表面的には種を超えた親子の感動ドラマのように見えるが、
その奥には「命の尊さ」と「命を扱う難しさ」が内包された物語だと感じた。
この映画を見て実際に起きた事件を思い出した。
動物の愛護活動を行っていた人が、自身の管理能力を超えた動物を受け入れた結果、
多頭飼育崩壊を引き起こし、衛生環境の悪化や異臭問題で周囲とトラブルになった事件だ。
この事件と、母竜が卵を拾い育てる姿が重なって見えてしまった。
なにも母竜が安易に卵を拾ったことを批判したいのではない。
救える命があるのならば救いたい、という感情は至極真っ当だし、素晴らしいことだと思う。
しかし、命という重みが、さまざまなバランスを崩し、押しつぶしてしまう。
作中でハートは不気味がられ、殺されそうになり、最終的に捨てられることになる。
結局、母竜は群から離れて暮らすことを選択するが、これこそ命の重みゆえの結果なのではないだろうか。
なにが正しく、なにが悪いかという問題ではないのだろう。
それは終盤の母竜とバクーの対話にもよく表れていた。
肉を食わないと生きていけないハートをどうするつもりだったか尋ねられた母竜は、
たとえ自分が食べられても、ハートに生きてほしかったと訴える。
しかし、もしそうなればハートは母親を食い殺した苦しみを一生背負っていくことになる。
かといって、母竜が育てなければハートは生きることさえできなかった。
この母竜とバクーの対話に、誰もが納得できる「正しい答え」を出せる人がいるだろうか。
正解がないからこそ、命を扱うことは難しく、そして尊いのだと思わされた。
多頭飼育崩壊の例に限らず、命に関わる問題に直面することは現実にもあるだろう。
そのとき、自分はどうすべきなのか。
そんな問いを投げかけられた作品のように感じた。
毒を取り除き信頼を得ることで、逆に猜疑心という名の毒を流し込んでいくシタラの戦略と
一筋縄ではいかないボラクチンの底知れなさが印象的な回だった。
ラストのボラクチンがドレゲネだけを呼び出したシーン。ボラクチンの大きな影がユラユラと揺れている様子は、ドレゲネの不安の大きさと心の動揺を表していたように感じた。
このタイミングで入るサブタイトル「大カトゥン ボラクチン」も絶妙だった。
「シタラ、もしかしてボラクチンのこと勘違いしてない?」という視聴者の胸騒ぎとドレゲネの不安をシンクロさせ、
同時に、これがボラクチンが大カトゥンたる由縁なのだと感じさせる、演出だったのではないだろうか。
ボラクチン役のくじらさんの妖しい声音も雰囲気を引き立てていたと思う。
シタラが打った一手に対し、ボラクチンがどういった手を返すのか、続きのストーリーが非常に気になる展開だった。
シュールな笑いがジワジワ込み上げてくる作品。
小手先でなんとかしようとして因果応報を受けたり、食欲と感情で葛藤したりと、
行動の結果が自分に返ってくる、なにかを得ればなにかを失う、ということをブラックジョークを交えて上手く描かれていたと思う。
3DCGでセリフはないが、表情や仕草で感情が伝わってきたし、心情面からもキャラクターに人間味が感じられ楽しめた。
いつも細かいストーリーが掴めず、雰囲気で見ているところがあるけど、今回は多少わかりやすく感じた。
素子襲撃で慌てて駆けつけたり、一課長に拳銃突きつけて啖呵切ったり、宣言通り一課長に「十分な支払い」させてたり、自称「部下思い」な荒牧の一面を覗けるエピソードでもあったように思えた。