオンに関しても同じ話で
実現できなかったが道を開いた可能性で満足出来た筈だったタキオンがポケットというライバルの存在により再び走り出す描写には感動してしまったよ
本作は『ROAD TO THE TOP』からの流れが濃い作品、それだけにあの作品にて素晴らしいレースを繰り広げてくれたウマ娘達の新たな姿を見られたのは嬉しい限り
中でもあの作品にて最も印象的だったテイエムオペラオーが世紀末覇王として君臨している姿には興奮を覚えてしまったり。まあ、その一方でナリタトップロードがオペラオーに敵わない姿には寂しさも覚えてしまったのだけど
いわば前作の強者が新作でボスとして存在する形。それは言い換えてしまえば旧時代の覇者なんて表現出来るのかもしれない
本映画ではタキオンが可能性の追求により新次元を示してみせた。そしてポケットがタキオンを乗り越える形で新時代の扉をノックした。なら次に訪れるのは時代の移り変わり
本映画では時代変化を感じさせる描写が幾つも有った
そもそもポケットがフジキセキという前世代に憧れて最強を目指したのがそうだし、タキオンという時代を作ったウマ娘がレース場を去ったのも時代の移り変わりの一端。他にも別時代のウマ娘が画面に所狭しと映り、時には状況と関連の有るウマ娘の言動が描かれるのは時代の流れを感じさせるものが有った
でも、当初のポケットは時代の移り変わりを拒む側だったような。だからタキオンの不在に耐えられず、走らないフジキセキの助言も効かなかった
それが変わったのがフジキセキの仮復帰で。過ぎ去った時代の者が再び時代に挑もうとする在り方は新たな時代を開こうとするポケットを勇気付けるものになる。見えない壁によって先へ進めなかった彼女に壁なんて無いのだと思わせる力となる
そうした諸々を感じ取れたからこそ、ポケットが時代に取り残されそうなタキオンの前で世紀末覇王を打ち砕くクライマックスには感動してしまったよ。加えて走りへの本能を取り戻したタキオンがレースに復帰するというラストも良かったな
まさに新時代の扉が開かれたわけだ
本映画は力加減を間違えたような弩級映像が随所に見られるのだけど、それら全てはポケット達が目指す最強へと通じる迫力へと繋がっているように感じられて、伝わってくる熱量にこちらの脳まで焼かれそうでしたよ
非常に満足出来る内容に感無量といった所
仁菜は家族と一定の和解を見た。桃香はこのバンドでやっていくつもりだし、すばるも遂に祖母にバンド活動を伝えた。智の問題もいずれ解決出来そう。ルパも良い顔をしている
何も後腐れはない、正しい方向へ進んでいる、素晴らしいライブも出来た。なのに違和感を捨てきれないのは何故だろうね?
存在証明を示すステージは今の彼女らにとって破格のものに
かつて対立した人やら先輩にも認められ全てが好調。それもこれも彼女らが藻掻いて藻掻いて反抗して成果だね
負けるもんかという叫びが彼女らのバンド音楽の骨格を為している。その感性がトゲナシだけでなくダイダスにも宿っていたのは驚き
ダイダスは桃香や仁菜が手を伸ばしても手に入らない煌めきの具現。事務所に推されて輝く彼女らに反抗心は無いかに思えた
でも桃香との決別シーンに表れたように彼女らにも矜持があって。それがステージングに反映されたのは良い意味の驚き
思わず彼女らのファンになってしまいそうだったよ
世間に大人にダイダスに負けるもんかと反抗して鬱屈をロックの形で表明し、全ての感情をぶち込んだトゲナシのライブは最高の一言!
棘の表出だけでなく燃え盛る思いの丈を噴出させるが如きステージングはこれまでのどのステージよりもこちらの感情を揺さぶってぶち抜いてくる最高のライブだと思わせてくれるものでしたよ!
一方で言語化困難な小さな違和感が気に掛かる
ヒナは仁菜の友人だったのに何らかの理由で彼女を間違っていると責め立て別の道を選んだ
今の仁菜は間違いなど無く進んでいるように見える。それだけに「間違ってない」と言い切れない彼女の独白はヒナの件も合わせ、どうしても気になってしまう…
様々なキャンプ場へ出向く彼女らにとって移動手段は道中の楽しみ方を左右するもの。そこへ一石を投じるアイテムが
ロードバイクとはオートバイ等に比べたら一段劣る印象を抱いてしまうけど、あおいが自由に乗りこなす様子を見るに、これはこれで道中を楽しくしてくれそうな印象を覚えますよ
一般的にイメージされる自転車とは乖離した性能を持つそれは使用者を興奮させる物のようで
最初は近場のコンビニへ行くだけのつもりが、千明が居るキャンプ場まで向かわせてしまった
パンクやらお尻やらの反省点はあおいを辟易させるものにならず、むしろこれから味わう様々な道中を楽しみにさせるものになりそうな
合流したリン達の足はスクーターに車、軽い気持ちで離れた場所まで行動できる
遠くに見えた笈形焼きまで足を伸ばせば蘇るのは昔の思い出。小さな頃は親に連れて来て貰っていた。今では自分で来られるように
遠くに有った景色を楽しみつつ、遠くまで来れた自分の変化をも楽しんでいるように感じられたよ
移動手段の豊かさはそのまま次に訪れたい場所への想像をさせるものに
また明日会う約束、大文字焼き、レトロ電車、来年の花見…
なでしこ達がこれからの様々を楽しみに感じているように、視聴者的には次回描かれるお花見キャンプで繰り広げられるだろう楽しみへの期待が膨らむ回であるように思えましたよ
「覚えていない」と言われたからってロキシーの眼前で嘔吐するルディヤバくない……?
さておき、その擦れ違いは二人の成長の違いが関わっているような。ロキシーはあの頃と変わらない見た目、ルディは好青年へと成長した。ただ、問題なのは変わっているのは見た目だけじゃないという点が後々響いてきそうな…
それでも変わっていない点も有るから、ロキシーは戸惑いつつ在りし日のような関係をルディと再構築出来たのだろうね
構って欲しくてウロウロして、頼られたら嬉しそうに近付いて。ルディ視点では変わらない師匠との懐かしい交流。でも、ロキシー視点では逞しく変わった青年との慣れぬ交流となるわけだ
その違いはそのまま想いの違いへと直結するね
端から見ている分にはロキシーの中でどのような想いが醸成されているかは容易に判る。パウロの助言もそれを示唆するもの
ルディはエリスではなくシルフィを選んで今の生活を手に入れた。その時の選択を思えば、更に別の役割を持つ少女を傍に置く事は可能と言えるのか?これはこれでルディにとって一つの試練となりそうだ
でも、その前に次回タイトルが不穏…